恐れるな、語り続けよ 2007年11月18日(日曜 朝の礼拝)
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恐れるな、語り続けよ
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- 村田寿和 牧師
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使徒言行録 18章1節~17節
聖書の言葉
18:1 その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。
18:2 ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、
18:3 職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。
18:4 パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。
18:5 シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。
18:6 しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。」
18:7 パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。
18:8 会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた。
18:9 ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。
18:10 わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」
18:11 パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。
18:12 ガリオンがアカイア州の地方総督であったときのことである。ユダヤ人たちが一団となってパウロを襲い、法廷に引き立てて行って、
18:13 「この男は、律法に違反するようなしかたで神をあがめるようにと、人々を唆しております」と言った。
18:14 パウロが話し始めようとしたとき、ガリオンはユダヤ人に向かって言った。「ユダヤ人諸君、これが不正な行為とか悪質な犯罪とかであるならば、当然諸君の訴えを受理するが、
18:15 問題が教えとか名称とか諸君の律法に関するものならば、自分たちで解決するがよい。わたしは、そんなことの審判者になるつもりはない。」
18:16 そして、彼らを法廷から追い出した。
18:17 すると、群衆は会堂長のソステネを捕まえて、法廷の前で殴りつけた。しかし、ガリオンはそれに全く心を留めなかった。使徒言行録 18章1節~17節
メッセージ
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私たちの教会では、年間テーマ、年間聖句というものを定めて、1年の歩みをしております。会堂のどこかに、テーマや聖句を書いたものを貼っているわけではありませんけども、週ごとにお渡しする週報の表紙には、年間テーマと年間聖句が記されております。ご存じのように、今年の年間テーマは「原点への回帰」、年間聖句は「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」使徒言行録2章42節であります。このテーマと聖句を掲げ、週ごとに使徒言行録の御言葉を聞き続けながら、私たちは、教会のあるべき姿を問い続けてきたわけであります。まだ、今年は1か月以上残っておりますけども、このテーマと聖句を掲げつつ、使徒言行録を学んだことは、私たちの信仰の姿勢、教会の姿勢を整え、造り上げていくうえで、有益であったと主に感謝しております。なぜ、わたしはここで、年間テーマ、年間聖句のお話しをしているかと言うと、それは、今日の御言葉の使徒言行録18章9節、10節が、来年、2008年の年間聖句となっているからです。年間テーマ、年間聖句は、長老たちの会議である小会で決定されますが、10月の小会において、来年の年間テーマを「福音を伝えよう」、年間聖句を「語り続けよ。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」と決定いたしました。そして、このテーマに合わせて、来年は2か月に一度、はじめての方を意識した特別伝道礼拝を行うことを決議しました。そのためにチラシも作成する予定でありますから、それを皆さんにも用いていただければと願っています。わたしが羽生栄光教会に赴任しまして、5年目に入っておりますけども、来年は特に「福音を伝える」というテーマを掲げて、皆さんと共に歩んで参りたいと思っております。今日は、そのための励まし、また約束を御言葉から共に聞き取りたいと願っています。
さて、今日のお話しの舞台は、アテネからコリントに移っております。コリントがどこに位置するかをはじめに聖書地図で確認しておきたいと思います。聖書巻末の聖書地図、「8 パウロの宣教旅行2,3」をお開きください。ギリシア半島とペロポネソス半島を繋ぐ地峡にコリントの町があります。また、コリントは、東と西の海を繋ぐ港町でもありました。このように、陸路、海路ともに、コリントは交通の要所であったのです。そのため、コリントは商業都市として繁栄し、アカイア州の首都としてローマ総督府が置かれていたのです。
