魔術と信仰 2007年2月25日(日曜 朝の礼拝)
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使徒言行録 8章9節~25節
聖書の言葉
8:9 ところで、この町に以前からシモンという人がいて、魔術を使ってサマリアの人々を驚かせ、偉大な人物と自称していた。
8:10 それで、小さな者から大きな者に至るまで皆、「この人こそ偉大なものといわれる神の力だ」と言って注目していた。
8:11 人々が彼に注目したのは、長い間その魔術に心を奪われていたからである。
8:12 しかし、フィリポが神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知らせるのを人々は信じ、男も女も洗礼を受けた。
8:13 シモン自身も信じて洗礼を受け、いつもフィリポにつき従い、すばらしいしるしと奇跡が行われるのを見て驚いていた。
8:14 エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、ペトロとヨハネをそこへ行かせた。
8:15 二人はサマリアに下って行き、聖霊を受けるようにとその人々のために祈った。
8:16 人々は主イエスの名によって洗礼を受けていただけで、聖霊はまだだれの上にも降っていなかったからである。
8:17 ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。
8:18 シモンは、使徒たちが手を置くことで、“霊”が与えられるのを見、金を持って来て、
8:19 言った。「わたしが手を置けば、だれでも聖霊が受けられるように、わたしにもその力を授けてください。」
8:20 すると、ペトロは言った。「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手に入れられると思っているからだ。
8:21 お前はこのことに何のかかわりもなければ、権利もない。お前の心が神の前に正しくないからだ。
8:22 この悪事を悔い改め、主に祈れ。そのような心の思いでも、赦していただけるかもしれないからだ。
8:23 お前は腹黒い者であり、悪の縄目に縛られていることが、わたしには分かっている。」
8:24 シモンは答えた。「おっしゃったことが何一つわたしの身に起こらないように、主に祈ってください。」
8:25 このように、ペトロとヨハネは、主の言葉を力強く証しして語った後、サマリアの多くの村で福音を告げ知らせて、エルサレムに帰って行った。使徒言行録 8章9節~25節
メッセージ
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前回は、ステファノの殺害をきっかけとして起こったエルサレム教会への大迫害を通して、福音がエルサレムから、ユダヤ、サマリア地方に広がっていった様子を共に読みました。食卓の奉仕者として選ばれた7人のうちの一人、フィリポはサマリア人にも福音を宣べ伝えたのです。前回の確認にもなりますが、ユダヤ人とサマリア人は、敵対関係にありました。ヨハネによる福音書4章9節に、「ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。」とありますように、ユダヤ人は、サマリア人と言葉を交わすことも嫌悪していたのです。そして、その嫌悪は、同じ血筋を持つがゆえに、より深いもの、深刻なものであったのです。時に、家族同士、親族同士の争いが、より深く陰湿なものとなるように、ユダヤ人とサマリア人は、同じ族長ヤコブの血筋であるがゆえに、その争いも根深いものであったのです。サマリア人とは、北王国イスラエルの10部族とアッシリア帝国によって連れてこられた異邦人との混血の民と考えられています。紀元前722年の、アッシリア帝国によって北王国イスラエルの首都サマリアが陥落いたしました。その様子が列王記下の17章21節から24節にこう記されています(旧約607頁)。
主がダビデの家からイスラエルを裂き取られたとき、このイスラエルの人々はネバトの子ヤロブアムを王としたが、ヤロブアムはイスラエルを主に従わないようにしむけ、彼らに大きな罪を犯させた。イスラエルの人々はヤロブアムの犯したすべての罪に従って歩み、それを離れなかった。主はついにその僕であるすべての預言者を通してお告げになっていたとおり、イスラエルを御前から退けられたイスラエルはその土地からアッシリアに移され、今日に至っている。アッシリアの王は、バビロン、クト、アワ、ハマト、セファルワイムの人々を連れて来て、イスラエルの人々に代えてサマリアの住民とした。この人々がサマリアを占拠し、その町々に住むことになった。
