アンティオキア教会 2007年6月03日(日曜 朝の礼拝)
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- 村田寿和 牧師
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使徒言行録 11章19節~30節
聖書の言葉
11:19 ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。
11:20 しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。
11:21 主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。
11:22 このうわさがエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。
11:23 バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。
11:24 バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた。
11:25 それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、
11:26 見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。
11:27 そのころ、預言する人々がエルサレムからアンティオキアに下って来た。
11:28 その中の一人のアガボという者が立って、大飢饉が世界中に起こると“霊”によって予告したが、果たしてそれはクラウディウス帝の時に起こった。
11:29 そこで、弟子たちはそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ることに決めた。
11:30 そして、それを実行し、バルナバとサウロに託して長老たちに届けた。
使徒言行録 11章19節~30節
メッセージ
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19節をお読みします。
ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。
遡って8章1節を見ますと、ステファノが殺害された日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行ったと記されています。さらに、8章4節を見ますと、散っていた人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いたと記されています。この散らされた人々が、今朝の御言葉では、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったと言うのです。聖書の巻末に聖書地図がありますが、その6、「新約時代のパレスチナ」を開いていただきたいと思います。地中海沿岸の北の地方、そこがフェニキアであります。この地図の下の方に、距離を示す縮尺が記されていますが、これに従うとエルサレムからフェニキアのティルスまでは、直線にしておよそ180キロメートル離れていたことが分かります。また、キプロス、アンティオキアについては、この6の地図ではおさまりきれず、8の「パウロの宣教旅行2,3」を見なくてはなりません。地中海に浮かぶ島、それがキプロスであります。また、フェニキアのさらに北、シリアにアンティオキアとあります。アンティオキアになりますと、エルサレムから直線距離で、およそ460キロメートル離れています。これを分かりやすく日本に置き換えると、東京から岡山まで、あるいは、東京から盛岡までの距離となります。それほど遠くまで、人々は散って行ったのです。ここに、今朝の御言葉が8章のすぐ後に記されず、この11章に記されている理由があります。つまり、フェニキア、キプロス、アンティオキアまでにたどり着くには、それ相応の時間がかかったということです。思い起こしていただきたいのですが、ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされていた人々の多くは、ステファノと同じ、ギリシャ語を話すユダヤ人、ギリシャ語を母国語とする、外地生まれのヘレニストのユダヤ人でありました。ですから、彼らはギリシャ語を当然話せますし、異邦の民の中で生活することにも慣れておりました。しかし、その彼らでもユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかったのです。ここでの御言葉は、20節にありますように、「主イエスについての福音」であります。