使徒言行録に戻りましょう。新約249ページです。パウロはコリントで、ある夫婦に出会います。それが「ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラ」であります。この二人の名は、パウロが記した書簡の中にも何度かでてきます。例えば、ローマの信徒への手紙の16章にこう記されています。「キリスト・イエスに結ばれてわたしの協力者となっている、プリスカとアキラによろしく。命がけでわたしを守ってくれたこの人たちに、わたしだけではなく、異邦人のすべての教会が感謝しています。」
これから後も、パウロの協力者となったアキラとプリスキラとの出会いが、今日の御言葉に記されているわけです。このアキラとプリスキラについては、続けてこう記されています。「クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。」
もともとは、アキラとプリスキラは、ローマにいたのですが、クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近コリントに来たというのです。このクラウディウス帝によるユダヤ人退去命令には、興味深い記述があります。ローマの歴史家スエトニウスは、著書『皇帝列伝』の中で、こう記しています。「ユダヤ人がクレストゥスによって扇動され、絶え間なく騒乱を引き起こしたので、彼は彼らをローマから追放した。」
研究者の間では、この「クレストゥス」は、「クリストス」、キリストではなかったかと考えられているのです。つまり、ローマにおいても、イエス・キリストの名をめぐってユダヤ人の間で絶え間なく騒動が起こり、クラウディウス帝は全てのユダヤ人をローマから追放してしまったと考えられるのです。このことは、これまでパウロが歩むところ、ユダヤ人との衝突が絶えなかったことを思い起こすならば、もっとものように思えます。パウロが、ローマへと渡る以前に、すでにローマにユダヤ人と異邦人からなるキリストの教会があったことは、ローマの信徒への手紙からも明かであります。ですから、ローマにおいても、キリストをめぐって騒動が起こっていたと考えてよいのではないかと思います。おそらくアキラとプリスキラも、パウロに出会う以前から、キリスト者であったのでしょう。パウロが、アキラ・プリスキラ夫妻に出会うことができたのは、共にイエス・キリストを信じる者であったからだと言えるのです。出会いとは、一つの出来事と言えると思うのですが、出会いという出来事は、ただ居合わせるだけでは起こらないわけですね。見知らぬ二人の間に立って、紹介してくれる共通の知り合いがいて、はじめて出会いということが起こるわけです。その共通の知り合い、それがパウロとアキラ・プリスキラ夫妻にとって、主イエスであったわけです。そのことは、私たちにおいても、同じことが言えます。私たちを出会わせてくださったお方、それは主イエスであります。イエス・キリストにあって、私たちは出会い、兄弟姉妹と呼べる親しい交わりに生かされているのです。キリスト者同士で、手紙をやり取りするとき、よくその手紙の最後に「主にありて」と書きますが、それは私とあなたをつなぐ方は主イエスであるということでありましょう。パウロとアキラ・プリスキラ夫妻をつないでいたのも、この主イエスにある信仰の絆でありました。けれども、彼らの場合は、どうもそれだけではなかったようです。3節に「パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。」とあります。先程、申しましたように、コリントは陸路、海路において交通の要所でありました。人口も70万人を越え、様々な民族からなる国際色豊かな都市であったと言われます。ですから、おそらくパウロはこのコリントに、伝道の拠点と言える教会を形成したかったのだと思います。そのため、コリントでは腰を落ち着けて伝道する必要があったのです。パウロは、書簡の中で、自らの手で働いて福音を宣べ伝えたことを何度も記しておりますけども、コリントでも、自ら働いて、福音を告げ知らせたのでありました。ユダヤ人のラビたちは、自ら働いて、律法について教えたと言われます。そのラビたちと同じく、パウロは生計を立てる手段として、テント作りの技術を身に付けていたのです。パウロは、ウィークディはテント造りの仕事に励み、安息日には、会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めたのでありました。けれども、これは必要に迫られてのことでありまして、パウロとしてはできればフルタイムで福音宣教に従事したかったようです。そのことは、5節の「シラスとテモテがマケドニアからやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しし」との記述からも分かります。シラスとテモテの到着により、パウロはテント造りの仕事から解放され、御言葉を語ることに専念できるようになったのです。なぜ、シラスとテモテの到着により、パウロは御言葉を語ることに専念できるようになったのか。それはおそらく、シラスとテモテがマケドニア州の教会、フィリピの教会からの募金を持ってやって来たからだと考えられます。パウロは、フィリピの信徒への手紙4章でこのように記しているからです。「フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。」
フィリピの教会の贈り物により、パウロはコリントで、御言葉を語ることに専念できたのであります。現在、牧師が御言葉を語ること、説教の準備に専念できるのも、フィリピの教会ならぬ、教会員の支えがあればこそであります。その意味で、牧師の働きというものは、教会員によって祈り、支えられる教会全体の働きであると言えるのです。
