エチオピア人伝道 2007年3月04日(日曜 朝の礼拝)
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- 村田寿和 牧師
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使徒言行録 8章26節~40節
聖書の言葉
8:26 さて、主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である。
8:27 フィリポはすぐ出かけて行った。折から、エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て、
8:28 帰る途中であった。彼は、馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた。
8:29 すると、“霊”がフィリポに、「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と言った。
8:30 フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。
8:31 宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。
8:32 彼が朗読していた聖書の個所はこれである。「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、/口を開かない。
8:33 卑しめられて、その裁きも行われなかった。だれが、その子孫について語れるだろう。彼の命は地上から取り去られるからだ。」
8:34 宦官はフィリポに言った。「どうぞ教えてください。預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。自分についてですか。だれかほかの人についてですか。」
8:35 そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。
8:36 道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。宦官は言った。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」
8:37 (†底本に節が欠落 異本訳)フィリポが、「真心から信じておられるなら、差し支えありません」と言うと、宦官は、「イエス・キリストは神の子であると信じます」と答えた。
8:38 そして、車を止めさせた。フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けた。
8:39 彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた。
8:40 フィリポはアゾトに姿を現した。そして、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、カイサリアまで行った。使徒言行録 8章26節~40節
メッセージ
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サマリアでキリストを告げ知らせたフィリポに、主の天使は、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言いました。「そこは寂しい道である」とありますように、どうやら人通りの少ない道であったようです。ここで、「寂しい道」と訳される言葉は、「荒れ野」とも訳される言葉であります。伝道には不向きと思われるところへ主の天使はフィリポを遣わされるのです。そして、フィリポはその言葉にすぐに従って出かけていったのでありました。しかし、そこで、主の天使は、フィリポに思いがけない出会いを用意されていたのであります。ちょうど、そのとき、エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て、帰る途中であったのです。当時のエチオピアは、南エジプトに位置しておりました。旧約聖書では「クシュ」と呼ばれていた国であります。現在で言えば、スーダンの位置にあたります。いずれにしてもエルサレムからほど遠い国から、このエチオピア人は巡礼の旅に来ていたのです。その昔、族長のヨセフが、エジプトの王ファラオに次ぐ第二の地位を与えられ、ファラオの全財産を管理したことが創世記に記されておりますが、このエチオピア人も、かつてのヨセフのように、エチオピア女王カンダケの全財産を管理していた、まさしく高官であったのです。ただ一つ違うことは、このエチオピア人は、女性の王に仕えていたゆえに宦官であったことであります。宦官とは、宮廷に仕えるために去勢をした男性のことをいいます。宮廷の女性たちに対して間違いを犯さないように、男性な大切なところを切り落としてしまうのです。このエチオピア人の宦官は、はるばるエルサレムに来て礼拝をささげるほど熱心な人でありました。しかし、彼は自分が主なる神の民に加わることができない、その現実をよく分かっていたと思います。といいますのは、申命記の23章2節から3節にこのように記されていたからです。旧約聖書の316頁。申命記の23章2節から3節をお読みします。