主イエスについての福音をユダヤ人以外の誰にも語らなかったと言うのです。これは、コルネリスと出会う前のペトロに代表される教会の姿勢でありました。そもそも、主イエスについて福音は、神のイスラエルに対する約束、旧約聖書の成就でありまして、異邦人にどのような関わりがあるのか、人々にはよく分からなかったのだと思います。また、彼らがユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかったのは、旧約聖書を知らない異教徒に、主イエスについての福音が果たして伝わるのだろうかという疑問があったからだと思います。ペンテコステのペトロの説教を見れば分かりますように、そこでは、旧約聖書の預言の成就として、イエス・キリストの十字架の死と復活が語られています。その旧約聖書を全く知らない人びとに、果たして福音をどのように告げればよいのか。そもそも彼らがそれを理解できるのか。そのような思いもあったのではないかと思います。これは、私たちにもよく分かることだと思います。聖書を全く読んだことのない人たちに、イエス様のことをどう伝えればよいのか。あるいは、他の神々を信じている人にイエス様のことをどう伝えればよいのか。そのことに戸惑ってしまう。その戸惑いのゆえに、口をつぐんでしまうという経験をしたことがあると思います。しかし、そこで驚くべきことが起こりました。20節から21節です。
しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも話しかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。
ここで、アンティオキアがまた出てきます。今朝のお話の舞台、それはアンティオキアでありますので、少し詳しく説明しますと、アンティオキアは、ローマ帝国シリア州の首都であり、ローマ、アレクサンドリアに次ぐ、ローマ帝国第三の都市でありました。人口は50万人を越え、上下水道の設備、本通りの石畳、夜を照らす街灯があったと言われます。また、オロンテス川の沿岸に位置し、交通、貿易の要所でもありました。そのような国際都市アンティオキアにおいて、ユダヤ人以外の人々にも福音が語られたのです。ここでの「ギリシア語を話す人々」これは、ユダヤ人以外で、ギリシア語を話す人々でありますから、ユダヤ人からすれば、異邦人であり、伝道の対象外に置かれていた人々でありました。しかし、ここで、キプロス島やキレネから来た者たちが、ギリシア語を話す人々、旧約聖書を知らない異邦人にも主イエスについての福音を宣べ伝えたのです。これまで、私たちは、エチオピア人の宦官が主イエスを信じたこと、またコルネリウスたちが主を信じたことを学びましたが、これらの人々は、旧約聖書の知識をもった人々でありました。エチオピア人の宦官は、エルサレム神殿に巡礼しておりましたし、ギリシア語に訳されたイザヤ書を朗読しておりました。また、コルネリウスについては、信仰心あつく、一家そろって神を畏れる者であったのです。割礼を受けて、ユダヤ人になるまでには至りませんが、安息日ごとに会堂に集う神を畏れる人であったのです。それに対して、このアンティオキアのギリシャ語を話す人々は、おそらく、旧約聖書について何の知識を持っていなかったと思います。しかし、主イエスについて福音を告げ知らせると、人々は主イエスを信じた、主に立ち帰った者の数は多かったのです。おそらく、伝えた人々たちは驚いたのではないでしょうか。言葉が通じるだけではなくて、福音が通じたのです。聖書を全く読んだことのない人に、イエス様のお話をして、わたしもイエス様を主と信じると言ったというのです。なぜ、このようなことが起こりえたのか。ある人は、ここで主と訳されるキュリオス、また救い主と訳されるソーテールという言葉は、当時の様々な宗教においても用いられていた言葉であったからだと言います。たとえば、聖書を読んだことのない日本人でも、ある神概念というものを誰もが持っていると思います。神様が本当におられるのなら、信じてみたい。こう思っている人も多いのではないかと思います。そして、そのような人に、その神様こそ、聖書が教える天地万物を造られた神様ですよ、イエス・キリストを遣わしてくださった神様ですよと伝えるわけですね。その人が旧約聖書を読んだことがなくても、人は誰でも神のかたちに造られており、宗教の種子というものが備わっているのですから、それを手がかりとして、主イエスについての福音を告げ知らせることができるわけです。それでも、なかなか難しいわけでありますけども、しかしこの時、信じて主に立ち帰った者の数は多かったのです。それは何より、「主がこの人々を助けられた」からでありました。口語訳聖書、新改訳聖書は、このところを「主の御手が彼らと共にあったので」と訳しています。