このように、サマリア人とは、アッシリアから連れて来られた異邦人と、残されたイスラエル人の間に生まれた子孫であったのです。ユダヤ人にとって、律法をもたない異邦人は汚れた民と考えられていました。それゆえ、ユダヤ人はサマリア人とは交際しなかったのです。また、宗教的に言っても、サマリア人は異端者のように考えられていました。同じ列王記下の17章32節から34節にこう記されています。
彼らは主を畏れ敬ったが、自分たちの中から聖なる高台の祭司たちを立て、その祭司たちが聖なる高台の家で彼らのために務めを果たした。このように彼らは主を畏れ敬うとともに、移される前にいた国々の風習に従って自分たちの神々にも仕えた。彼らは今日に至るまで以前からの風習に従って行い、主を畏れ敬うことなく、主がイスラエルという名をお付けになったヤコブの子孫に授けられた掟、法、律法、戒めに従って行うこともない。
このように、サマリア人は、主を畏れ敬う一方、移される前の異教の神々にも仕えていたのです。少なくとも、この列王記を記したユダヤ人の歴史家は、サマリア人をそのような異教の民と見なしております。けれども、後のサマリア人は、自分たちをそのようには考えていなかったようであります。エズラ記には、バビロン捕囚からエルサレムに帰ってきたユダヤ人が、神殿を再建したことが記されております。その4章1節から5節にはこう記されています(旧約726頁)。
ユダとベニヤミンの敵は、捕囚の子らがイスラエルの神、主のために聖所を建てていることを聞いて、ゼルバベルと家長たちのもとに来て言った。「建築を手伝わせてください。わたしたちも同じようにあなたがたの神を尋ね求める者です。アッシリア人の王エサル・ハドンによってここに連れて来られたときから、わたしたちはこの神にいけにえをささげています。」しかし、ゼルバベルとイエシュア、他のイスラエルの家長たちは言った。「わたしたちの神のために神殿を建てるのは、あなたたちではなく、わたしたちに託された仕事です。ペルシアの王キュロスがそう命じたのですから、わたしたちだけでイスラエルの神、主のために神殿を建てます。」そこで、その地の住民は、建築に取りかかろうとするユダの民の士気を鈍らせ脅かす一方、ペルシアの王キュロスの存命中からダレイオスの治世まで、参議官を買収して建築計画を挫折させようとした。
サマリア人は、自分たちも同じ神を尋ね求める者であると考え、神殿の建築を手伝わせてほしいと申し出たわけでありますけども、ユダヤ人は、それをきっぱりと断りました。先程も見ましたように、ユダヤ人からすれば、サマリア人は、純粋に主なる神に仕えているとは言えなかったからです。これによって、サマリア人は、ユダヤ人に敵意を抱き、手伝うどころか、妨害し、挫折させようとしたのです。そのことにとって、サマリア人は、文字通り「ユダとベニヤミンの敵」となってしまったのです。
後に、サマリア人は、申命記11章29節の「あなたが入って得ようとしている土地に、あなたの神、主が導き入れられるとき、ゲリジム山に祝福を、エバル山に呪いを置きなさい。」との御言葉から、ゲリジム山に神殿を築き、旧約聖書の最初の5つの書物、いわゆるモーセ五書を正典として礼拝を守ることになります。ヨハネによる福音書の4章で、サマリアの女がイエス様に「わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」と語っていますが、それはサマリア人がゲリジム山で礼拝をささげており、ユダヤ人はエルサレムで礼拝をささげていたからです。また、ルカによる福音書の9章51節以下で、サマリア人がイエス様を歓迎しなかったのは、イエス様がエルサレムを目指していたからでありました。サマリア人も、申命記18章15節の「神がわたしのような預言者を立ててくださる」というモーセの言葉から、救い主(ターヘーブ、回復者)の出現を待ち望んでおりました。そして、その救い主は、ゲリジム山に立って、新しい統治を始めると期待されていたのです。それゆえ、サマリア人は、イエス様がエルサレムを目指していることを知り、イエス様を受け入れなかったのであります。
しかし、そのようなサマリア人が、今朝の御言葉である使徒言行録8章12節によれば、「フィリポが神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知らせるのを人々は信じ、男も女も洗礼を受けた。」のでありました。これは、フィリポが不思議な業やしるしを行ったからだけでは、説明がつかないものであります。確かに、11節で「人々が彼(シモン)に注目していたのは、長い間その魔術に心を奪われていたからである。」とありますが、「しかし、フィリポが神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知らせるのを人々は信じ、男も女も洗礼を受けた。」とありますように、「しかし」とありますように、サマリアの人々は、フィリポが、不思議な業やしるしをしたから信じ洗礼を受けたわけではなくて、フィリポが神の国とイエス・キリストの名についての福音を聞いたからであったのです。前回見ましたように、サマリアの人々が「フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入った。」ということはありましたけども、しかしこの人々が信じたのはフィリポの言葉によるものだったのです。ローマの信徒への手紙10章17節にありますように、「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まる」のです。
