アレオパゴスでの説教 2007年11月11日(日曜 朝の礼拝)

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アレオパゴスでの説教

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
使徒言行録 17章16節~34節

聖句のアイコン聖書の言葉

 17:16 パウロはアテネで二人を待っている間に、この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した。
17:17 それで、会堂ではユダヤ人や神をあがめる人々と論じ、また、広場では居合わせた人々と毎日論じ合っていた。
17:18 また、エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者もパウロと討論したが、その中には、「このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか」と言う者もいれば、「彼は外国の神々の宣伝をする者らしい」と言う者もいた。パウロが、イエスと復活について福音を告げ知らせていたからである。
17:19 そこで、彼らはパウロをアレオパゴスに連れて行き、こう言った。「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか。
17:20 奇妙なことをわたしたちに聞かせているが、それがどんな意味なのか知りたいのだ。」
17:21 すべてのアテネ人やそこに在留する外国人は、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていたのである。
17:22 パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。
17:23 道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。
17:24 世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。
17:25 また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。
17:26 神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。
17:27 これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。
17:28 皆さんのうちのある詩人たちも、/『我らは神の中に生き、動き、存在する』/『我らもその子孫である』と、/言っているとおりです。
17:29 わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。
17:30 さて、神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。
17:31 それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。」
17:32 死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。
17:33 それで、パウロはその場を立ち去った。
17:34 しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた。

使徒言行録 17章16節~34節

原稿のアイコンメッセージ

 ベレアから一人、逃れてきたパウロは、アテネにおいて、テモテとシラスの二人を待っておりました。アテネは、かつてソクラテスやプラトン、アリストテレスなどの哲学者たちが活躍した学問の都でありました。その全盛期は、紀元前5世紀の頃であったと言われますが、この当時においても、学問や芸術の中心地と見なされていました。また、そこには、多くの神々が祭られておりました。アテネという町の名前も、ギリシア神話に出てくる女神アテナに由来すると言われます。アテネは、学問や芸術ばかりでなく、神々の住む都でもあったのです。当時のギリシアにおいて、学問や芸術は宗教と密接な関係にありました。当時の文学は、ギリシアの神々を題材としたものが多く、哲学は宗教的な側面をもっておりました。また、ギリシアの神々は、美しい彫像であらわされ、荘厳な神殿に置かれましたから、芸術と宗教も密接に結びついていたわけです。そのことは、日本のことを考えてみてもよくお分かりいただけると思います。日本にも、多くの神々の像があり、また、神々の像を安置する荘厳な建物がございます。また、町を歩いていれば、今でもいたるところにお地蔵さんが立っております。パウロが訪れたアテネ、それはそのような多くの神々の像が祭られていた神々の都であったのです。けれども、それは唯一の生ける真の神を信じるパウロに取りましては、偶像の都でありました。パウロは、この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨しました。もとの言葉を見ますと「彼の霊が憤慨した」と書いてあります。つまり、パウロは霊的な憤りを感じたのです。それは本来、まことの神様にささげられるべき栄光が、手で造られた偶像に帰されていることへの憤りであります。いやもっと言えば、神様の霊、聖霊によって与えられた憤りであるとさえ言えるのです。十戒において、「あなたはわたしの他に何者をも神としてはならない。」「あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。」と仰せになられた神様の憤り、その憤りをここでパウロの霊も共有したのです。

 パウロの伝道方針、伝道戦略は、まず会堂を訪れ、ユダヤ人や神を畏れる人々に福音を告げ知らせることでありました。そのことは、このアテネにおいても変わりはありません。けれども、今日の御言葉で大きく取り上げられているのは、会堂でのユダヤ人とのやりとりではなくて、広場でのギリシア人とのやりとりであります。「広場では居合わせた人々と毎日論じ合っていた。」とありますが、この記述からも学問の都アテネの自由な気風が伝わってまいります。その人々の中に、エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者たちもおりました。エピクロス派とストア派、これは当時のギリシア哲学を代表する2つの派です。エピクロス派は、紀元前4世紀から3世紀に活躍したエピクロスの教えに従う者たちですが、広辞苑を見ると、エピクロスについて次のように記されておりました。「快楽主義を説いたギリシアの唯物論哲学者。アテナイに学園を開き、デモクリトスの流れをくむ原子論を基礎とする実践哲学を説いた。善とは快楽であるが、真の快楽とは放埒な欲望の充足ではなく、むしろ欲望から解放された平静な心境(アタラクシア)のうちにあるとした。」

