サウロの回心 2007年3月11日(日曜 朝の礼拝)

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サウロの回心

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
使徒言行録 9章1節~9節

聖句のアイコン聖書の言葉

9:1 さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、
9:2 ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。
9:3 ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。
9:4 サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。
9:5 「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
9:6 起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」
9:7 同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。
9:8 サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。
9:9 サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。使徒言行録 9章1節~9節

原稿のアイコンメッセージ

 1節から2節をお読みいたします。

 さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それはこの道に従う者を持つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。

 今朝の御言葉には、後の使徒パウロ、サウロが出てきます。これまでにも、サウロは何度か出てきました。例えば、8章1節に、「サウロはステファノの殺害に賛成していた。」と記されていました。また、8章3節にも「一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。」と記されておりました。ステファノの殺害をきっかけとして、その日、エルサレムの教会に大迫害が起こりましたけども、サウロは、その迫害の急先鋒であったわけです。サウロは、エルサレムにおいて、家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていたのです。このようなサウロの迫害の手が、エルサレムから200キロメートル以上も離れているダマスコまで及ぶのであります。パウロは、エルサレムだけでは飽きたらず、ダマスコにまで迫害の手を伸ばすのであります。聖書の巻末に聖書地図がありますけども、その6の「新約時代のパレスチナ」というところを見ると、ダマスコがどれほどエルサレムから遠く離れていたかが分かります。このような遠い所に、サウロが向かったことは、彼のキリスト教会への敵意がどれほど激しいものであったかを物語っております。何がサウロをこれほどまでに駆り立てていたのか。はじめにそのことをお話ししたいと思います。

 今朝の御言葉に記されている、サウロの回心と呼ばれる出来事は、使徒言行録に、実は3回記されています。1回目が今朝の御言葉の9章であり、2回目は、22章のユダヤ人に対するパウロの弁明の中で、3回目は、26章のアグリッパ王の前でのパウロの弁明の中で記されています。今朝の御言葉の9章は、出来事の描写ですが、22章、26章はそれぞれパウロの口から弁明というかたちで語られております。そのパウロ自身の言葉から、この時のパウロがどのようなことを考えていたのかを知ることができます。はじめに、22章のパウロの言葉を読んでみたいと思います。22章の3節から5節をお読みいたします。

 「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。わたしはこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです。このことについては、大祭司も長老会全体も、わたしのために証言してくれます。実は、この人たちからダマスコにいる同志に宛てた手紙までもらい、その地にいる者たちを縛り上げ、エルサレムへ連行して処罰するために出かけていったのです。」

 この22章のパウロの言葉から分かることは、彼がキリキア州タルソスの出身でありながら、エルサレムで育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、当時のユダヤ人と同じように、熱心に神に仕えていたことであります。つまり、神への熱心、律法への熱心からキリスト教会を迫害していたのです。神への熱心と律法への熱心は、これは重なるものであります。なぜなら、律法は神の言葉であり、神への熱心は、律法を守るという仕方で表されると考えられていたからです。ここでパウロは「今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていた」と語っていますが、果たして当時のユダヤ人がどのようにして熱心に仕えていたのでしょうか。そのことをパウロは、ローマの信徒への手紙の9章30節から10章4節において記しています。ローマの信徒への手紙は、使徒パウロの晩年の手紙であり、9章から11章までは同胞の民イスラエルの救いについて語っているところでありますけども、その9章30節から10章4節でパウロはこう書き記しています。

 では、どういうことになるのか。義を求めなかった異邦人が、義、しかも信仰による義を得ました。しかし、イスラエルは義の律法を追い求めていたのに、その律法に達しませんでした。なぜですか。イスラエルは、信仰によってではなく、行いによって達せられるかのように、考えたからです。彼らはつまずきの石につまずいたのです。「見よ、わたしはシオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。これを信じる者は、失望することがない」と書いてある通りです。兄弟たち、わたしは彼らが救われることを心から願い、彼らのために神に祈っています。わたしは彼らが熱心に神に仕えていることを証ししますが、この熱心さは、正しい認識に基づくものではありません。なぜなら、神の義を知らず、自分の義を求めようとして、神の義に従わなかったからです。キリストは律法の目標であります、信じる者すべてに義をもたらすために。