それでは、フィリポが宣べ伝えたイエス・キリストの福音とは、どのようなものであったのでしょうか。聖書には、直接は記されておりませんが、私たちはフィリポと同じ、ギリシャ語を話すユダヤ人であるステファノの演説から、フィリポが語ったイエス・キリストの福音をある程度推測することができます。ステファノは、イエスこそがモーセが預言した「わたしのような預言者」であり、イエスの権威はモーセにまさることを主張しました。また、イエスがメシアとして来られ、天に昇り、その支配を確立された以上、エルサレム神殿の動物祭儀はもはや無用となったことを主張いたしました。このステファノと同じ路線でフィリポもイエス・キリストの福音を宣べ伝えたことは確かなことだと思いますね。前回も申しましたように、ステファノの殺害をきっかけとして起こったエルサレム教会への大迫害の標的とされたのは、おもにギリシャ語を話すユダヤ人であったと考えられております。それは、ステファノが最高法院で語った見解が、彼個人のものではなく、ギリシャ語を話すユダヤ人に共通のものと判断されたからです。そもそも、フィリポがステファノと同じような見解を持っていたからこそ、彼はサマリア人にも福音を宣べ伝えることができたのです。フィリポも、ステファノと同じように、イエスこそモーセが預言した「わたしのような預言者」であり、イエスの権威はモーセにまさり、またイエスがメシアとして来られ、天に昇り、その支配を確立された以上、エルサレム神殿の動物祭儀はもやは無用であると告げたと考えられるのです。この「エルサレムにとらわれない」という点が大切なであります。先程も言及したルカによる福音書9章51節以下で、サマリア人がイエス様を拒絶したのは、イエス様がエルサレムを目指しておられたからでありました。しかし、フィリポは、おそらくエルサレムを絶対視せず、相対化したわけです。ヨハネによる福音書4章のイエス様のお言葉を借りれば、ゲリジム山でもエルサレムでもない所で父を礼拝する時がもう来ている。場所に制約されずに、どこででも霊と真理からなる礼拝をイエス・キリストにおいてささげることができる。その福音を宣べ伝えたのではないかと思うのです。それゆえ、サマリア人はフィリポが語ったイエス・キリストの福音を拒絶することなく、信じ受け入れることができたのであります。
先程、サマリア人は、フィリポのなした不思議な業やしるしだけを見て、福音を信じ、受け入れたのではないと申しましたが、一人だけ例外がいたようであります。それが、9節から登場する魔術師シモンであります。9節から11節にこう記されています。
ところで、この町に以前からシモンという人がいて、魔術を使ってサマリアの人々を驚かせ、偉大な人物と自称していた。それで、小さな者から大きな者に至るまで皆、「この人こそ偉大なものといわれる神の力だ」と言って注目していた。人々が彼に注目したのは、長い間その魔術に心を奪われていたからである。
ここに「魔術」とありますが、聖書において魔術とは、占いや霊媒を含むもので、超自然的な力を、自分の欲望を遂げるために利用することを言います。聖書において魔術とは、占いや霊媒を含むもので、超自然的な力を、自分のために利用することを言います。ここでの魔術が、今でも私たちがテレビなどで目にする、いわゆるマジックを指すのか、どうかは分かりませんが、それによって、シモンは、人々から「この人こそ偉大なものといわれる神の力だ」と注目されていたのです。そして、シモン自身も、偉大な人物と自称していたのです。このような魔術師がおり、人々が注目していたことからも、ユダヤ人からすればこの地がまさに異教の地であったことが分かります。なぜなら、ユダヤにおいて、魔術は厳しく禁じられていたからです(レビ19:31、20:27、申18:10-13)。その魔術師であるシモン自身も信じて、洗礼を受けたのは、フィリポからイエス・キリストの福音を聞いたからというよりも、フィリポが為すすばらしいしるしと奇跡が行われるのを見て、驚いたからでありました。シモンは、フィリポの奇跡をイエス・キリストにおいて到来した神の国のしるしとは理解せず、自分と同じ魔術の延長線上で理解していたのです。そして、このシモンの誤りが、ペトロとヨハネの訪問によって明かとなるのです。
