サマリア伝道 2007年2月18日(日曜 朝の礼拝)

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サマリア伝道

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
使徒言行録 8章1節~8節

聖句のアイコン聖書の言葉

8:1 その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。
8:2 しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。
8:3 一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。
8:4 さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。
8:5 フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。
8:6 群衆は、フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入った。
8:7 実際、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫びながら出て行き、多くの中風患者や足の不自由な人もいやしてもらった。
8:8 町の人々は大変喜んだ。使徒言行録 8章1節~8節

原稿のアイコンメッセージ

 8章1節に、「その日、エルサレムの教会に対して大迫害を起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。」と記されています。ステファノの殺害は、エルサレムの教会に対する大迫害へと進展してきます。最高法院は、ステファノの見解を彼個人に留まらず、エルサレム教会の見解と理解したからです。ステファノの処刑をきっかけとして、最高法院をはじめとする人々の憎悪が爆発したのです。しかし、このようにして、イエス・キリストの福音は、エルサレムからユダヤ、サマリアの地方へと広がっていくのです。4節に記されているように、「散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた」のでありました。このようにして、イエス様のご計画が実現していくのです。イエス様は、天に昇られる前、使徒たちにこう仰せになりました。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」このイエス様の御言葉は、ステファノの殉教とそれをきっかけとするエルサレム教会への大迫害を通して現実のものとなっていくのです。ここに、私たちは歴史を導いておられる神様の不思議なお導きを見ることができます。3節に、「一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。」とありますが、その当時の様子を、栄光の主に出会い、使徒となった後のパウロが、アグリッパ王の前で、次のように語っております。26章の9節から11節です。「実は私自身も、あのナザレの人イエスの名に大いに反対すべきだと考えていました。そして、それをエルサレムで実行に移し、この私が祭司長たちから権限を受けて多くの聖なる者たちを牢に入れ、彼らが死刑になるときは、賛成の意志表示をしたのです。また、至るところの会堂で、しばしば彼らを罰してイエスを冒涜するように強制し、彼らに対して激しく怒り狂い、外国の町にまでも迫害の手を伸ばしたのです。」

 ここに、サウロが祭司長たちから権限を受けて、教会を迫害したこと。また、牢に入れられた者の中には、死刑に処せられた者たちがいたこと。さらには、パウロが、信者たちにイエスを冒涜するように強制したことが記されています。今朝の御言葉の8章1節では、「大迫害が起こった」とさらりと書いてありますけども、この迫害によって、ステファノに続く、殉教者たちが起こされたのであります。その迫害の苦難を通して、神様はイエス・キリストの福音を、エルサレムから、ユダヤ、サマリア地方へと広げられるのです。

 さて、ここに「使徒たちのほかは皆」と記されています。エルサレムの教会に対して大迫害が起こった中で、使徒たちはエルサレムに踏みとどまったというのです。なぜ、使徒たちは、身の危険も顧みず、エルサレムに留まったのか。それは、エルサレムが使徒たちにとっても大切な場所であったからであります。エルサレムはイエス様が十字架に死に、復活された場所でありました。そして、使徒たちに与えられた使命は、この主イエスの十字架と復活を証しすることであったのです。また、エルサレムに留まることにより、自分たちこそ、旧約聖書を実現する真のイスラエルであることを証しする必要があったのです。もっと単純に言えば、使徒たちが身の危険を顧みず、エルサレムに踏みとどまったのは、教会が根無し草にならないためであったと思います。迫害がおさまったとき、いつでも信者たちがエルサレムに戻って来れるるように、彼らはエルサレムに留まったのです。そして、この背景には、第5章に記されている天使の言葉があるのではないかと思うのです。そこには、すべての使徒たちが捕らえられ公の牢に入れられたこと。しかし、夜中に主の天使が牢の戸を開け、彼らを外に連れ出し、「行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい」と命じたことが記されています。そして、これを聞いた使徒たちは夜明ごろ、境内に入って教え始めたのです。使徒たちは、このような主の御使いによって、命を救われ、その命を何のために用いるべきかを教えられるという共通の体験をしておりました。それゆえ、使徒たちは、自らの命の危険を顧みず、エルサレムに留まったのではないかと思うのです。使徒たちは、彼らは一度死んだ身なのですね。その命を主イエスのために用いるわけであります。

