信じる主に任せて 2007年9月02日(日曜 朝の礼拝)
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- 村田寿和 牧師
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使徒言行録 14章19節~28節
聖書の言葉
14:19 ところが、ユダヤ人たちがアンティオキアとイコニオンからやって来て、群衆を抱き込み、パウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って、町の外へ引きずり出した。
14:20 しかし、弟子たちが周りを取り囲むと、パウロは起き上がって町に入って行った。そして翌日、バルナバと一緒にデルベへ向かった。
14:21 二人はこの町で福音を告げ知らせ、多くの人を弟子にしてから、リストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返しながら、
14:22 弟子たちを力づけ、「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と言って、信仰に踏みとどまるように励ました。
14:23 また、弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた。
14:24 それから、二人はピシディア州を通り、パンフィリア州に至り、
14:25 ペルゲで御言葉を語った後、アタリアに下り、
14:26 そこからアンティオキアへ向かって船出した。そこは、二人が今成し遂げた働きのために神の恵みにゆだねられて送り出された所である。
14:27 到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。
14:28 そして、しばらくの間、弟子たちと共に過ごした。
使徒言行録 14章19節~28節
メッセージ
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前回は、リストラにおいて、パウロとバルナバがギリシアの神々の化身とされ、いけにえをささげられそうになったというお話しをいたしました。パウロが行った癒しの奇蹟を見た群衆が、「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお降りになった」と声を張り上げ、ゼウスの神殿の祭司までが雄牛を連れてやって来たのです。けれども、今朝の御言葉では、その群衆たちがユダヤ人と一緒になってパウロに石を投げつけたと記されています。神として崇めようとしていたパウロを、今度は石を投げつけて殺そうとしたのです。随分極端な話しのように思えます。なぜこんなことが起こったのか。19節に「ところが、ユダヤ人たちがアンティオキアとイコニオンからやって来て、群衆を抱き込み」とあります。アンティオキアのユダヤ人、これは「神をあがめる貴婦人たちや町のおもだった人々を扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、その地方から二人を追い出した」ユダヤ人たちのことです。また、イコニオンのユダヤ人たちとは「指導者たちと一緒になって二人に乱暴を働き、石を投げつけようとした」ユダヤ人たちのことです。そのユダヤ人たちが、パウロをこの地上から除いてしまおうと、はるばるリストラまでやって来たというのであります。イコニオンからリストラまでは、およそ40キロメートルの道のりであったと言われます。また、アンティオキアからリストラまでは、160キロメートルの道のりであったと言われます。その道のりをユダヤ人たちはパウロを殺害するためにわざわざやって来たのです。並々ならぬ執念と言えます。それほどユダヤ人に取りまして、パウロという男は生かしておけない危険人物であったのです。律法による義ではなく、イエス・キリストへの信仰による義を説き、異邦人をそのまま神の民として迎え入れるパウロは、ユダヤ人にとりまして、自分たちの宗教生活の根本を脅かす危険人物であったのです。それゆえ、ユダヤ人たちはパウロを神を冒涜するものとして、石打の刑に処したのです。もちろん、ここで正式な裁判が執り行われたとは考えられません。かつてステファノが怒りに燃えた人々に取り押さえられ、一斉に石を投げつけられたように、パウロも法の裁きによらない私的制裁、いわゆるリンチによって殺されそうになったのです。私は今、「殺されそうになった」と言いましたけども、パウロに石を投げつけた者たちは、彼がもう死んでしまったと思って、町の外へ引きづり出したのでありました。石を投げつけるのは、殺すためでありますから、その目的を果たしたものとして、ユダヤ人たちはパウロを町の外へ引きずりだしたのです。彼らはパウロを葬ることもせず、獣が食べるにまかせたのでありました。しかし、そこで不思議なことが起こります。弟子たちが周りを取り囲むと、パウロは起き上がって町に入って行ったのです。ここに記されていることは、驚くべき奇蹟であります。瀕死の状態にあったパウロ、いつ息絶えてもおかしくなかったパウロが、自分の足で立ち上がったのです。ここでの「弟子たち」は、パウロが伝えた福音によって、イエス・キリストの弟子となった者たちのことであります。