14節に、「エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、ペトロとヨハネをそこへ行かせた。」と記されています。エルサレムの使徒たちがペトロとヨハネをサマリアに遣わしたことは、使徒たちがこのことを重要視していたことを教えています。使徒たちは、エルサレム教会の柱と目されるペトロとヨハネを遣わすことによって、伝え聞いたことが本当であるかを確かめにきたのです。サマリア人が、イエス・キリストの福音を受け入れたということは、それほど大きな変化、まさに転換点であったわけです。ペトロとヨハネは、実際、その様子を自分の目で見、また、サマリア人と語り合うことによって、彼らが確かに自分たちと同じ主イエスを信じていることを認めたのでしょう。二人が聖霊を受けるように祈り、人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けたのでありました。それを見たシモンとペトロのやりとりが18節から24節に記されています。
シモンは、使徒たちが手を置くことで、霊が与えられるのを見、金を持って来て、言った。「わたしが手を置けば、誰でも聖霊が受けられるように、わたしにもその力を授けてください。」するとペトロは言った。「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手に入れられると思っているからだ。お前はこのことに何のかかわりもなければ、権利もない。お前の心が神の前に正しくないからだ。この悪事を悔い改め、主に祈れ。そのような心の思いでも、赦していただけるかもしれないからだ。お前は腹黒い者であり、悪の縄目に縛られていることが、わたしには分かっている。」シモンは答えた。「おっしゃったことが何一つわたしの身に起こらないように、主に祈ってください。」
ここで、「使徒たちが手を置くことで、霊が与えられるのを見」とありますが、霊そのものは、目に見ることはできませんから、おそらくここでは異言や預言といったしるしが伴ったのだと思います。聖霊を受けることに、いつも異言や預言が伴ったわけではありませんが、使徒言行録は、2章で、ペンテコステの日、聖霊を受けた弟子たちがいろいろな国の言葉で神をほめたたえたことを記しておりました。また、10章では、異邦人が聖霊を受けたしるしとして、異言を話し、神を賛美したことが記されております。また、19章でもヨハネの洗礼しか受けていなかった者が、パウロによってイエスの名による洗礼を受け、パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が降り、その人たちは異言を話したり、預言をしたことが記されています。このように、異言や預言は、確かに聖霊が降ったことを表すしるしであると言えるわけです。天におられるイエス様は、サマリア人にも同じ聖霊が降ったことを明らかにするために、このときも異言や預言のしるしを伴わせられたと考えられるのです。しかし、その様子を見て、シモンは喜びに包まれたのかと言いますとそうではありません。彼は家に急いで帰り、金を持って来て、「わたしが手を置けば、だれでも聖霊が受けられるように、わたしにもその力を授けてください」と願うのです。ここに、イエスさまを信じ、洗礼を受けた者でありながら、腹黒い者であり、悪の縄目に縛られているシモンの姿がよく表れています。シモンは、使徒たちが自分の力で、まるで呪文を唱えるかのように、聖霊を授けることができると考えたのです。シモンは、フィリポばかりではなく、ペトロとヨハネの行為をも、魔術の延長線上に考えていたのです。
今朝の説教題を「魔術と信仰」としたわけでありますが、そもそも魔術と使徒たちの業とはどこが違うのでしょうか。以前にも紹介したことのあるパウル・トゥルニエという人が書いた『聖書と医学』という書物がありますが、その第2部で魔術の問題を取り扱っております。その冒頭で、トゥルニエは、こう言っています。
「神は私たちの自由にはならない。神の秘密を見抜き、神のしるしを知っており、神の力を自分の思うままに持てると主張するのは、信仰ではなく魔術である。これは大きな問題である。」
もう一度お読みします。
「神は私たちの自由にはならない。神の秘密を見抜き、神のしるしを知っており、神の力を自分の思うままに持てると主張するのは、信仰ではなく魔術である。これは大きな問題である。」
つまり、神の力である超自然的な力を、自分の支配下に置いて、自分の意のままにできると考えること、これが魔術であると言っているわけです。