 また、ストア学派については次のように記されておりました。「前4世紀末頃、キプロスのゼノンの創始したギリシア哲学の一派。その名はゼノンがストア・ポイキレー(彩画列柱)のある建物で講義したことに由来。論理学・自然学・倫理学により哲学を体系化した。汎神論的唯物論の立場をとり、宇宙理性としてのロゴスが世界に遍在し、一切はこのロゴス(神)の摂理としての必然性について生起するとした。道徳説では、内心の理性にのみ聴く賢人のアパテイア(泰然自若の心境)によって人は真の幸福に与り得ると考え、ロゴスへの随従(義務の遵守)を説いた。さらに世界市民主義を唱えた。」

 この二つの派についてこれ以上詳しくお話しすることはできませんが、神についてどのように考えていたかだけを申し上げるならば、エピクロス派は、神々がいることを否定しませんでしたが、その神々は、遠く離れた、この地上のことに何の関心も持たず影響を及ぼさない神々でありました。また、ストア派は、神々の存在を認めますが、それは人格神としてではなく、すべてのものに神の刻印があるといった汎神論的な考え方であったのです。このような哲学者たち、当時の知識人たちとパウロは討論したのです。けれども、そのパウロの言葉は思うように伝わらなかったようであります。その中には、「このおしゃべりは何を言いたいのだろうか」と言う者もいれば、「彼は外国の神々の宣伝をする者らしい」と言う者もおりました。聖書はそれに続けて「パウロがイエスと復活について福音を告げ知らせていたからである。」と記しています。ここで復活と訳されている言葉は、アナスターシスという言葉です。これは女性名詞でありましたから、パウロの話を聞いたある人々は、パウロがイエスという神とアナスターシスという女神を宣べ伝えているらしいと考えた。それで、「彼は外国の神々の宣伝をする者らしい」とある人々は言ったのです。復活ということは、それほどアテネの人々にはなじみのない思想であったということでありましょう。そこで、彼らはパウロをアレオパゴスへと連れて行きます。アレオパゴスとは「アレスの丘」という意味です。そこでは法廷が開かれ、哲学者たちの議論がなされたといわれます。そのアレオパゴスへとパウロを連れて行き、こう促すのです。「あなたがた説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか。奇妙なことをわたしたちに聞かせているが、それがどんな意味なのか知りたいのだ。」

 このようにアテネの人々は言うのでありますが、それは真理を求めていたというよりも、何か新しいことを聞きたいという知的好奇心を満たすためでありました。けれども、パウロはアレオパゴスの真ん中に立ち、喜んで福音を告げ知らせるのです。かつてソクラテスやプラトン、アリストテレスといった哲学者たちが論じたであろう、アレオパゴスでパウロは今、キリストの福音を告げ知らせるのであります。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえみつけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。」

 アテネの至る所に偶像があるのを見て憤慨したパウロですが、そのことをここでは積極的に評価しております。至るところに偶像があるということ、それはアテネの人々の信心深さ、宗教心の豊かさを表すというのです。至るところにある偶像は、神を求めずにはおれない、アテネ人の宗教心を表している。そして、その宗教心は、まだ自分たちの知らない神にさえ向けられていたのです。なぜ、アテネの人々は、「知られざる神に」まで祭壇を築き、供えものをしていたのか。彼らは、この世界にさまざまな神々がいると考えていました。そして、その神々に感謝をささげることを怠るならば、その神の怒りを招くかもしれないと考えたのです。そのことを恐れて、あらゆる神々に祭壇を築いた。当時、アテネには3000もの祭壇があったと言われますが、それでももしかしたら自分たちのまだ知らない神がいるかもしれない。その神の怒りを招かないように、「知られざる神に」と刻んだ祭壇さえ造ったのです。そしてパウロは、その知られざる神を、これから私がお知らせしましょうと切り出すのです。こそが、わたしが伝えている天地万物を造られた神であることと告げるのです。24節から29節。「世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。神は一人の人からすべての民族を造り出して、地上のいたるところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。皆さんのうちある詩人たちも、『我らは神の中に生き、動き、存在する』『我らもその子孫である』と、言っているとおりです。わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。」

 パウロがまずそこで明らかにしたことは、神は世界とその中の万物とを造られたお方であり、天地の主であるということです。そして、そのことを根拠として、「手で造った神殿などにはお住みになりません」と告げるのです。アレオパゴスからは、女神アテナの神殿、パルテノン神殿がよく見えたと言われますけども、その神殿を見据えながら、神はそのような神殿にはお住みにならないとパウロは告げるのです。このことは、エルサレム神殿を奉献したソロモンが語ったことでもありました。ソロモンは、神殿を奉献する際こう祈りました。「神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿などなおふさわしくありません。」