 また、ここで迫害されたのは、エルサレムの教会全体というよりも、おもにステファノが属していたギリシャ語を話すユダヤ人キリスト者ではないかとも考えられています。使徒たちは、ユダヤ出身のヘブライ語(アラム語)を話すユダヤ人であり、祈りの時間にはちゃんと神殿に詣でておりました。それゆえ、使徒たちを始めるとするヘブライ語を話すユダヤ人キリスト者は迫害を免れ、ステファノの属するギリシャ語を話すユダヤ人キリスト者だけが迫害の対象とされたのではないかとも考えられるのです。そのこともあって、使徒たちは依然として、エルサレムに留まり続けることができたと考えるのです。

 2節に「しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。」と記されています。この信仰深い人々が一体誰を指すのかは議論のあるところであります。ある人は、エルサレムに残ったヘブライ語を話すユダヤ人キリスト者であろうと考えます。しかし、またある人は、まだキリストを信じていない、敬虔なユダヤ人のことであろうと考えるのです。私としては、後者の方がよいのではないかと思います。つまり、まだイエス様を信じていないユダヤ人のことを指していると思います。といいますのは、ここで「信仰深い」と訳されている言葉が、2章5節で、天下のあらゆる国からエルサレムに帰って来た、「信心深い」ユダヤ人に用いられているからです。イエス様を主と告白していないユダヤ人たちがステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだのです。私たちには、ここにも一粒の麦として死んだステファノがもたらした豊かなの実りを見ることができます。また、このことを通して、ステファノの殺害に対して、エルサレムの全ての人々が賛成していたわけではなかったことが分かるのです。神を冒涜した者として処刑された者の死を、悲しむことは本来あり得ないことであり、赦されないことでありました。その者が本当に神を冒涜する者であるならば、その者の死を悲しむことはおかしなことです。しかし、ここで信仰深い人々は、ステファノのことを思って大変悲しんだのです。それは、最高法院への静かな抗議でありました。ステファノが、神を冒涜するような者ではないことを、人々は彼の生き様を通して知っていたのです。ステファノは、霊と知恵に満ちた評判の良い人であったと記されておりました。そのようなステファノが神を冒涜する者として石打の刑に処せられた。そのようなことがゆるされてよいのかと彼らは悲しんだのです。けれども、私たちイエス・キリストを信じる者たちは、この悲しみがやがて喜びへと変わることを知っているのであります。7章60節後半に、「ステファノは、こう言って、眠りについた。」とありますように、ステファノの死は、永遠の眠りではなくて、やがて目覚める、復活へと至る、主イエスに結ばれた死であったからです。そして、そのとき、神の正義が貫かれ、ステファノが公に正しい者と宣言され、受け入れられるのです。そして、このことは、私たちばかりではなくて、サウロによって、捕らえられ、処刑された者たちも知っていたことでありました。それゆえ、彼らはステファノと同じように、死に至るまで、主イエス・キリストを証しすることができたのです。

