神様のお働き
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- 千禎鎬 牧師
- 聖書 ヨシュア記 19章1節~23節
日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ヨシュア記 19章1節~23節
イスラエルの各部族に与えられた土地の大きさと地形がそれぞれ違います。このように位置と大きさ、また地形が違う理由は、それぞれに役割があるからです。イスラエルは、神様がお選びになった民族であり、一つの体のような共同体です。体は、それぞれ違う部分を持っています。頭、足、手など。それぞれの役割が違いますが、それらの一つ一つが体を造ります。形も役割も違うので、一つ一つの部分は、自分だけのために生きてはなりません。そうるならば、その体は完全な体ではありません。主の教会も同じではありませんか。
自分たちの部族だけのために生きるのならば、結局、イスラエルは完全に分裂され、神様の栄光を表わすこともできず、カナンの地は与えられましたが、最終的に神様に捨てられるでしょう。イスラエルの各部族は、与えられた土地で生きながら与えられた自分たちの役割を果たさなければなりません。
17章14節から見ますと、ヨセフ部族は自己中心的な考えで、自分たちの土地が狭いと不平不満しました。それで、ヨシュアが開拓しなさいと命令しましたが、その地域は森林地帯で、カナンの土地に残っている住民は鉄の戦車を持っているので、不可能だと言い訳をしたのです。良い土地、安全な土地、簡単に与えられる土地を要求しました。しかし、神様の御言葉に頼らず、神様に立てられたリーダーに忠実に従わなければ、どのような土地も与えられません。
今日の御言葉は、まだ嗣業の土地を与えられなかった七つの部族の中で、ベニヤミン族の続き、シメオン部族がくじで嗣業の土地を与えられる内容が出ます。18個の町を与えられますが、シメオン部族は、ユダ部族が与えられた嗣業の土地の中の一部を自分たちの嗣業の土地として与えられ、ユダの土地の中で住むようになりました。今日の1節最後の部分を見てください。[その嗣業の地とはユダの人々の嗣業の土地の間にあった] と書いてあります。その理由については、9節に書いてあります。ご一緒に読みましょうか。
[シメオンの人々の嗣業の土地はユダの人々の領土の一部であった。ユダの人々への割り当て地が多すぎたため、ユダの嗣業の土地の中にシメオンの人々は嗣業の土地を受け継いだのである] しかし、シメオン部族がユダの嗣業の土地の中で住むようになったのは、ヤコブが12人の息子のために祝福の祈りをしたとき、シメオンとレビのために祈った内容が成し遂げらるためでした。
創世記34章を見ますと、ヒビ人ハモルの息子シケムが、ヤコブの娘ディナを強制的に捕らえ、共に寝て辱(はずかし)めました。この話を聞いたシメオンとレビは、激しく憤って、嘘の約束をします。割礼を受けるならば、ディナを妻として与えると約束しました。彼らが割礼を受けた時、シメオンとレビは、彼らのすべての男たちをことごとく殺しました。このことを聞いたヤコブは、自分はもちろんヤコブのすべての家族が滅ぼされることを恐れ、ベテルに上り、そこに住むことになります。このことを覚えていたヤコブは、シメオンとレビのために祝福の祈りをしたとき、このように祈りました。創世記49章7節、[呪われよ、彼らの怒りは激しく、憤(いきど)りは甚(はなは)だしいゆえに。私は彼らをヤコブの間に分け、イスラエルの間に散(ち)らす] この祈りの内容通りに成し遂げられたのです。
そして、エジプトから出た時シメオン部族の人口は、59、300名でしたが、嗣業の土地を与えられる時は、22、000名に急に減って、一番人数の少ない部族となりました。その理由は、民数記25章、9節と14節に書いてありますようにペオルの事件で死んだ24、000名がほとんど、シメオン部族の人々だからです。シメオンは、ヤコブとモーセの預言で祝福されませんでした。民数記26章14節を見ますと、第二の人口調査の時、シメオンの人口は、22、000名で、ほかの部族の平均人口の半分にも至りませんでした。また、シメオン部族はイスラエルが北と南に分裂される時も、北イスラエルに部族たちが吸収され、一番先に消えてしまったそうです。このようにシメオン部族は、ユダ部族に与えられた嗣業の土地の間、18個の町を与えられ居住(きょじゅう)するようになったのです。