 天地万物を造られた神は、天も、天の天もお納めすることのできないお方、ましてや人間の手で造った神殿などにお住みになることはないのです。また、神は天地万物をお造りになった主でありますから、人の手によって仕えてもらう必要もありません。祭壇に供えものをささげる。そこで生じやすい一つの誤解は、人間が神を養っているという誤解です。しかし、真実はまったく逆であります。むしろ、神こそが、すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるお方なのです。私たちが今、生かされて、息をしていること、それは神の御手によることだというのです。そればかりか神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになられたお方であるのです。ここで、パウロが述べていることは、アテネの人々が考えていたことと全く逆のことであります。アテネの人々は、自分たちが神を神殿に住まわせていると考えていた。また、自分たちが神のお世話をしていると考えていたのです。けれども、パウロは、神こそが、私たちに居住地を与え、実りの季節を与えて養ってくださるお方であるというのです。なぜ、神は一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地をお決めになったのか。それは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。このことは、14章に記されていた、リストラの説教の中でもパウロが語ったことでありました。リストラの説教は、今日の御言葉と同じく異邦人に対してなされた説教でありましたけども、そこでパウロはこう告げております。「しかし、神は御自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。」

 神はすべての人に恵みを与えることによって、人が神を求め、神にに感謝をさささげることができるようにとしてくださったのです。そして、実際、神は私たち一人一人から遠くに離れてはおらないのです。「神はわたしたち一人一人から遠くに離れてはおられない。」そのことを論証するために、パウロは旧約聖書ではなくて、ギリシアの詩人たちの言葉を引用しています。このアレオパゴスの説教は、聖書を知らない異邦人への説教でありますから、パウロは聖書のかわりに、彼らがよく知っていた詩人たちの言葉を引用するのです。もちろん、この言葉はギリシアの詩人の言葉ですから、もともとここでの神は、ギリシアの神々の最高神ゼウスのことでありました。けれども、その文脈をまったく無視して、パウロは、詩人たちの言葉を自由に引用しているのです。また、この詩人たちは、ストア派に属していたと言われます。ストア派は、すべてのものに神が宿るという汎神論であります。その汎神論の立場から「我らは神の中に生き、動き、存在する」「我らも神の子孫である」と語っているのです。けれども、その思想的背景をまったく無視して、むしろパウロは自分が語る聖書的な論理の中に取り込んでこのように告げるのです。ここに何とかしてギリシア人に自分が告げる福音を受け入れてもらいたいという伝道者パウロの熱心があるのです。それは至るところに偶像があるのを見た憤りから生じた熱心であると言えます。多くの偶像を見て、パウロの霊は憤った。その憤りは、どのようなかたちで表されるのか。それはまことの神を知らせようとする伝道の熱心として表されるのです。前回、私たちは、パウロがベレアの会堂で、聖書に基づいてユダヤ人たちにメシア・イエスを告げ知らせたというお話しを学びました。それでは、聖書を知らない人びとには、イエス様を宣べ伝えることはできないのかと言えば、そうではありません。私たちは、今日の御言葉を通して、聖書を知らない異邦人にも、真の神を伝えようと格闘する伝道者パウロの姿を見ることができるのです。

 「我らもその子孫である。」この言葉から、パウロは、「神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。」と語ります。これもアテネの人々の考え方の逆を行くものであります。アテネの人々は、「我らもその子孫である」と考えるがゆえに、神々を人に似せて、金や銀や石などの像を造ったのです。「我らもその子孫である。」それゆえ、神々も自分たちと同じような姿かたちをしていると彼らは考えたのです。けれども、パウロは、我々は神に造られ、命と息を与えられた神の子孫であるがゆえに、神を人間の業や考えで造った像と同じものと考えてはいけないというのです。このことは、「人が神のかたちに似せて造られた」という言葉の理解においても生じる混乱であるとも言えます。聖書が「人は神のかたちに似せて造られた」と記すとき、それは肉体のことを指すという誤解が生じます。けれども、神は霊でありますから、それは霊魂においてということが聖書全体を読むとき分かるわけです。ウェストミンスター小教理問答が告白しているように、「神は人を、男性と女性とに、知識と義と聖において御自身のかたちにしたがって創造され」たのです。神と私たち人間のつながり、子孫とまで呼べるつがなりは、この命、霊においてなのであります。ですから、神を命のない、金、銀、石で造った像と同じものと考えてはならない。命をお与えになる神を命を宿さない偶像と同じものと考えてはならないのです。