睾丸のつぶれた者、陰茎の切断されている者は主の会衆に加わることはできない。混血の人は主の会衆に加わることはできない。十代目になっても主の会衆に加わることはできない。
わたしは、もしかしたらこのエチオピア人の宦官は、この両方に当てはまったのではないかと思います。当時のエチオピア人は、エジプトに代表されるハム系と(創世10:1)、先住民の黒人との混血であったと言われているからです。もしかしたら、このエチオピア人は、肌の黒い人であったと考えられているのです。エチオピア人は、ただ異邦人というだけではなくて、混血の民であったのです。また、このエチオピア人は宦官と言われていますように、陰茎を切断されている者であったのです。このように、申命記の規定によれば、このエチオピア人は、二重の壁によって、主の会衆に加わることを阻まれていたわけであります。事実、彼は、はるばるエルサレム神殿に礼拝に来たものの、その神殿の一番外側、異邦人の庭までしか立ち入ることができなかったわけであります。エルサレム神殿は、神が御臨在される至聖所を中心として、いくつかの区域に限られていたわけですね。一番外側が異邦人の庭、次は婦人の庭、次は男子の庭、そして、聖所、至聖所と、区切られていたわけです。ですから、いくらエチオピアから来たと言っても、彼は神様から一番遠いと考えられていた外側の異邦人の庭にしか入ることができなかったわけです。このようなエチオピア人の宦官であった彼が、なぜイスラエルの神を畏れ、崇め続けることができたのか。これは、一つの大きな疑問であると思います。申命記によれば、自分は会衆に加われないと書いてあるのに、なぜ、このエチオピア人の宦官は、主なる神を慕い求めてエルサレムまではるばるやって来たのであろうか。これが一つの大きな疑問であります。その答えを知る手がかりが、宦官が朗読していた預言者イザヤの書にあると思います。なぜ、宦官は、イザヤ書を朗読していたのか。なぜ、エレミヤ書でも、エゼキエル書でもなくて、イザヤ書なのか。また、士師記でも、サムエル記でもなくてイザヤ書なのか。それは、おそらく、彼がイザヤ書を最も愛読していたからではないかと思います。なぜなら、預言者イザヤは、異邦人にも、宦官にも、主の救いが実現する日が来ることを預言していたからであります。イザヤ書56章1節から8節にこう記されています。旧約聖書の1153頁です。イザヤ書の56章1節から8節をお読みします。
主はこう言われる。正義を守り、恵みの業を行え。わたしの救いが実現し/わたしの恵みの業が現れるのは間近い。いかに幸いなことか、このように行う人/それを固く守る人の子は。安息日を守り、それを汚すことのない人/悪事に手をつけないように自戒する人は。主のもとに集ってきた異邦人は言うな/主は御自分の民とわたしを区別される、と。宦官も言うな/見よ、わたしは枯れ木にすぎない、と。なぜなら、主はこう言われる/宦官が、わたしの安息日を常に守り/わたしの望むことを選び/わたしの契約を固く守るなら/わたしは彼らのために、とこしえの名を与え/息子、娘を持つにまさる記念の名を/わたしの家、わたしの城壁に刻む。その名は決して消し去られることがない。また、主のもとに集ってきた異邦人が/主に仕え、主の名を愛し、その僕となり/安息日を守り、それを汚すことなく/わたしの契約を固く守るなら/わたしは彼らを聖なるわたしの山に導き/わたしの祈りの家の喜びの祝いに/連なることを許す。彼らが焼き尽くす献げ物といけにえをささげるなら/わたしの祭壇で、わたしはそれを受け入れる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。追い散らされたイスラエルを集める方/主なる神は言われる。既に集められた者に、更に加えて集めよう、と。
