イエスにつまづいた人々 2014年9月21日(日曜 朝の礼拝)
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イエスにつまづいた人々
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- 村田寿和 牧師
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マタイによる福音書 13章53節~58節
聖書の言葉
13:53 イエスはこれらのたとえを語り終えると、そこを去り、
13:54 故郷にお帰りになった。会堂で教えておられると、人々は驚いて言った。「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。
13:55 この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。
13:56 姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう。」
13:57 このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」と言い、
13:58 人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった。
マタイによる福音書 13章53節~58節
メッセージ
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イエス様は「種を蒔く人のたとえ」「毒麦のたとえ」「からし種のたとえ」「パン種のたとえ」「畑に隠されている宝のたとえ」「高価な真珠のたとえ」「地引き網のたとえ」の7つのたとえを語り終えられると、そこを去り、故郷にお帰りになりました。「故郷」とは、ガリラヤの町ナザレのことであります。イエス様は御自分の家のあるカファルナウムから故郷ナザレへとお帰りになったのです。ここには記されておりませんが、弟子たちももちろん一緒であったと思います。
イエス様が会堂で教えておられると、人々は驚いてこう言いました。「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう」。ここで、人々が「驚いた」とありますが、これは「びっくり仰天する」とも訳せる大変強い驚きを表す言葉であります。山上の説教の最後に、「イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた」とありますが、ナザレの人々も会堂でのイエス様のお話を聞いて、非常に驚いてこう言ったのです。「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう」。イエス様は、ナザレの村に小さい頃から住んでおりました。マタイによる福音書の2章によれば、イエス様はユダヤのベツレヘムでお生まれになり、ヘロデ大王の手を逃れてエジプトに行き、ヘロデ大王が死んだので、ガリラヤ地方のナザレに住んだのでありました。ですから、イエス様は3歳ぐらいからナザレに住んでいたわけです。また、イエス様が洗礼者ヨハネが捕らえられたのを聞き、ナザレからカファルナウムに移り住んだのは、およそ30歳のときでありました。ですから、イエス様はナザレに3歳から30歳までの27年間住んだことになります。ナザレの人々は、イエス様が成長する姿を見ていたわけであります。ナザレは500人ぐらいの小さな村でありましたから、村人はお互いのことをよく知っていたわけです。ナザレの人々は、イエス様が大工の息子であり、母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダであること、また、姉妹たちは皆、自分たちと一緒に住んでいることを知っていたわけです。しかし、その彼らであっても、イエス様の知恵と奇跡を行う力がどこから来たのか分からないと言うのであります。「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう」。この言葉は、イエス様がナザレに住まわれていた間、知恵の言葉を語ったことも、力ある業を行ったこともなかったことを教えています。ナザレの人々にとって、イエス様は、大工、建築業を生業とする普通の、平凡な人物であったのです。人々はイエス様を「大工の息子」と呼んでいますが、私たちはここからイエス様の法的な父であるヨセフが大工、建築業を生業としていたことを教えられます。そして、当時は、子供は親と同じ仕事に就きましたから、イエス様も大工、建築業の仕事をしていたのです。大工は、家だけではなく、家財道具や農具なども作ったと言われます。また、パレスチナでは木が少なかったので、石で作ったこともあったようです。ともかく、ナザレの人々の知っているイエス様は建築業を営む普通の人であったのです。しかし、しばらくぶりにイエス様が帰って来て、会堂で教えておられるのを聞いてびっくり仰天したわけです。ここには記されていませんが、人々の言葉から推測しますと、イエス様は悪霊の追い出しや病の癒しといった力ある業もなされたようであります。「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう」。この言葉は最後にまた繰り返し語られています。「この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう」。このように人々は重ねて問うわけですが、その答えについては何も語られていません。「あの大工の息子であるイエス、私たちが家族の構成までよく知っているイエスが、なぜ、知恵の言葉を語ることができ、力ある業をすることができるのか、全く不思議だ」、そこで終わってしまうのです。けれども、ナザレの人々は、イエス様の知恵と力とがどこから来たのか、本当に分からなかったのでしょうか?おそらく、うすうすは、それが上からのもの、神からのものであることに気がついていたのではないでしょうか?しかし、彼らはそのことを受け入れることができなかったのです。なぜなら、彼らは自分たちが、イエス様についてよく知っていると思い込んでいたからです。ナザレの人々には、彼らのイエス像というものがありました。27年間、同じ村に住んできた人々の抱くイエス像、それは大工を生業とする平凡な人物であったのです。その彼らのイエス像と、今自分たちの目の前にいるイエス様のお姿はあまりにも違うわけでありますね。ですから、ナザレの人々は、イエス様の知恵と力が上からのもの、神からのものであることにうすうす気づきながらも、イエス様を神様から遣わされた預言者として受け入れることができないのです。ナザレの人々は自分たちがよく知っているイエスを、神からの預言者として受け入れることができないのです。そのようにして、ナザレの人々はイエス様につまずいたのです。「つまずく」とは、イエス様を信じなかったということです。人々は、イエス様の知恵の言葉を聞いて、また力ある業を見て、「この人は神から遣わされた預言者であるに違いない」と言ってイエス様を信じたのではなくて、自分たちの持っているイエス像に捕らわれて、目の前にいるイエス様を受け入れることができないのです。