つまり、この人々を通して主が働いてくださったゆえにということであります。主は、信徒たちを用いて思わぬ働きをなしてくださったのです。ここに、「信じて主に立ち帰った者」とありますが、これは少し引っかかる言葉であります。なぜなら、この人たちは、旧約聖書を知らない異邦人たちでありまして、言うなれば、このときはじめて主を知った。主を新しく知ったとも言えるからです。しかし、ルカは「主に立ち帰った」と書きました。そして、おそらく、ギリシア語を話す人々に、福音を告げ知らせた人たちも同じ思いであったと思います。主なる神を信じるということは、主に立ち帰るということなのです。なぜなら、主なる神はユダヤ人の神だけではなく、異邦人の神であり、唯一の神であるからです。また、主なる神は、全ての人の造り主であり、すべての人を今も生かしておられるお方であるからです。全人類の始祖、先祖であるアダムとエバが罪を犯し、神の御許から追放されたように、全人類は命の源である神から離れて、彷徨い生きる者となってしまった。しかし、第二のアダムであるイエス・キリストにおいて、すべての人が神のもとへ帰ることのできるのです。ギリシア語を話す人々にも福音を告げ知らせた人たちは、そのことを弁えていたのではないでしょうか。彼らは外地生まれのギリシア語を母国語とするユダヤ人でありました。彼らはギリシア語を話せるのです。それなのに、なぜ、この良き知らせ、福音をユダヤ人に限定する必要があるのか。彼らはそのように考えたのだと思います。私は、このところを読んで、少しうらやましく思います。なぜなら、このアンティオキアでの出来事は、私たちが置かれている状況と大変似ているからです。私たちも世の人々との関係を考えるとき、言葉としては通じます。同じ言葉を話しています。しかし、福音が通じるかというと、なかなか難しいというのが実情ではないかと思うのです。そして、そのような経験を何度か繰り返すうちに、それが話してもどうせ伝わらないという諦めの法則を作ってしまうのです。あるいは、聖書を読んだことのない人に、イエス様のお話をしても分かってもらえないと初めから諦めてしまうのです。けれども、今朝の御言葉は、そのような私たちに希望を与えてくれます。聖書を読んだことのない、ギリシア語を話す人々が、福音を信じ、主に立ち帰ったというのです。まことの神のもとに立ち帰ったのであります。主の御手が共に働いてくださるとき、そのようなことが起こるのです。この個所を読みまして、主の助けを祈り求めつつ、福音を伝え続けなければならない、そう思わされるのであります。また、主こそすべての人が立ち帰るべき唯一の真の神であることを信じる信仰こそ、この福音宣教の務めを支える力であることを思わされるのです。当時、アンティオキアでは様々な宗教が信じられていたと言われます。しかし、その中にあって、イエス・キリストを主と宣べ伝えるのは、勇気のいることです。私たちも、すでに他の神、他の宗教を持つ人に、伝道するのはことさら勇気を要します。しかし、そこでなお私たちに語る勇気を与えるのは、イエス・キリストこそ、唯一の救い主であり、イエス・キリストの父なる神こそ、唯一の真の神であるという聖書の教える真理であります。神は全ての人がイエス・キリストを信じ、救われることを願っておられる。本当の伝道というものは、この主の心を自分の心としなければできないのではないかと思います。人間的な思いで伝えるならば、その人が信じているものを否定してまで、神様のことを宣べ伝えるのは不可能であると思うのです。同じ人間として、その人が大切に信じているものを偽りであるということは、甚だしい傲慢であると言えます。けれども、そのようなことを言わなくてはならないのは、私たちが福音宣教の主体である主なる神の心に従うからなのです。宣教の主体である神の御心を自分の心として初めて、そこから離れて本当の神に立ち帰らなければいけないと言うことができるのです。そして、その神の心を自分の心とするとき、その言い方は、自然と愛のこもった、相手を敬う言い方になるのだと思います。
さて、多くの異邦人が福音を信じ、そこに主イエスを信じる群れ、教会が生まれたといううわさは、エルサレムにある教会にも聞こえてきました。そこで、エルサレムの教会は、バルナバをアンティオキアへと派遣しました。バルナバは、キプロス島生まれのヘレニストのユダヤ人でありましたから、適任と考えられたのでしょう。アンティオキアでギリシア語を話す人々に福音を伝えたのもキプロス島出身の者でありました。また、バルナバは、使徒たちから「慰めの子」と呼ばれていた程でありますから、その信頼も厚いものがありました。「バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと皆に勧めた」とあります。エルサレムの教会がバルナバを遣わした理由、それはおそらく、アンティオキアに生まれた教会の実体を確かめるためであったと思います。