 このように、ユダヤ人は、自分の行いによって、神の御前に義としていただけると考え、律法を守るという仕方で、熱心に神に仕えていたのです。そして、パウロは、自分もかつてそのような仕方で熱心に神に仕えていたと振り返っているのであります。 

 続けて、26章に記されている、アグリッパ王の前でのパウロの弁明の言葉を読んでみたいと思います。使徒言行録の26章4節から11節です。

 「さて、私の若いころからの生活が、同胞の間であれ、またエルサレムの中であれ、最初のころからどうであったかは、ユダヤ人ならだれでも知っています。彼らは以前から私を知っているのです。だから、私たちの宗教の中でいちばん厳格な派であるファリサイ派の一員として私が生活していたことを、彼らは証言しようと思えば、証言できるのです。今、私がここに立って裁判を受けているのは、神が私たちの先祖にお与えになった約束の実現に、望みをかけているからです。私たちの12部族は、夜も昼も熱心に神に仕え、その約束の実現されることを望んでいます。王よ、私はこの希望を抱いているために、ユダヤ人から訴えられているのです。神が死者を復活させてくださるということを、あなたがたはなぜ信じ難いとお考えになるのでしょうか。実は、私自身も、あのナザレの人イエスの名に大いに反対すべきだと考えていました。そして、それをエルサレムで実行に移し、この私が祭司長たちから権限を受けて多くの聖なる者たちを牢に入れ、彼らが死刑になるときは、賛成の意志表示をしたのです。また、至るところの会堂で、しばしば彼らを罰してイエスを冒涜するように強制し、彼らに対して激しく怒り狂い、外国の町にまでも迫害の手を伸ばしたのです。」

 この26章から分かりますことは、パウロが最も厳格な宗派であるファリサイ派に属していたこと、であります。これは、22章でも見た、律法への熱心をよく表しています。ファリサイ派は、律法を日常生活においても守ろうとしたひときわ熱心なグループでありました。また、かつてパウロ自身も、あのナザレの人イエスの名に大いに反対すべきだと考えていたことが記されています。これは、イエスが、最高法院によって有罪とされ、十字架にかけられて死んだということだけを考えるならば、当然のことであります。最高法院は、当時のユダヤの最高機関であります。その最高法院の判決というものは、神の名によるものであり、言わば神の御意志として受けとめられていたわけです。その最高法院によって、罪に定められ、しかも木にかけられるという呪いの死を死んだイエスを、神が復活させられ、メシアとなされた。この使徒たちの教えは、パウロにとって、到底受け入れられない、大いに反対すべきものと思われたのです。しかし、以前も、申しましたように、神がイエスを復活させ、メシアとなされたというだけでは、迫害の対象にはならなかったわけですね。誰々がメシアであると主張するだけであるならば、当時のイスラエルの宗教の枠組みの中に留まることができたわけです。そもそも、迫害とは、正統信仰から外れた異端に対するものでありますから、イエスがメシアであると主張しても、律法に従って生活している限りは、正統的なイスラエルの宗教の一派として留まることができたわけです。ですから、確かにパウロがナザレのイエスの名に大いに反対すべきだと考えていたことは事実でありますけども、パウロがキリスト教会を迫害した最も大きな要因は、何よりも律法への熱心からであったと言えるのです。

 新約聖書には、パウロが書いた手紙が収められていますが、そこで、パウロが記していることも、やはり律法の熱心ということであります。ガラテヤの信徒への手紙1章13節から14節で、パウロはこう記しています。

 あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聴いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりユダヤ教に徹してようとしていました。