そのような彼らにイエス様はこう言われました。「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」。このイエス様の言葉は、元の言葉を見ますと「彼らに」対する言葉、人々に対する言葉であります。弟子たちに、悔し紛れに言った言葉ではなくて、「この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう」と驚き怪しむ人々に、イエス様は、「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」と言われたのです。ですから、この言葉は、イエス様が御自分を預言者であると主張している言葉でもあるのです。イエス様は、「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」と言うことによって、御自分が神から遣わされた預言者であると主張しておられるのです。このイエス様の言葉は、よく知られていたことわざではなかったかと言われています。このことわざの意味は、自分がよく知っている人の言葉を神の言葉として聞くのは難しいということだと思いますね。このことは、牧師の家族のことを考えたら、よく分かると思います。どの牧師の家族であっても、自分の夫、自分の父親が語る言葉を神の言葉として聞くのは難しいのではないかなぁと思います。もちろん、難しくても、神から遣わされた牧師であることを重んじて、信仰をもって聞くわけであります。しかし、このとき、ナザレの人々は、イエス様が神様から遣わされたことのしるしである知恵の言葉を聞き、力ある業を見ても、イエス様を重んじなかったのです。ナザレの人々は、イエス様を預言者として重んじることなく、大工の息子として、自分たちの内の一人として扱ったのです。それゆえ、イエス様はそこではあまり奇跡をなさらなかったのであります。イエス様の知恵の言葉を聞き、力ある業を見て非常に驚きながらも、イエス様を預言者として敬わないこと、そのことを聖書は「不信仰」と言い表します。「不信仰」とは「信仰がない」ということです。イエス様が御自分への信仰がない人々に対して、あまり奇跡をなさらなかったのです。これはよく分かることです。なぜなら、イエス様の奇跡、力ある業にあずかるには、イエス様に対する信仰が求められるからです。そのことを9章27節以下に記されていた「二人の盲人をいやす」というお話から確認したいと思います。9章27節から30節前半までをお読みします。新約の16ページです。
イエスがそこからお出かけになると、二人の盲人が叫んで、「ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と言いながらついて来た。イエスが家に入ると、盲人たちがそばに寄って来たので、「わたしにできると信じるのか」と言われた。二人は、「はい、主よ」と言った。そこで、イエスが二人の目に触り、「あなたがたの信じているとおりになるように」と言われると、二人は目が見えるようになった。
私たちは、ここから、イエス様の力ある業が、イエス様を神から遣わされた救い主と信じる者たちに対してなされたことを教えられます。つまり、イエス様は、御自分を神様から遣わされた者として重んじる人たちの願いに応えて、神様から遣わされた者としての力ある業をしてくださるのです。
では、今朝の御言葉に戻ります。新約の27ページです。
イエス様は御自分を大工の息子と呼び、よく知っていると言い張るナザレの人々に対して、あまり奇跡をなされませんでした。それは、ナザレの人々がイエス様に奇跡をしてもらうことを願わなかったからです。イエス様は、御自分を神から使わされた預言者、もっと言えば救い主として敬わない人々に、ほとんど何もできなかったのです。このことはよく分かることではないかと思います。私も、自分を牧師として重んじてくれる人には牧師として振る舞うことができますが、私を牧師として重んじてくれない人には牧師として振る舞うことができません。もし、私をただのおじさんとしか思わない人がいれば、その人に対しては、ただのおじさんとしてしか振る舞うことができないのです。それはその人がわたしとただのおじさんとしてしか付き合いたくないと願っているからなのです。
ナザレの人々は、イエス様の知恵ある言葉を聞き、力ある業を見ても、イエス様を神から遣わされた預言者であると認めることができず、自分たちが知っている大工の息子として、扱いました。彼らは自分たちのイエス像、イエス様についてのイメージにとどまり続けたわけです。そのようにして、ナザレの人々はイエス様につまずき、イエス様を神から遣わされた預言者として信じなかったのです。しかし、彼らは本当に、イエス様のことを知っていたのでしょうか?確かに、ナザレの人々は27年もの間、同じ村でイエス様と生活をしてきました。また、イエス様が大工の息子であること、大工を生業としていることも知っていました。さらには、イエス様の家族構成、その名前も知っていました。しかし、彼らは本当に、イエス様のことを知っていたのでしょうか?例えば、彼らはイエス様の父であるヨセフが、ダビデの子孫であることを知っていたでしょうか?また、イエス様がユダヤのベツレヘムで生まれたことを知っていたでしょうか?さらには、イエス様が、聖霊によって、おとめマリアの胎に宿ったお方であることを知っていたでしょうか?彼らはそのようなことを知りませんでした。実は、彼らはイエス様のことを知らないのです。もちろん、彼らはイエス様が洗礼者ヨハネから洗礼を受け、そのとき天が開けて、霊が鳩のようにくだり、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が天からあったことも知らないのです。つまり、イエス様が公に、メシア、救い主として即位されたことを知らないのであります。彼らがイエス様について知っていることは、ほんの一部です。しかし、彼らはそのほんの一部の知識からイエス様を知っていると思い込むのです。イエス様に与えられているしるしを目の当たりにしながら、イエス様を神から遣わされた方として重んじようとはしないのです。
現代の日本社会においても、多くの人が、イエス・キリストについて、自分は知っていると思い込んでいます。学校の歴史の授業などでも学びますから、確かに多くの人がイエス・キリストについて何らかの知識を持っています。しかし、それはうわべだけの知識です。イエス・キリストを知るとは、イエスの名によってささげられている礼拝に身を置いて、イエス・キリストの言葉を預言者の言葉、救い主の言葉として聞くことによるのです。聖書を通して語られるイエス・キリストの言葉も、復活して今も活きておられるお方の言葉として、聞くことによるのです。そのとき、イエス様は、私たちに復活の主として、生きて働くお方として、臨んでくださるのです(ヘブライ11:6参照)。イエス様を信じたいと願うならば、イエス様はその人に、御自分を信じる信仰を与えてくださるのであります。そのようにして、イエス様は、今も、私たちの内に奇跡を起こしてくださるのであります(ヨハネ6:29参照)。