 4節に「さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。」とあり、5節以降には、その代表例として、フィリポがサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた様子が記されております。このフィリポは、ステファノと同じ7人に選ばれたフィリポのことです。このフィリポもステファノと同じギリシャ語を話すユダヤ人キリスト者であったと考えられています。ここで、「サマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた」とさらりと書いてありますけども、これは大きな転換点と呼べるものであります。なぜなら、これまでユダヤ人だけに語られていたを福音が、サマリア人にも語られ、受け入れられたからです。当時、ユダヤ人とサマリア人は、交際をしておらず、敵対関係にありました。ユダヤ人からすれば、サマリア人は、北王国イスラエルの10部族と異邦人との混血の民であり、また、宗教的にいっても、異教の習慣が入り込んだ異端と見なされていたのです(列王記下17章参照)。サマリア人は、旧約聖書の最初の5つの書物、モーセ五書だけを正典とし、エルサレムに対抗して、ゲリジム山で礼拝をささげていたのです(ヨハネ4:20)。当時のユダヤ人がサマリア人をどれほど嫌悪していたかを記すものとして、ヨハネによる福音書の8章48節がよくあげられます。そこで、ユダヤ人は、イエス様を「あなたはサマリア人で、悪霊に取りつかれている」とののしるのです。つまり、「サマリア人」とは、「悪霊に取りつかれている人」と同義語のように用いられているわけです。サマリア人と言われることが、ユダヤ人にとって侮辱となる。それほど、ユダヤ人はサマリア人を嫌悪していたわけです。しかし、ここで注目すべきは、そのように言われたイエス様自身は、「わたしは悪霊に取りつかれてはいない。」と仰せになり、「サマリア人」と言われたことには何も反論していないということです。。つまり、イエス様は、「サマリア人」と「悪霊に取りつかれている」ことをちゃんと区別しているわけですね。そればかりか、ヨハネによる福音書の4章によれば、イエス様はサマリアの女に、ご自身がメシアであることをはっきりと仰せになり、サマリアに二日間滞在され、多くの人々に福音を宣べ伝えました。また、ルカによる福音書の9章51節以下を見ますと、イエス様はエルサレムに向かう準備をするためにサマリア人の村に入ろうとしたことが記されております。さらに、17章の11節以下では、重い皮膚病を患っていた10人の人を癒やし、ただ一人神を賛美するためにい戻ってきたサマリア人に、「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」と、永遠の救いを宣言されたのでありました。このように、イエス様ご自身のことを見ていきますと、サマリア人に対して、当時のユダヤ人たちとは異なった、まことに開かれた見方をしていたことが分かるのであります。しかし、そのイエス様がマタイによる福音書の10章5節、6節で、12人を派遣するにあたりこう仰せになるのです。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの失われた羊のところへ行きなさい。」イエス様は御自分ではサマリア人に宣教しながら、弟子たちには、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの失われた羊のところへ行けと言われたのです。しかし、その同じイエス様がマタイによる福音書28章18節から20節では、こう仰せになるのです。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

 また、先程も触れましたように、使徒言行録1章8節では、こう仰せになるのです。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そしてエルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

 イエス様は、復活される前、「サマリア人の町に入ってはならない。」と弟子たちに言われました。しかし、復活した後には、サマリア人を含む、すべての人に福音を宣べ伝えよ。すべての人をわたしの弟子とし、すべての人をわたしの証人とせよ。と仰せになるのです。ここでは、明らかに救いの対象が拡大しております。神様の救いの歴史が急激に進展しているのです。その変化をもたらしたものは何か。それは言うまでもなく、イエス・キリストの十字架と復活であります。イエス様がすべての民の罪を償ういけにえとしてご自身を十字架においてささげ、御自分を信じる者たちを義とするために復活なされたからです。復活されたイエス様ご自身が仰せになっているように、イエス様は、いまや天と地の一切の権能を授けられた、全人類の救い主、メシアとなられたからであります。復活されたイエス様は、天へと上げられ、父なる神の右に座し、聖霊を限りなく注がれることによって、天と地の一切の権能を持つメシア、救い主となられたのです。そして、御自分の弟子たちに聖霊を注ぐことによって、私たちを神の御支配に生きる者、御自分の民としてくださったのであります。イエス様の十字架の死と復活、さらには昇天と着座による聖霊の降臨によって、神様の救いは、いまや、ユダヤ人、サマリア人といった民族の壁を乗り越えて、宣べ伝えられ、実現するものとなったのです。これまで、互いに敵対視していたユダヤ人とサマリア人が、主イエス・キリストを通して、心を一つにして喜ぶことができる。そのような時代が、今ここに到来したのであります。