以前学んだルカによる福音書の9章28節以下に、イエス様の姿が変わる、いわゆる山上の変貌について記されておりました。そして、その後の37節以下には、その山からおりてきたイエス様に「悪霊に取りつかれた一人息子を癒してほしい」と願う父親のお話が出てきます。そこで、この父親は「この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに頼みましたが、できませんでした。」と語るのですね。それを聞いてイエス様は「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。」と嘆かれ、その子供を癒されるわけです。なぜ、弟子たちは、その子から悪霊を追い出すことができなかったのか。この弟子たちの中には、9章において、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能を授けられていた使徒たちもおりました。しかし、彼らはその子から悪霊を追い出すことはできなかったのです。それは、なぜか。それはイエス様が仰るように、「信仰がないから」であります。マルコによる福音書の並行個所には、こう記されています(9章28、29節)。
イエスが家の中に入られると、弟子たちはひそかに、「なぜ、わたしたちはあの霊を追い出せなかったのでしょうか」と尋ねた。イエスは、「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」と言われた。
病を癒し、悪霊を追い出す権能を与えられたからと言って、それがいつでも自動的に行えるのではない。信仰と祈りを通して、神があなたがたを通して働いてくださるのだとイエス様は弟子たちに教えられたのです。もし、使徒たちが自動的に、オートマティックに病を癒し、悪霊を追い出すことができるならば、それこそ、魔術になってしまうわけです。そして、このことは、今朝の御言葉にある、聖霊を受けるということにおいても言えるのです。使徒たちが、手を置けば自動的に、聖霊を与えることができると考えるならば、それは魔術師シモンと同じ過ちを犯していることになるのです。15節に、「聖霊を受けるようにとその人々のために祈った。」とありますように、使徒たちの業は、主イエスが自分たちを通して働いてくださることを願う、信仰を源とするものでありました。ヨハネによる福音書の3章で、イエス様がニコデモに、「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆その通りである。」と言われたように、聖霊は全く自由に、主権をもって働いてくださるわけです。
ペトロは、シモンに対して、「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手に入れられると思っているからだ。」と言いました。「滅んでしまえ」とは随分、厳しい言葉であります。なぜ、ペトロはこれほど厳しい言葉を語ったのか。それは、シモンがとんでもない思い違いをしていたからであります。彼は神の賜物を金で手にいれられるかのように考えていたのです。そして、このシモンの言葉の前提には、先程言ったように、ペトロ自身が、聖霊を与える力を持っているという魔術的な考え方があったのであります。「神の賜物」とは、神様から一方的に無償で与えられた恵みのことであります。その神様からの無償の恵みを金で手に入れられると考える、そこにシモンのとんでもない思い違いがあるのです。このペトロの言葉からも分かるように、おそらく、ペトロはこのとき、真っ赤になって、怒ったと思います。怒鳴るように、声を荒げたとさえ思うのです。それはなぜかと言えば、この神の賜物を私たちにお与えになるために、主イエスがどれほどの犠牲を払われたかをペトロはよく知っていたからです。聖霊は神の賜物、無償の神からの贈り物であります。その通りであります。しかし、私たちにとっては、無償であったとしても、神様にとってはそうではなかったわけです。イエス様にとってはそうではなかったのです。イエス様は、私たちに聖霊という賜物を与えてくださるために、十字架のうえで命を捨ててくださったのであります。そのイエス様のお支払いになられた尊い血潮という代価を忘れて、金で神の賜物を手に入れようとは何事か。ペトロは本当に怒ったと思います。このことは、何もシモンだけのことではありません。私たちは主イエスが支払われた代価を忘れて、自分の力で神の恵みを勝ち取ろうとする過ちをしばしば犯すのです。
ペトロは続けてこう語ります。「お前はこのことに何のかかわりもなければ、権利もない。お前の心が神の前に正しくないからだ。この悪事を悔い改め、主に祈れ。そのような心の思いでも、赦していただけるかもしれないからだ。」