それが本当に、イエスを主とする教会と言えるのかどうか、それを確かめるために、エルサレムの教会は、バルナバを遣わしたのです。しかし、バルナバがそこで見たものは、神の恵みでありました。バルナバは、ギリシア語を話す人々も主イエスを信じる神の恵みをいただいているのを見て喜び、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めたのです。ここにあるのは、前回学んだ11章18節の喜びであります。エルサレム教会は、ペトロの言葉を聞いて、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って神を賛美しました。その賛美がこのアンティオキアでも起こっているのです。こう考えてみますと、このアンティオキアのうわさがエルサレム教会に伝わったタイミングというものは、まさにグッドタイミングであったわけです。もし、このアンティオキアのうわさが、コルネリウスの出来事より前であったなら、エルサレム教会の対応というものはもっと複雑になっていたであろうと思います。しかし、「神のなさることは時に適って美しい」と御言葉にありますように、神は絶妙なタイミングで事を運ばれるのであります。バルナバは、「固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた」とあります。おそらく、このバルナバの勧めを聞いて、一番ほっとしたのは、これまでの慣例を破って異邦人にも福音を告げ知らせた人たちではなかったかと思います。私たちは、もうすでにコルネリウスの物語を学んでおりますから、ここでバルナバがこのように勧めたことは当然のように思うのですが、この人々は、おそらく、コルネリウスのことを全く知らなかったと思います。ですから、エルサレムから派遣されてきた者が何と言うか心配していたのではないかと思うのです。あるいは、ここには全く触れられていませんが、割礼を受けるように求められるのではないかと心配していたかも知れません。しかし、そのようなことは一切ありませんでした。むしろ、固い決心をもって信仰に踏みとどまるようにとの勧めを受けたのです。信じることは大切なことでありますが、信じ続けることはもっと大切なことであります。そこには常に固い決心が求められるのです。ここで「勧めた」と訳されている言葉は、パラカレオーという言葉で、「慰める」とも訳すことができるのです。ですから、バルナバは「慰めの子」ばかりではなく、「勧めの子」とも訳すことができるのです。そして、この記述からも分かりますように、バルナバはまさに「勧めの子」、御言葉を語る教師であったのです。続く24節では、「バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた」と記されています。このように、バルナバは、ただアンティオキアの教会を視察に来ただけではなく、アンティオキアの教会を霊的に支える教師としてエルサレム教会から派遣されたことが分かるのです。前回、学んだように、エルサレム教会は、神が異邦人にも命に至る悔い改めを与えてくださったことを知って、神を賛美いたしました。異邦人も主イエスを信じ救われることが主の御旨であることを彼らは知ったのでありました。そして、そのエルサレム教会がしたことは、説教者であるバルナバを遣わすことによって、生まれたばかりのアンティオキアの教会を御言葉によって育成することであったのです。そして、バルナバはその使命に最も適した人でありました。なぜなら、彼自身がイエス・キリストの福音に生きる人であったからです。バルナバは立派な人で、信仰と聖霊に満ちていたのであります。そのようなバルナバの語る言葉は、どれほど説得力を持っていたかと思います。私も御言葉を語る者として、まず自ら福音に生きなくてはならないと思わされます。私だけではない、私たち一人一人が、聖霊と信仰に満ちて、福音そのものを体現するような歩みをしていきたいと願うのであります。例えば、テサロニケの信徒への手紙一5章16節から18節で、パウロはこう記しています。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。
この御言葉に私たちが生きるならば、福音宣教はもっと進んでいくのではないかと思うのです。