パウロが御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しするに伴い、それへの反抗も強まっていきました。6節にこうあります。「しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。『あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。』」
このパウロの言葉の背後には、エゼキエル書の33章の御言葉があると考えられています。エゼキエル書33章の小見出しには「見張りの務め」とありますが、その7節から9節には次のように記されています。旧約聖書の1350ページをお開きください。
「人の子よ、わたしはあなたをイスラエルの家の見張りとした。あなたが、わたしの口から言葉を聞いたなら、わたしの警告を彼らに伝えねばならない。わたしが悪人に向かって、『悪人よ、お前は必ず死なねばならない。』と言うとき、あなたが悪人に警告し、彼がその道から離れるように語らないなら、悪人は自分の罪のゆえに死んでも、血の責任をわたしはお前の手に求める。しかし、もしあなたが悪人に対してその道から立ち帰るよう警告したのに、彼がその道から立ち帰らなかったら、彼は自分の罪のゆえに死に、あなたは自分の命を救う。」
主なる神はエゼキエルに、「あなたが悪人に対して、彼がその道から離れるように語らないなら、その血の責任をわたしはお前の手に求める。」と仰せになりました。パウロは、このエゼキエルへの言葉を覚えつつ、「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。」と語ったのです。このことから、私たちは、パウロがエゼキエルに連なる預言者意識をもって福音を告げ知らせていたことが分かるのです。パウロにとって、イエス・キリストを信じるとは、命に関わる、まさに生き死にの問題であったのであります。
使徒言行録に戻ります。新約聖書の249ページです。パウロは、まずユダヤ人の会堂で、キリストの福音を告げ知らせることを常としておりましたけども、それは伝道上の利点からばかりでなく、主なる神に遣わされた預言者意識によるものでありました。けれども、ユダヤ人がそれに反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払い、今後、自分は異邦人の方へ行くと宣言したのです。そして、その宣言のとおり、パウロは宣教の場を会堂から、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移ったのでした。この人は、神をあがめる人でありましたから、もともとは会堂に集っていたのでありましょう。会堂で語るパウロのメシアはイエスであるという力強い証しを聞いて信じ、キリスト者となった人物であると考えられるのです。このティティオ・ユストの家はおもしろいことに、会堂の隣りにあったと記されています。明らかにパウロはある意図があって、このユストの家を選んだようです。まず考えられることは、その家が会堂に集うギリシア人、神をあがめる人と接点を持ちやすかったということであります。ユダヤ人の会堂では、神はいつしか救い主メシアを遣わしてくださるとの約束が語られていました。そして、その隣りにある、ユストの家の教会では、そのメシアこそ、イエスであると告げ知らせていたのです。ユダヤ人の会堂は、意図せずして、パウロの福音宣教を助けるかたちとなったのであります。また、パウロがユダヤ人の会堂のすぐ隣りの家を教会としたのは、ユダヤ人にねたみを起こさせて幾人かでも救おうとしたからだとも考えられます。ローマの信徒への手紙11章14節には、異邦人の宣教によって、「何とかして自分の同胞にねたみを起こさせ、その幾人かでも救いたいのです。」とのパウロの思いがつづられております。会堂の隣りのユストの家は、異邦人にも、そして、ユダヤ人にも福音を宣べ伝えるのに、最適な場所であったと言えるのです。
8節に「会堂長クリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた。」とあります。会堂長とは、ユダヤ人の会堂の指導者であります。その指導者であるクリスポが一家をあげて主を信じるようになった。これは、クリスポが会堂ではなく、家の教会へと集うようになったことを表しているのでしょう。会堂長が、イエスを信じ、洗礼を受ける。会堂ではなく、その隣りのユストの家に集うようになる。これはおそらく大きな影響力を、会堂に集う人々に与えたと思います。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けたのでありました。そのように、すべてがうまくいっていたかのように思われるある夜、主は幻の中でパウロにこう言われるのです。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」