このことから、パウロとバルナバの宣教によって、このリストラにも弟子たちの群れ、キリストの教会が生まれていたことが分かります。この弟子たちは、ユダヤ人と群衆がパウロに襲いかかり、石を投げつけている間は近づくことができませんでしたけども、ようやくパウロのもとに近づくことができたわけであります。そして、彼らがパウロを取り囲むようにして何をしていたのかと言えば、それはおそらく主イエスに祈りささげていたのではないでしょうか。「イエス様、どうぞパウロ先生の命を助けてください」そのように弟子たちは心を合わせて祈ったのだと思います。そして主イエスは、その弟子たちの祈りに応えられ、パウロを癒し、起き上がらせたのです。このようにして、パウロの存在自身が、主イエスを証しするものとなったのです。パウロが再びリストラに入って行き、弟子たちと会い、身をもって復活の主イエスを証ししたのであります。
翌日、パウロとバルナバはデルベへ向かうのでありますが、二人はこの町でも福音を告げ知らせ、多くの人を弟子にしたと記されています。今朝の御言葉には「弟子」という言葉が何度も出てくるのでありますが、この「弟子にする」という言葉は、パウロとバルナバの働きを考えるうえで大切な視点です。彼らは、福音を告げ知らせただけではなくて、その人々をイエスの弟子として教育したのです。弟子とは師であるイエスの教えを学び、その教えに聞き従う者のことです。そして、その弟子の群れがキリストの教会なのです。ここに集う私たちもイエス・キリストの弟子たちであります。私たちは自分のことを、キリスト者とか、主の民とか呼ぶのですけども、そこで忘れてはならないことは、私たちはキリストの弟子であるということです。私たちはキリストの弟子仲間であると言えるのです。福音を告げ知らせ、キリストの弟子を作る。そのことは、主イエスが弟子たちにお命じになったことでもありました。マタイによる福音書の終わりで、復活した主イエスは、弟子たちにこう仰せになりました。「わたしは天と地と一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
イエス様はここで、「すべての民をわたしの弟子にしなさい」と仰せになりました。そして、「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」と言われています。福音宣教とは、福音を告げてそれでお終いではありません。その人たちを弟子とする。そして、その人たちが生涯キリストの弟子として歩むことができるように御言葉をもって養い続けることでもあるのです。それが群れの形成、教会の形成へと繋がっていくわけです。そして、パウロがリストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返したのは、この教会形成のためであったと言えるのです。
パウロとバルナバがデルベを折り返し地点として、リストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返したこと。これは、ただ自分たちが送り出されたシリア州のアンティオキアへ帰るためではありません。ただアンティオキアに帰るだけならば、そのまま進んで、陸路で帰ることができたはずです。デルベから、パウロの故郷であるタルソスには、あともう少しでありましたし、おそらく、陸路の方がアンティオキアに早く帰ることができたと思います。実際、第二回宣教旅行では、パウロは陸路でデルベへと向かっております。しかし、それではなぜパウロはデルベから、リストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返したのか。それは、自分たちの福音宣教によって生まれた弟子たちを力づけ、信仰に踏みとどまるように励ます必要があったからです。パウロ個人だけのことを考えるならば、自分を半殺しにしたユダヤ人たちがいる町に再び足を踏み入れることは避けたかったと思います。しかし、そのパウロの足を進ませたものは、リストラ、イコニオン、アンティオキアにいる主の弟子たちへの並々ならぬ思いでありました。パウロが最初に記した書簡、テサロニケの信徒への手紙一には、パウロの心情が次のように綴られています。「ちょうど母親がその子供を大事に育てるように、わたしたちはあなたがたをいとおしく思っていたので、神の福音を伝えるばかりでなく、自分の命さえ喜んで与えたいと願ったほどです。あなたがたはわたしたちにとって愛する者となったからです。」
パウロは、アンティオキアとイコニオンからやって来たユダヤ人によって、石を投げつけられるという真に厳しい迫害にあったとき、おそらく、アンティオキアとイコニオンに残してきた弟子たちのことを思い起こしたと思います。アンティオキアやイコニオンの弟子たちは、果たして大丈夫であろうか。そのことをパウロは何よりも心配したのだと思います。ですから、パウロとバルナバは再び、リストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返すのです。そして、その町に立てられている教会(家の教会)を訪ねて、弟子たちを力づけ、「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と言って、信仰に踏みとどまるように励ましたのです。