 30節から31節。「さて、神はこのような無知な時代を、大目にみてくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証を与えになったのです。」

 神は創造と摂理の御業によって、御自身について証しされました。また、ギリシア詩人の言葉の中にも神についての真理は断片的に示されておりました。けれども、彼らは神を探し求めず、自分たちの技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えたのです。そのことは、町の至るところにある偶像が証ししております。そのようなアテネの人々を、パウロは、「このような無知の時代」と語ります。アテネの哲学者たちも、真の神を知ることについては無知であった。そして、それはただ知らなかったということだけではなくて、神に対する罪であったというのです。なぜなら、真の神を知らない無知は、人を偶像崇拝へと駆り立てるからであります。それゆえ、パウロは悔い改めなさいと語るのです。それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからであります。神は世の裁きを、お選びになった一人の人、イエス・キリストにゆだねられたのです。神はイエス様を死者の中から復活させ、すべての人にそのことの確証をお与えになったのであります。イエス・キリストの十字架の死と復活は、神の裁きが必ずあることを私たちに教えているのです。なぜなら、イエス・キリストの十字架こそ、終末の裁きの先取りであったからです。十字架を背負い、ゴルゴダへと進まれる主イエスは、泣きながらついて来る婦人たちにこう言われました。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』という日が来る。そのとき、人々は山に向かっては、『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、丘に向かっては、『我々を覆ってくれ』と言い始める。『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか。」

 ここでイエス様は、御自分がこれから受ける刑罰を、エルサレムの娘たちが受ける刑罰の先取りとしてお語りになっています。そればかりではなく、「生の木」、正しい人でさえこのように厳しい裁きを受けるのであれば、「枯れた木」、罪人であるあなた方はいったいどうなるであろうかと警告なされるのです。けれども、そのイエス様が十字架の死から三日目に復活され、弟子たちにこう言われるのです。「罪のゆるしを得させるための悔い改めが、わたしの名によってあらゆる人々に宣べ伝えられる。あなたがはそのことの証人となる」と。

 このイエス様の二つの言葉を私たちはどのように理解すればよいのか。その答えが、ローマの信徒への手紙4章25節に記されています。「イエスはわたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。」

 これが、イエス・キリストの十字架と復活において起こった出来事であります。神は、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義とされるために復活させられたイエス・キリストに世の裁きをゆだねられたのです。そして、ここに、私たちの希望が示されたのです。神はイエス・キリストを復活させることにより、この方こそが、世の裁き主であることを明かとされました。そして、同時に神は、イエス・キリストを信じる者の罪をゆるし、正しい者として受け入れられることをも確証なされたのです。神は、イエス・キリストを復活させることによって、すべての者を救う道を備えられたのであります。イエス・キリストの復活、それはイエスを主と信じる者たちが同じように復活することの確証でもあるのです。

 32節に「死者の復活ということを聞くと」とあります。死者の復活という教えは、ギリシア人にはなじみのない教えでありました。彼らは霊魂の不滅は信じていても、肉体の復活は信じていなかったからです。むしろギリシア人は、救いとは肉体という牢獄からの魂の解放であるとさえ考えていたのです。それゆえ、ある者はあざ笑い、またある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」とお茶を濁したのでありました。けれども聖書は、パウロについて行って信仰に入った者が何人かいたと記しております。アレオパゴスの議員であったディオニシオ、またダマリスという婦人や他の人々が信仰へと入ったのでありました。

 パウロは、アレオパゴスの説教において、ギリシア人に伝わる言葉を用い、彼らの詩人たちの言葉さえ引用しました。けれども、その教えている内容は、聖書の教えそのものでありました。パウロが、もし死者の復活を語らず、霊魂の不滅を説くならば、多くの人々がパウロの教えを受け入れたかも知れません。けれども、パウロは、彼らが受け入れようが、受け入れまいが、神の真理を大胆に語りました。イエス・キリストの復活を、アレオパゴスにおいても大胆に告げ知らせたのです。そして、神はそのパウロの語る福音を通して、幾人かの救われる者を起こしてくださったのであります。そのことは、多くの方が聖書を知らない日本で、福音を告げ知らせようと格闘する私たちへの励ましに満ちた約束であると言えるのです。

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