13節に、「シモン自身も信じて洗礼を受け」たとありますが、ペトロはその心が神の御前に正しくないことを見抜きます。そして、悔い改めて、主に祈るようにと勧めるのです。シモンは、「おっしゃったことが何一つわたしの身に起こらないように、主に祈ってください。」と答えましたが、ここでシモンがペトロの言葉に従って、悔い改めたとは言えないのではないかと思います。なぜなら、シモンは自分で主イエスに祈ろうとしないからです。魔術師であったシモンは、自分よりも力のある使徒たちに代わって祈ってもらった方がよいと考えるのです。さらに言えば、この24節のシモンの言葉は、出エジプト記8章24節に記されているモーセの不思議な業を見たファラオの言葉、「わたしのためにも祈願してくれ」という言葉と同じ響きを持っています。このシモンの言葉は、いっけん信仰深そうに聞こえますけども、実は、自分で祈ろうとしない不信仰な言葉であるとも言えるのです。もちろん、主イエスは、わたしたちの執り成しの祈りを聞いてくださいますけども、罪の赦しを受けるには、自分自身が悔い改めて、主に祈ることがどうしても必要なのです。私たちが、誰々さんに代わって悔い改めますということはできないのです。そして、そのことは罪の赦しの保証とも言える聖霊をいただくことにおいても言えるのです。今朝の御言葉で興味深いことは、「だれでも聖霊が受けられるように、わたしにもその力を授けてください。」と願ったシモンが、自分自身については聖霊を願わなかったということです。シモンは、最後まで、自分に聖霊が与えられることを願いませんでした。ここに、シモンが最後まで魔術と信仰の違いを理解することができなかった、その姿がよく表れていおります。そして、使徒教父たちの文書によれば、後にこのシモンは、あらゆる異端の父となったと言われているのです。
さて、最後に、16節に注目して、終わりたいと思います。16節に、「人々は主イエスの名によって洗礼を受けていただけで、聖霊はまだだれの上にも降っていなかったからである。」と記されています。なぜ、フィリポが洗礼を授けたにも関わらず、聖霊が降らなかったのか。これが一つの大きな疑問であるわけです。聖書を見ますと、通常、洗礼を受けることと、聖霊を与えられることは一体的なものと考えられています。一つだけ例を挙げますと、ペトロはペンテコステの説教の結論としてこう語りました。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」(使徒2:38)このように、通常、洗礼を受けることと、聖霊を受けることとは一体的なことと考えられています。しかし、このとき、フィリポが洗礼を授けたにもかかわらず、サマリアの人々には、聖霊が降りませんでした。ある人は、フィリポにはその力が無かった、と理解します。しかし、9章に進むと、使徒ではないアナニアという人が、パウロに洗礼が授け、聖霊に満たされることが記されていますから、フィリポ自身にその力がないとは言えません。そもそも、このような考え方は、シモンと同じように、信仰と魔術を取り違えていることにもなりかねません。むしろ、聖霊がペトロとヨハネによってサマリアの人々に与えられたのは、主イエスがそのことをよしとなされたからであると言えるのです。言い換えるならば、主イエスは、使徒たちに、サマリアの人々も彼らと同じ神の民とされたことをはっきりと教えるために、聖霊を授けられるのをとどめておられたのです。使徒たちに、サマリアの人々も主イエスを信じる神の民となったことを教えるために、天の主イエスは、聖霊をわざわざペトロとヨハネの手を通して与えることをよしとなされたのです。このようにして、主イエスは、ペトロとヨハネが持っていたサマリア人に対する偏見を取り除かれるわけであります。特に、ヨハネなどは、サマリア人に対して「主よ、お望みなら、天からの火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」とさえ語ったことがありました(ルカ9:54)。しかし、このような主イエスのお取り扱いを受けて、ヨハネも民族的な偏見から解放されていくのであります。
それゆえ、25節では、「ペトロとヨハネは、主の言葉を力強く証しして語った後、サマリアの多くの村で福音を告げ知らせて、エルサレムに帰って行った。」と記されているのです。ペトロとヨハネは、フィリポの働きを認めただけではなくて、自分たちもそこで、主の言葉を力強く語ったのでありました。このように、キリストの教会がサマリアの町に誕生したのです。そして、それはエルサレム教会と同じ信仰を持つ一つの教会なのであります。神学生の時、宣教学の講義の中で、「宣教とは、いわば、エルサレム教会の細胞分裂である」と聞いたことを思い起こします。エルサレム教会と同じ、主イエスを信じる教会がサマリアの地にも立てられたのであります。サマリアだけではない、地の果てと言える、この日本においても、この羽生の地においても、エルサレム教会と同じ主イエスを信じる一つの公同の教会が立てられているのです。同じ主イエスが、御言葉と聖霊において、この礼拝にも臨んでくださっているのです。