「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」。これは、私たちが今朝、胸に刻むべき御言葉であります。ここでの神の国は、終末的な、完成された神の国のことでありましょう。その神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない、とパウロは語るのです。この「何々せねばならない」と訳される言葉は、神様のご計画における必然を表す言葉であります。例えば、イエス様はペトロの信仰告白を受けて弟子たちにこう仰せになりました。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている」。この「必ず何々することになっている」と訳されている言葉が、先程の「何々せねばならない」と訳されている言葉と同じ言葉であります。つまり、イエス様が苦難を通して栄光へと入られたように、その弟子たちも、多くの苦難を経て神の国に入らなければならない。それが神が定められた、私たちが神の国に入る道筋であるということであります。そして、その道筋をもっと遡るならば、イザヤ書53章に描かれる主の僕にまで遡ることができるわけです。苦難を通して栄光へ、これがイエス様に定められたメシアとしての道でありました。そのことを覚えますとき、イエス様が公生涯を始められてすぐに受けられた悪魔の誘惑の本質が見えてきます。悪魔の誘惑、それはこの苦難を通らずして、自分を栄光のメシアとして表しなさいという誘惑でありました。そして、このことは、イエス様だけではない、私たちの心をたびたび揺さぶる誘惑ではないでしょうか。イエス様は、罪のないお方でありますから、この悪魔の誘惑は外からの言葉として聞こえてきたはずです。しかし、私たちは罪を赦されながらも、罪の残る者たちでありますから、この誘惑が私たちの心の声として聞こえてくるわけですね。そこがやっかいなところなわけです。誰が誘惑するのか。それは古い自分です。自分の内に残る罪であります。「なぜ、キリストを信じて救われていながら、苦しみに遭うのか。キリストを信じても、むしろ苦しみが増すだけではないか」。そのような誘惑が私たちの心から沸き起こってくるわけです。けれども、その誘惑する声に対してはっきりと言わなければならない。「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」。なぜ、そのように言えるのか。それは多くの苦しみを味わわれ、遂には十字架の死を死んでしまわれた主イエスが、復活し、天へと上げられ、栄光の主となられたからです。その主イエスを信じるとき、「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」ということが分かるのです。
今、祈祷会では、ペトロの手紙一を少しずつ学び続けております。このペトロの手紙一は「希望の手紙」とも言われますけども、しかし、学んでいく中で、思わされることは、その希望が苦難を通して与えられる希望であるということです。いやむしろ、その希望が弟子たちの苦難の生活を支えているということであります。例えば、ペトロはその手紙の2章で、「召し使いたちへの勧め」を書き記しております。小アジアの教会には、召し使い、家で使える奴隷たちが多くいたのでありましょう。その召し使いたちに対して、ペトロは、主人に従うようにと勧めます。無慈悲な主人にも従いなさいと勧めるのです。そしてこう語るのです。「不当な苦しみを受けることになっても、神がそうお望みだとわきまえて苦痛を耐えるなら、それは御心に適うことなのです。罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、これこそ神の御心に適うことです」。
ペトロは、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、これこそ神の御心に適うことであると語りました。なぜ、そのように言えるのか。それは主イエスも善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ばれたからです。そして、それは他でもない私たちのための苦しみであったのです。ペトロは続けてこう語っています。「というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。『この方は、罪を犯したことがなく、その口に偽りがなかった。』ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたは癒されました。あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻ってきたのです」。
善を行って苦しむこと、それがここでは主イエスの苦しみとして捉えられています。キリストを信じ、キリストの教えに従う。それこそ、善を行うことであると言えます。しかし、そのとき苦しみが伴う、実際、召し使いたちの背中には、無慈悲な主人から鞭打たれた、ミミズ腫れの傷があったに違いないのです。ミミズ腫れの傷を持つ召し使いたちに、ペトロはこの言葉を語っているのです。イエス様も、十字架につけられる前、肉を裂くとも言われる鞭打ちの刑をお受けになりました。そのことをペトロは思い起こしつつ、その主イエスの傷によって、あなたがたは癒されたと言うのです。そして、あなたがたは今、魂の牧者であり、監督者である方のもとへ戻って来たのだと語るのです。