すこし長く読みましたが、ここには異邦人も宦官も、イスラエルの民と同じように、主の民とされることが預言されています。申命記の23章によれば、陰茎を切断された者、また混血の民、異邦の民は、イスラエルの会衆に加わることはできませんでしたけども、イザヤは、異邦人も、宦官も、何の区別なく神の民として救われる、恵みの日を預言したのあります。しかし、それは、1節の後半に「わたしの救いが実現し/わたしの恵みの業が現れるのは間近い」とありますように、いまだ実現していない、将来のことでありました。事実、エルサレム神殿に訪れてみても、異邦人の庭から先に進むことはできず、まだ、イスラエル人と異邦人、宦官との区別は取り除かれていなかったのであります。ですから、エチオピア人の宦官にとりまして、まさにイザヤ書56章は、慰めと希望を与える御言葉であり、彼の信仰を支えてきた御言葉ではなかったかと思います。そして、このイザヤ書56章に描かれている救いをもたらすものこそ、イザヤ書53章に記されている主の僕、メシアであると考えられていたのです。
使徒言行録に戻りましょう。新約聖書の229頁です。
29節からですが、すると、霊がフィリポに、「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と言い。フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読していたのが聞こえました。ここで、「朗読していた」とありますように、黙読していたのでははなくて、声に出して読んでいたのです。当時は、私たちがするように目で読む習慣はなく、大きな声を出して読んだそうであります。ここで「朗読する」、「読む」と訳されている言葉は、もともとは、「二度知る」という言葉であります。朗読するとは、二度知ることであるというのです。それはおそらく、一度は目で知り、二度目は耳で知るということだと思います。一度は目で知って、それを声に出す。その声を自分の耳で聞く、これで二度知るということだと思います。わたしが尊敬しています、ある牧師先生が、説教の中で、聖書の御言葉は声を出して読まれなければいけないんだ、と仰ったことがありました。また、私たちは、誰かが読んだ御言葉を自分の耳で聞かなければならないと言われたことがありました。家族にクリスチャンがいるならば、一緒に聖書を声を出して読み、それを聞く。また、家族に自分しかクリスチャンがいない場合は、自分一人でもいいから、声を出して聖書を読んで、またそれを自分の耳で聞く。そういうことがどうしても必要なのだと強調されたことがありました。なぜ、そうなのか。それは聖書の言葉のもともとの性質によるものだと思うのですね。聖書は、生きた神の言葉でありますから、聖書というものは声を出して読まれるという性質をはじめから帯びているのだと思いますね。そのことをは、昔のことを考えればよく分かるのではないかと思います。現代の私たちは、一人一人に聖書が行き届いている大変恵まれた状態にあるわけですけども、当時人々が聖書の御言葉に接するのは、それこそ、会堂において聖書が読まれるのを聴くことを通してであったわけです。神の言葉である聖書は、もともと神の民に語りかける言葉として、神の民に聴かれる言葉として記されたわけであります。ですから、もっとも聖書が正しく、ふさわしく読まれるのは、神が礼拝される場であることは、聖書の生い立ちを考えるならば、当然であると言えるわけです。もちろん、私たちはイエス・キリストを通して、いつでも、どこでも、家庭でも、個人でも神様を礼拝することができるわけでありますから、そのことは主の日の礼拝に限られたことではありません。また、声を出して読みたくても、周りの人の迷惑になることもありますから、必ずしもいつも声を出して読むことができるわけではありません。けれども、聖書の言葉、神の言葉は声を出して読んで、耳で聞くことが、大切な一つの読み方であることは、覚えておいてもよいのではないかと思います。そして、ゆるされるならば、声を出して聖書を読み、読まれた聖書の言葉を耳で聴くことを皆さんも大切にしていただきたいと願います。
フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでいることが分かりますか」と尋ねました。それに対して宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだのでありました。このエチオピア人は、女王の全財産を管理するというほどの高官でありながら、謙虚な人でありますね。彼は分からないことを素直に認めて、ユダヤ人であるフィリポに手引きを求めたのであります。彼が朗読していた聖書の個所は、次のようなものでありました。
「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように/口をひらかない。卑しめられて、その裁きも行われなかった。だれが、その子孫について語れるだろう。彼の命は地上から取り去られるからだ。」