 そして、このことは、すでにステファノの説教の中で語られていたことでもあるのです。ステファノは、6章49節から50節で、イザヤ書の66章1節、2節の預言を引用し、神殿の動物祭儀を必要としない神と民との親しい交わりが、メシアであるイエスにおいて、すでに到来していると主張いたしました。そのイザヤ書66章の23節に「新月ごと、安息日ごとに/すべての肉なる者はわたしの前に来てひれ伏すと/主は言われる。」と記されています。イエス様がメシアとなられた。それは、すべての肉なる者が、イエス様を通して、神を崇めることのできる新しい時代の到来を意味しているのです。

 さて、サマリアの人々は、「フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入った。」と記されています。ステファノの同様、フィリポも、不思議な業やしるしを行うことができたようです。それは、7節に「実際、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫びながら出て行き、多くの中風患者や足の不自由な人もいやしてもらった。」とありますように、癒やしの業でありました。この癒しの業を見聞きしていたゆえに、人々はこぞってフィリポの話しに聞き入ったというのです。これは、人々がフィリポの不思議な業を正しく理解したことを教えています。フィリポの癒しの業は、これはただ人々を驚かして、あっと言わせようとか、あるいは、自分が偉大な人物であることを証明しようとか、そういうためのものでは全くないわけであります。来週学ぶことになる9節以下に、魔術を使ってサマリアの人々を驚かせ、偉大な人物と自称していたシモンという人が出てきますが、フィリポのなした不思議な業は、このシモンの魔術とは全く性格の異なるものであります。6節で「しるし」と呼ばれているように、フィリポのなす不思議な業は、それ自体が目的ではなくて、イエス・キリストを指し示す「しるし」としての意味を持っていたのです。ここには、詳しく記されておりませんけども、おそらく、フィリポは、イエス・キリストの名によって、汚れた霊を追い出し、様々な病や障害を癒やしたのではないかと思います。ちゅうど、使徒ペトロが、美しい門の傍らに座っていた足の不自由な人を、イエス・キリストの名によって立ち上がらせたように、フィリポもイエス・キリストの名によって、病を癒やしたのではないかと思うのです。そして、そのことは、イエス・キリストが、今も生きて働いておられること端的に教えているのです。それゆえに、人々は、フィリポの話しにこぞって聞き入ったのです。サマリア人もモーセ五書を正典とし、申命記18章15節に預言されていた、モーセのような預言者、救い主の出現を待ち望んむ者たちでありました(ヨハネ4:25)。その救い主こそ、十字架の死から三日目に復活されたイエスであるとフィリポは宣べ伝えたのであります。

 これまで何度もお話ししてきましたように、不思議な業やしるしは、啓示としての意味をもっております。隠されている神様の御心を表す、啓示としての意味を持っております。ですから、啓示の書である聖書が完結し、私たちの手元にこのように届けられている今、不思議な業やしるしは止んでおります。聖書を通して、私たちは神様の御心を知ることができるわけですから、もう不思議な業やしるしは必要がなくなったのです。よって、現代の私たちが、フィリポのように不思議な業を行うことはできません。しかし、今の時代にも変わらないものがあるのです。それが8節に記されている「喜び」であります。私たちは、サマリアの人々のように、実際に、病や障害が癒やされたわけではありませんけども、しかし、この人々と同じように喜んでいるのです。なぜなら、私たちは、このサマリアの人々に起こった出来事が、やがて私たちのうえにも実現することを知っているからです。そのことを私たちに教え、希望を与えるために、聖書は、フィリポによって、多くの人々が癒やされたことを記しているのです。フィリポの為した癒やしは、イエス・キリストが天から再び来られ、神がすべてのすべてとなられるとき、もはやそこには、何の病も障害もないことを教えているのです。ある人は、喜びこそ、救われたことの何よりのしるしであると語っています。イエス・キリストを通して表された父なる神様の愛を知るとき、私たちは、喜ぶことができるのです。神様が、愛する御子を十字架にお渡しになったほどに、私たちを愛してくださったことを知るとき、ユダヤ人やサマリア人、また、私たちの教会で言うならば、フィリピン人や中国人、日本人という民族の枠組みを越えて、共に喜ぶことができるのであります。神様を喜ぶことによって、その神様から愛されている自分自身を、またここに集う全ての人を喜ぶことができるのです。

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