「こうして多くの人が主に立ち帰った」とありますように、バルナバの働きは大きな実りをもたらしました。そのためでしょうか。それからバルナバはサウロを捜しにタルソスへ向かいました。サウロは、エルサレムにおいて、バルナバの執り成しにより、使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れず教えるようになりました。つまり、使徒たちから、正式な教師として認められていたのです。しかし、かつての同胞たちから命を狙われたため、故郷のタルソスへ帰って来ていたのです。そのサウロをバルナバは、見つけ出し、アンティオキアに連れて来たのです。おそらく、バルナバは、かつてサウロから、彼が異邦人に福音を伝える選びの器であることを聞いていたのではないかと思います。それゆえ、アンティオキアこそ、サウロにもっともふさわしい働き場であると考えたのです。なぜなら、アンティオキア教会こそ、初めての異邦人教会であったからであります。このようにして、バルナバとサウロ、後に異邦人宣教を担う二人の器が、アンティオキアで共に主イエスの福音を告げ知らせたのです。そして、そこで外部の人々から、「キリスト者」と呼ばれるほどの群れが生まれたのであります。キリスト者、これは「キリストに属する者」「キリスト党員」という意味です。そのように、他の人たちとは区別される人々の群れが生まれた。ここに、ユダヤ教の一派ではない。ユダヤ教とは区別されるキリストの教会が生まれたのであります。彼らが「キリスト者」と呼ばれるようになったのはなぜか。ある人は、それはおそらく彼らが朝から晩まで、キリストについて語っていたからではないかと言っています。それほど、キリストを伝えることに熱心であったというのです。ここでも、私たちは反省を迫られるのではないかと思います。一体どれだけの人が私たちをキリスト者と呼ぶでしょうか。あるいは、クリスチャンと呼ぶでしょうか。もし、そう呼ばれないならそれはなぜなのかと思わされるのです。このキリスト者、クリスチャンという呼び名は、呼ばれた当初は、そこに軽蔑の思いが込められていたかもしれません。しかし、信者たちは、この「キリスト者」という言葉を光栄ある呼び名として受け入れたのです。私たちはキリスト者とされている。私たちはキリストの名をいただく者とされているのです。こんなに光栄なことはないと喜んだのであります。私たちは生きるにも死ぬにも、キリストのものであります。キリスト者なのです。そのことを、今朝改め思い起こしたいと願います。
さて、最後に27節以下を学んで終わりたいと思います。27節に、「そのころ、預言する人々がエルサレムからアンティオキアに下って来た」とあります。この預言する人々は、飢饉を預言するというような将来に起こることを告げる場合もありますけども、それだけではなく、神の言葉を語る預言者たちでありました。第一コリント書12章に聖霊の賜物のリストが記されていますが、そこで、パウロはこう語っています。
神は、教会の中でいろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇蹟を行う者、その次に病気をいやす賜物を持つ者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです。
ここで預言者は、使徒の次、教師より前の二番目に挙げられています。ですから、ここで、エルサレムから預言者が下ってきたのも、バルナバを遣わした理由と同じであることが分かります。つまり、この預言者たちは、アンティオキアを御言葉により、霊的に支え、育成するためにエルサレムから来た者たちであったのです。エルサレム教会は、このようにしてアンティオキアに生まれた異邦人教会を支え続けたのです。そして、アンティオキア教会も、そのエルサレム教会を援助の品をもって支えるのです。アガボの預言した飢饉は、おそらく46年に起こった飢饉であろうと言われています。ユダヤの歴史家ヨセフスによると、その飢饉のためにエルサレムでは多くの死者が出たと言われています。そのエルサレム教会を助けるために、アンティオキア教会の弟子たちは、それぞれの力に応じて、援助の品を送ったのです。先程、引用した第一コリント書の聖霊の賜物のリストには、「援助する者」と記されておりました。アンティオキア教会は、聖霊の導きのもとに、それぞれの力に応じて、自発的に、援助することを決めたのです。ちょうど、今月一ヶ月間、私たちの教会では、受付に自由募金箱を置いて、四国中会と東北中会のためにささげようとしているわけでありますけども、そのように、それぞれの力に応じて、ささげたわけであります。ここに、まことに麗しい主にある交わりの姿をみることができます。エルサレム教会は、アンティオキア教会が生まれたことを聞きつけ、教師であるバルナバを遣わしました。そればかりか、預言者たちは自らアンティオキア教会の力になろうとエルサレムから下って来ました。また、エルサレム教会が飢餓で苦しんでいると聞けば、今度はアンティオキア教会の弟子たちがそれぞれの力に応じて援助の品を贈ったのです。このような具体的な交わり、支え合いを通して、教会は一つのキリストの教会であることを証ししているのです。私たちは今朝の御言葉を通して、私たち羽生栄光教会が、日本キリスト改革派に連なる一つの枝であることを改めて覚えたいと願います。