 また、フィリピの信徒への手紙、3章で、パウロは自分の過去を振り返りつつ、こう記しています。フィリピの信徒への手紙の3章5節から6節。

 わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。

 このように、パウロが書いた手紙からも、パウロが律法に対する熱心のゆえに、教会を迫害していたことが分かるのであります。 

 先程から私は「サウロがキリスト教会を迫害した」と語っておりますが、しかし、もう少し正確にいうと、パウロが迫害したのは、ギリシャ語を話す、ヘレニストのユダヤ人のグループでありました。ステファノの殺害をきっかけとして、その日、エルサレム教会に対して大迫害が起こったのでありますけども、そこでの迫害の対象とされたのは、ステファノと同じ、ギリシャ語を話すユダヤ人であったと考えられているのです。祈りの時間にちゃんと神殿に詣でていたヘブライ語を話すユダヤ人である使徒たちは迫害の対象とはならずに、ギリシャ語を話す、ヘレニストのユダヤ人だけが迫害の対象となったのであります。それはなぜか。それは、ヘレニストのユダヤ人グループの方が、律法に対して急進的な立場を取っていたからであります。一言でいいますと、ヘレニストのユダヤ人は、イエスの名による律法からの自由を唱えていたのです。このことは、以前学んだステファノの説教を思い起こすならばすぐに分かります。ステファノは、そこで、イエスこそ、モーセが預言した「わたしのような預言者」、つまりメシアであること。そして、イエスがメシアとして来られ、その支配を天に確立された以上、神殿における動物祭儀は不要となる、新しい時代が到来したことを告げました。これは律法を守ることが神に仕えることであるという当時のユダヤ人の考え方を根本から破壊する危険思想であったわけですね。このような、イエスの名による律法からの自由という考え方が、同じ七人に選ばれていたフィリポにも共有されていたがゆえに、フィリポは、サマリア人に福音を宣べ伝えることができましたし、また、異邦人であり、宦官であったエチオピア人の高官にも、福音を宣べ伝え、洗礼を授けることができわけであります。そして、何より、主の霊が、そのようにフィリポを用いて働いてくださった。このことは、フィリポの働きが主イエスの御心に適っていることの証拠でもありました。そして、それはまた、彼らが主張した、イエスの名による律法からの自由という主張が正しいことの証しでもあったのです。しかし、多くのユダヤ人はそのようには考えてはいなかったわけですね。イエス様をメシアとして認めていないわけですから、そのようには考えませんでした。彼らは、神様の掟を守ることが、神に仕えることであり、それによって、人は神の御前に義としていただけると考えていたわけであります。そして、このことは、サウロにおいても同じであったのです。

 さて、今朝の御言葉に戻ってお話ししたいと思いますが、ここで、サウロが、なおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んでダマスコに向かったのは、律法に対する熱心、神様に対する熱心であったということは、お分かりいただけたと思います。イエス様はヨハネによる福音書16章2節で、弟子たちに、こう仰せになりました。「人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る。」

 まさにサウロは、神に奉仕していると考えて、主の弟子たちを迫害していたのでありました。そのことは、彼が大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めたことにもよく現れています。サウロは、個人的にではなく、公に、つまり神の名によって、この道に従う者たちを迫害しようとしたのです。彼は主イエスによって神の民とされた者たちを同じ神の名によって殺害しようとしていたのであります。このところを読みますと、私たちは、真に自信に溢れた、意気揚々とダマスコへ向かうサウロの姿を想像することができるのです。自分は正しいことをしている。自分は神に仕えている。彼はそのように信じて疑わなかったわけです。

 サウロがダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らしました。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いたのです。この天からの光は、26章のパウロの言葉によれば、太陽より明るく輝く光でありましたから、これは、栄光の主がサウロに現れてくださったということであります。それゆえ、サウロは立っていることができず、地に倒れたのです。そして、「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」という天からの声を聞いたのです。主は、この男の名を知っておられ、「サウル、サウル」と呼びかけるのであります。それに対して、サウロは、この声が主なる神の御声であることは分かりましたが、その主が誰であるかは分かりませんでした。サウロは主に熱心に仕えてると考えたとしても、主を迫害しているなどと夢にも思わなかったからです。それゆえ、サウロは、「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねるのであります。それに対して主はこうお答えになりました。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」