ここに記されているのは、少し言葉は違いますけども、イザヤ書の53章7節、8節の御言葉であります。イザヤ書53章は、主の僕の苦難と栄光について預言されている個所であります。そこには、多くの人が正しい者とされるために、彼らの罪を自ら担う主の僕の苦難と栄光が預言されています。そして、主の望むことが、この僕を通して実現されると預言されていたのです。この僕が一体誰を指すのか、宦官はフィリポに、こう尋ねるのです。
「どうぞ、教えてください。預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。自分についてですか。だれかほかの人についてですか。」
この宦官の質問は、先程見たイザヤ書56章に記されている異邦人や宦官の救いが、この主の僕によってもたらされると考えられていたことを、思い起こすならば、どれほど宦官にとって真剣な問いであったかが分かります。宦官は、知的な欲求を満たすために、フィリポに尋ねているわけではないのです。宦官にとって、この問いは自分の救いに関わる、まさに実存的な問いであったのです。
そこで、フィリポは、口を開き、聖書のこの個所から説き起こして、イエスについて福音を告げ知らせたのでありました。この苦難の僕こそ、十字架に死に、三日目に復活されたイエスであると告げたのであります。宦官が、この時、イザヤ書の53章を朗読していたことは、これは神様のくすしき導きとしか言いようがありません。なぜなら、この個所ほど、主イエスがどのようなお方であるかを証ししてるところはないからです。この苦難の僕こそ、イエス様である。これは、実はイエス様ご自身が使徒たちに教えてくださったことでもありました。ルカによる福音書22章の37節、最後の晩餐の席でイエス様は使徒たちにこう仰せになりました。「言っておくが、『その人は犯罪人の一人に数えられた』と書かれていることは、わたしの身に必ず実現する。わたしに関わることは実現するからである。」
ここで、イエス様は、『その人は犯罪人の一人に数えられた』というイザヤ書の53章12節の御言葉を引用し、御自分こそが、多くの人が正しい者とされるために、彼らの罪を自ら担う、主の御心を成し遂げる僕であると仰せになったのでありました。そして、そのことをイエス様は復活した後も、弟子たちに何度も現れ、教えられたのでありました(ルカ24:25-27、45-47)。フィリポは、直接、復活のイエス様に教えられたのではなかったと思いますけども、使徒たちを通して、イエス様こそが、主の僕であり、メシアであるとの聖書の説き明かしに預かり、信じたのでありました。そして、今、そのフィリポが今度は、聖書のこの個所からイエスについての福音を告げ知らせるのであります。聖書が預言し、イエスご自身が実現し、説き明かされた福音が、弟子たちの口を通して、広まっていくのであります。私たちが、毎週、説教を聴いている目的も、ここにあるわけですね。礼拝に集うとき、皆さんは神様の言葉を受ける側、聴く側となるわけですね。説教者を通して語られる神様の言葉を聴く、まさにインプットするわけであります。しかし、そこで終わっていまうならば、これはいつまでも福音は広がっていかないわけであります。インプットばかりしていては不健全でありまして、アウトプットもしていかなければならない。つまり、福音を聴いた者として、今度は自分が福音を語る者にならなければならないわけであります。その一つの助けとして、貧しいものでありますけども、説教原稿を印刷し、受付に置いているのであります。
フィリポが、イエスについての福音を告げ知らせ、道を進んでいくうちに、彼らは水のあるところに来ました。宦官は、「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか」と言い、車を止めさせました。そして、フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けたのであります。38節の前に短剣のマークがついており、37節が欠けているわけでありますけども、使徒言行録の最後に、その37節が記されています。
フィリポが「真心から信じておられるなら、差し支えありません」と言うと、宦官は、「イエス・キリストは神の子であると信じます」と答えた。
なぜ、この37節が本文から除かれているのかというと、そこに書いてあるように「底本に節が欠けている個所の異本による訳文」であるからです。つまり、底本としている、信頼性の高い写本にはないのですけども、他の写本には記されているということであります。おそらく、これは、後にこの所を書き写した人が、物足りなく感じ、この37節を付け加えたのではないかと考えられております。この宦官の「イエス・キリストは神の子であると信じます」という信仰告白を記すことによって、宦官が確かにイエス様を信じたことを明らかにしたかったのだと思います。この37節は、写本を写す人、写字生によって後から付け加えられものかも知れませんけども、しかし当時の洗礼がどのように行われていたかを知る上では、貴重な言葉であると言えるのです。