主イエスは、幻の中で「恐れるな」と語られました。パウロはこのとき何を恐れていたのか。それはユダヤ人の数々の陰謀、迫害であったと思われます。多くの人々が、主イエスを信じるようになるに従って、ユダヤ人の反対、ののしりも一層激しさを増していったと考えられるのです。現に、12節以下には、ユダヤ人たちが一団となってパウロを襲い、法廷に引き立てて行ったことが記されております。そればかりではなく、様々な陰謀がパウロを取り巻いていたのでありましょう。けれども主イエスは、「わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。」と言われるのです。恐れるとき、人は黙るのです。特に、パウロはイエス・キリストの福音を語ることによって、迫害にあっているのでありますから、迫害から逃れようと思えば、福音を語ることを止めてしまえばいいわけであります。けれども、主イエスは、「語り続けよ。黙っているな。」と命じられるのであります。なぜなら、「この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」と言われるのです。わたしの民とは、主イエスの民、イエスを主と信じる民のことであります。福音を聞けば、主イエスを信じる民が大勢いる。だから、恐れずに、語り続けよと主イエスは言われるのです。ここで、言われていることは、神学の言葉で言えば、選びの教理、予定論であると言えます。主イエスの民として定められている者がこの町には大勢いる。それゆえに主は「語り続けよ。黙っているな」と言われるのであります。なぜなら、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるからであります。神様のイエス・キリストにある永遠の選びは、歴史の中で、福音宣教を通して実現していくのです。予定論についての昔からある一つの誤解に、「神様がある人々を救いに定めておられるなら、わざわざ福音を宣べ伝える必要はないのではないか」という主張があります。しかしこのように言う人は、「神様のイエス・キリストにある永遠の選びは、歴史の中で、福音宣教を通して実現していく」ということを見落としています。むしろ、神様が選びの民を備えてくださっているからこそ、私たちは落胆、失望することなく、福音を宣べ伝えていくことができるのです。私たちの教会は、大会創立50周年を記念して、「予定についての信仰の宣言」を出しました。そこでは、「キリストの選びと福音の宣教」について次のように告白しています。
キリストにある選びの信仰は、伝道への意欲を弱めるどころか勇気と確信と力を与えます。父なる神の右にいます主は、御父から委ねられた選民すべてを、教会の福音宣教を通して、聖霊により、御自分のもとに確実に召し集められます。主は「この町には、わたしの民が大勢いる」と宣言し、「恐れるな、語り続けよ。黙っているな」と励まされます。永遠の命にあずかるように定められている人たちは一人残らず信仰に入ります。福音宣教の実りは確かです。ですから、罪人を救おうとされる神の愛に迫られて、わたしたちは時が良くても悪くても、キリストの出現とその御国とを思い、御言葉を宣べ伝え続けます。
私たちが、福音を宣べ伝えることに空しさを感じるとき、それは誰も福音を受け入れないのではないかと思うときではないでしょうか。しかし、主イエスは、今日、私たちにも「恐れるな、語り続けよ。この町にはわたしの民が大勢いる」と言われるのです。これは、かつてパウロに語られ、そして今日私たちに語られた主の約束の言葉であります。この説教のはじめに、来年は、この所を年間聖句として定め、福音宣教に励んで行きたいと申し上げました。しかし、そこでまず私たちに求められることは何かと言えば、この主イエスの御言葉に対する信頼であります。「この町には、わたしの民が大勢いる。」この主イエスの言葉を本気で信じることができるかどうかであります。伝道というのは、数打ちゃ当たる式のものではありません。伝道をちゃんとしようとしたら、信仰が必要なのです。信仰なくして、伝道はできないのであります。それはどのような信仰か。それは「この町には、わたしの民が大勢いる」という主イエスの御言葉を信じる信仰であります。もし、その信仰がなければ、本当に伝道する力はわいて来ないのです。もし、この町に主イエスの民が一人もいないのであれば、伝道することは無意味です。けれども、主イエスは、今日、「この町にはわたしの民が大勢いる」と言われる。この羽生の町にも、わたしの民が大勢いると主は言われるのであります。だから、私たちは「福音を伝えよう」とテーマを掲げて歩むことができるのです。私たちの巧みな話術によって、イエス・キリストを信じさせようと息巻くのではありません。この町に、まだ見ぬ主イエスの民が大勢いるのであります。私たちは、そのまだ見ぬ主イエスの民を福音宣教によってあらわにしてくのです。共に教会に集い、主を礼拝する民として、あらわにしていくのであります。
パウロは、1年6か月の間コリントにとどまって、人々に神の言葉を教えました。このことは、主の言葉が、パウロに大きな励ましを与えたことによると考えられます。けれども、おそらく、それだけではなかったと思います。パウロは、この主イエスの言葉を、諸手を挙げて受け入れたというよりも、厳粛な思いをもって受け入れたのではないでしょうか。パウロは、ユダヤ人たちに何と言ったか。彼は「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。」と言ったのです。パウロは、エゼキエルに連なる預言者意識をもって、キリストの福音を告げ知らせていたのであります。そのパウロが、主から「この町には、わたしの民が大勢いるからだ」と聞いたとき、それはパウロにとって、見張りの務めが拡大されたことに他ならなかったと思います。「この町にはわたしの民が大勢いる」という主の言葉は、たた福音宣教の実りを約束するばかりではなくて、その民の見張りとしてわたしはあなたたちを立てるとの厳粛なる宣言とも言えるのです。「この町には、わたしの民が大勢いる」との主イエスの言葉は、私たちに福音宣教の勇気と確信と力を与えると同時に、福音を宣べ伝えないならば、その民の血の責任をあなたたちに求めるとの、まことに厳粛な、重い言葉なのです。