「神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」。この神の国について、私は先程、終末的な完成された神の国であると申しました。しかし、ペトロの手紙と重ねて考えるならば、それだけでは、多くの苦しみを耐えることはできないと思います。終末的な神の国に入る希望、それが私たちに現在の苦しみを忍耐させるということは確かにあります。けれども、今、ここでキリストによって癒され、救われているという霊的な現実を抜きにして、多くの苦しみを耐えることはできないでありましょう。それこそ、信仰に留まり続けることはできないのです。何事もそうですが、始めるのはたやすいことです。しかし、続けるのは難しいのです。それも困難が伴うならなおさらであります。けれども、神が定められたのは、そのような道でありました。そのような細い道、そのような茨の道をまず主イエスが私たちの模範として歩まれたのです。そして、私たちがその足跡に続くようにと、キリストは教会を立ててくださったのです。23節に、「また、弟子たちのために教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた」と記されています。弟子たちが信仰に留まり続けることができるように、そのために長老たちが立てられたのです。私たちの教会にも、長老たちが与えられております。なぜ、教会に長老たちがいるのか。それは、ここに集う者たちが、信仰に踏みとどまり続けることができるように、教会の全ての営みを整えるためであります。また牧師も長老であると言えます。私たちの教派の憲法である『政治規準』を見ますと、長老には、治会長老と宣教長老の2つがありまして、牧師はその宣教長老であるのです。テモテへの手紙一の5章を見ますと、「御言葉と教えのために労苦している長老たち」という言葉が出て来ます。ですから、この長老たちの中には、御言葉を語る者もいたと思います。なぜなら、神の民は神の言葉によってこそ、励ましを受け、力を与えられるからです。それゆえ、聖書は、「彼らをその信ずる主に任せた」と語るのです。「長老たちに任せた」とは書かずに、「信ずる主に任せた」と書くのです。ここに、この世の組織とは、一線を画する教会の姿があります。パウロは、アタリアから船出し、アンティオキアへ帰るわけでありますけども、そこでパウロとバルナバが報告したことは、「神が自分たちの共にいて行われたすべてのこと」でありました。パウロとバルナバ自身が、自分たちを通して働かれたのは、神御自身であることをちゃんと弁えていたのです。そして、彼らはそのことは、リストラやイコニオン、アンティオキアの弟子たちにおいても同じであると考えたのであります。主が自分たちと共におられたように、彼らとも共にいてくださる。それゆえ、二人は最終的にその群れを信ずる主にゆだねたのです。聖書は、ただ「主に任せた」とは書かずに、「信ずる主に任せた」と記しています。私はこの「信ずる」という言葉はとても大きな意味を持っていると思うのです。私たちは、信じない人に何事も任せることはしません。仕事を任せられるようになるというのは、それは信用してもらえるようになったということを意味します。ですから、もし、私たちがこの教会の歩みを主にゆだねきれていないのであれば、そこには、根本的な不信仰があるのではないかと思わされるのです。私は、この教会の牧師であり、長老の一人でありますから、教会のこれからのことをしばしば考えます。そのとき、心に浮かんでくることは、教会のこれからに対する不安であります。皆さんももしかしたらそのようなことを考えることがあるかも知れません。けれども、今朝の御言葉は、そこに信じる主に任せるという信仰はあるのかと問いかけるのです。もちろん、私は牧師として最善を尽くさなければなりません。しかし、それを用いられるのも主であり、週ごとの礼拝において語る言葉を与えてくださるのも主であることを忘れるならば、それはもはや教会の営みとは呼べなくなります。信じる主に任せるとは、「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と仰せになられた主イエスを信じることであります。その主イエスが、長老たちと共に働き、この教会を霊的に治め、私たちを必ず神の国に入れてくださるのです。
ある注解者は、「パウロが、神が自分たちと共にいて働いておられたことが分かったのは、後から振り返ったときである」と申しておりました。そのときは、必死であったけども、後から振り返ったとき、神が共におられて、自分たちと共に働いてくださったことがよく分かったというのです。この教会の歩みを振り返っても、それと同じことが言えると思います。私たちの教会の歴史を振り返るとき、主が共にいてくださり、私たちと共に働いてくださったことが分かるのであります。信じる主にゆだねるとき、私たちは、私たちを通して働いてくださる主の恵みを見ることができるのです。願わくはこれから5年、10年と過ぎ行くとき、たくさんの主の恵みを見出したいと願うのであります。そのような歩みを、今、信じる主に任せて、共に歩んでいきたいと願うのであります。