さて、二人とも水の中に入って行ったとありますから、このときの洗礼は、私たちがしているような水を注ぐ滴礼ではなくて、水の中にどぼんと身を沈める浸礼であったようであります。彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去りました。主の天使によって始まった、フィリポのエチオピア人伝道は、同じ主の霊によって閉じられるのです。主の天使がフィリポに「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言い、主の霊がフィリポに「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と言ったように、ここでも、主の霊がフィリポを連れ去るのです。私たちはここに、フィリポを通して働く主イエスの霊、聖霊の主権的なお働きを見ることができるのです。まさしく、伝道とは、私たちを通して働かれる聖霊の御業であるということができるのであります。
宦官はもはやフィリポの姿を見ませんでしたが、喜びにあふれて旅を続けました。彼はフィリポを探そうともせずに、旅を続けたのであります。それは、フィリポが突然目の前からいなくなったことによって、主がフィリポを遣わしてくださったことを彼が悟ったからではないかと思います。主なる神は、イザヤ書56章において、異邦人も宦官も、区別されることなく、御自分の民に加えられる日が来ると約束なされました。そして、その約束が、主イエスにおいて実現したことを知らせるために、主は、フィリポを遣わしてくださったのであります。
殉教の死を遂げたステファノは、最高法院において、メシアとしてイエス・キリストが来られた以上、エルサレム神殿の動物祭儀を必要としない、新しい時代が到来したことを告げました。フィリポもこのステファノの考えを共有しており、エルサレムにとらわれない、イエス・キリストの霊を通して神を礼拝する新しい時代の到来をサマリア人に告げたのでありました。さらに、今朝の御言葉においては、異邦人と宦官という区別なく、神の民に加えられる、新しい時代の到来を主イエスの名において告げたのであります。異邦人伝道が、エルサレム教会に注目されるのは、10章に記されているペトロがコルネリウスに福音を告げ、洗礼を授けたことよってでありました。しかし、それよりも先に、フィリポが、異邦人であり、さらには宦官でもあったエチオピアの高官に福音を宣べ伝え、洗礼を授けていたのであります。フィリポはアゾトに姿を現し、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、カイサリアまで行ったと記されています。おそらく、フィリポは、後にペトロが訪れることになるリダやヤッファにも訪れ、福音を宣べ伝えたのではないかと考えられているのです。このように、フィリポは、異邦人伝道の先駆け、先駆者として大きな働きなし、祝福の器として主に用いられたのでありました。
今朝の御言葉を読みまして、私たちはこのエチオピア人の宦官と同じように喜んでいるだろうかと思わされるのであります。確かに、私たちの中に宦官にされた者はおりませんから、このエチオピア人と同じようには、これほどまでには喜べないかも知れません。けれども、異邦人であった、この点については同じわけですね。ここに集う私たちは、主の僕であるイエス様が来られなければ、神の契約と何の関わりもない、何の希望もない者たちであったのです。おそらく、そのことを私たちは忘れてしまうのだと思うのですね。イエス・キリストを信じること、イエス・キリストにおいて神を礼拝できることがどれほどの待ち望まれてきた救いであったのかを忘れてしまうわけです。そのことを忘れて当たり前のように考えてしまうのだと思います。主なる神の恵みを当然のように思い、感謝することをできなくなってしまう。その私たちの姿を、喜びに溢れるエチオピアの宦官の姿を通して、考えさせられるわけであります。もし、そうであるならば、私たちは自分たちがどのような者であったかをもう一度思い起こさなくてはなりません。主イエス・キリストが来て下さり、私たちの罪を担ってくださらなければ、神様と私たちは何の関わりもなかったことを。いや、むしろ、私たちは自らの罪のゆえに、神の怒りに値し、滅びる者であったという事実を、改めて思い起こしたいのであります。そのとき、私たちは、このエチオピア人の宦官の喜びを自らの喜びとすることができるのであります。