 ここで、サウロは、主から直接、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」と教えられます。サウロは主に熱心に仕えているつもりで、イエスの弟子たちを迫害しておりましたけども、あなたが迫害していたのは、わたしであると主イエスは仰せになるのです。ここで、注目すべきは、主イエスがご自身と弟子たちを同一視しておられるということです。主の弟子たちを迫害することは、わたしを迫害することであるとイエス様は仰せになるのです。かつて、イエス様は弟子たちに「あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。」と仰せになりましたが(ルカ10:16)、ここでもイエス様は、御自分と弟子たちを一体的に見なし、「なぜ、わたしを迫害するのか」と仰せになるのです。「なぜ、わたしの弟子たちを迫害するのか」ではなくて、「なぜ、わたしを迫害するのか」とイエス様は仰せになるのです。

 このことは、私たちに大きな慰めを与えてくれるのではないかと思います。私たちは、この世の悲惨や苦しみに遭うとき、イエス様の存在を遠くに感じることがあります。自分が悩み苦しんでいても、イエス様は天におられ、栄光の座にお着きになり、涼しい顔をしていると考えてしまうからです。私たちの罪を担い、苦難の道を歩まれたイエス様は近くに感じても、復活して、天へと昇り、父なる神の座にお座りになった栄光の主イエスはどこか遠くに感じてしまうのであります。それは、栄光の主イエスが私たちの苦しみと関わりをもってくださらないと考えてしまうからであります。しかし、今朝の御言葉によれば、それは間違いであるということが分かるのです。確かに主イエスは、十字架と復活によって、罪と死の支配に勝利なされた栄光の主であられます。しかし、だからといって、私たちの苦しみをもはや気にもとめない主イエスとなられたのではありません。「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」そのように栄光の主イエスは仰せになるのです。私たちが、この地上にあって、嘆き苦しむとき、それを涼しい顔をして、眺めているような主イエスではありません。イエス様は、私たちが御名のゆえに、苦しみ、辱めを受けるときに、それをご自身の苦しみとして引き受けられるお方であるのです。そして、そのような神であられるからこそ、私たちは主イエス・キリストを信じることができるし、宣べ伝えることができるのです。この罪と悲惨の世にあって、神を宣べ伝えることは、たいへん勇気のいることだと思います。神がおられると言うならば、「それはひどい神ですね。このようなひどいことが起こるのをゆるされるのだから」と言われてしまいそうです。しかし、私たちは、神がおられることを、そして、その神が、私たちの罪と悲惨を担うために、十字架に死に、復活なされたことを告げることができるのです。それはなぜか。それは、十字架と復活の主であるイエスが、今も生きて、天において働いておられるからです。十字架と復活の主イエスが、今も、私たちを通して働いてくださるからであります。そして、私たちの嘆きや悲惨をご自身のものとして、今も担い続けていてくださるからです。だから、どのような悲惨な状態にありましても、神の存在を信じることができないような状態にありましても、私たちは主イエスを信じ、また宣べ伝えることができるのです。主イエスが、私たち以上に、その痛みや苦しみを自らのものとしてくださるのです。栄光の主イエスは、十字架のイエスであるとうことを忘れてはなりません。栄光のイエス様の手には、今なお十字架のはりつけにされた傷跡があることを、私たちは忘れてはならないのです(ヨハネ20:27)。

 さて、7節に「同行した人たちは、声は聞こえても、誰の姿も見えないので、ものも言えずに立っていた。」と記されていますから、サウロ以外の人は、栄光の主イエスを見なかったようであります。しかし、「声は聞こえても」とありますように、このことは、サウロだけが見た幻ではなくて、他の人々も経験した実際に起こった出来事でありました。

 サウロは、地面から起き上がり、目を開けたが、何も見えませんでした。それゆえ、人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行ったのです。自信に溢れ、意気揚々としていたサウロが、ここでは、人に手を引いてもらわなければ歩くこともできない、まことに無力な者とされているのです。栄光の主イエスは、このようにして、自分の力により頼むサウロの傲慢な心を打ち砕き、低い、へりくだった心へと導かれるのです。そして、サウロが目を開けたが、何も見えなかったということは、サウロのこれまでの過ちを象徴的に表しています。彼は主に熱心に仕えているつもりでありました。けれども、実は、主イエスに逆らう者、主なる神にこぶしを振るう者であったのです。自分がいかに霊的に盲目であったのか。そのことをサウロは、深い闇の中で知ることになるのです。目を開けても見ることができない、その深いの闇の中で、サウロは深い悔い改めへと導かれるのです。

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