また、今日の御言葉10-16節を見ますと、ゼブルン族に与えられた嗣業の土地について記されています。
ゼブルンは、ガリラヤの低地帯で、石地、荒れ地を嗣業の土地として与えられました。南側は、マナセの半部族とイッサカル部族、北側はアシェル部族とナフタリ部族との境に接しています。ヤコブとモーセの祝福の祈りの内容を見ますと、ゼブルンは、海辺に居住することを預言しています。創世記49章13節にこのように書いてあります。[ゼブルンは海辺に住む。そこは船の出入りする港となり、その堺はシドンに及(およ)ぶ]、申命記33章19節に[彼らは海の富、砂に隠れた宝を手に入れる。] しかし、実際に海洋地域に居住地を造ることはできませんでした。ゼブルン部族は、土地が狭くて石地、荒れ地でしたので、旧約時代には、注目されませんでした。しかし、イザヤの預言を見ますと、蔑視されたこの地域がメシアである主イエス・キリストの働きによって栄光となると預言されました。イザヤ8章23-9章1節にこのように書いてあります。[ゼブロンの地、ナフタリの地は辱めをうけたが、のちには海沿(うみぞ)いの道、ヨルダン川のかなた異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。]
新約時代にイエス様が集中的に働いたところがゼブルンの地域でした。世の人が見るとその地は捨てられたように見えますが、救い主である主イエス・キリストが来られ、彼らの涙を拭いてくださり、永遠の命の祝福を与えられる地となるということです。霊的な目で見ますと、一番大きな祝福を与えられた地は、ゼブルンの地です。このように私たちがこの世で受ける一番大きな祝福は、霊的な祝福です。永遠の命を与えられること、天の希望があり、天の報いを与えられる祝福です。主イエス・キリストを信じ、主の中に留まり、神様の子どもとなる祝福こそ、何より一番大きな祝福であります。もちろん、世の祝福も大切です。しかし、世の祝福は、限りがあります。この世で終わります。時には、世の祝福のために戦いが起こる時もあります。私たちクリスチャンには、霊と肉の戦いがあります。肉の豊かさに安住するのか、苦しい時もつらい時もありますが霊の祝福のために主に従うのか。いつも霊的な戦いを通して無くなることのない、限りがない霊の祝福が溢れる私たちになりましょう。
17-23節には、イサカル部族が与えられた16個の町を紹介されています。イサカル部族もカナンの地の北側に嗣業の土地を与えられましたが、北側にはタボル山があり、ゼブルンとナフタリ部族との境界線があります。南側は、マナセ部族があります。イサカル部族の土地は、肥(こえ)土、肥沃(ひよく)な地があるところだそうです。創世記49章14-15節にヤコブはこのように預言します。[イサカルは骨太(ほねぶと)のろば、二つの革袋の間に身を伏せる。彼には、その土地が快(こころよ)く、好ましい休息の場となった。彼はそこで背をかがめて荷を担い、苦役(くえき)の奴隷に身を落とす]
それで、北イスラエルのアハブ王は、ナボトのブドウ畑を奪おうとしましたが、その土地がイサカル部族の土地であるイズレエルです。肥(こえ)土、肥沃(ひよく)な地でしたが、この土地を奪おうとする人が多かった土地でもあります。それで、ここで戦争が良くあった場所だそうです。その時代には、良い土地があれば、それを奪おうと紛争が多くあったそうです。このことを考えますと、この世でも同じです。豊かで良いところだとしても必ず、幸せだとは言えません。むしろ、神様がそれぞれに与えてくださった祝福に感謝し、満足しながら生きることが大切です。世の豊かな祝福を与えられても神様の栄光と全く関係ない人生を生きるならば、石地、荒れ地に住む人生より、つらくて苦しい戦いをしなければならないでしょう。この世で神様に与えられたすべてを自分だけではなく、神様のために、また隣人のために使い、神様の栄光を表わす人生ることができますように願います。
くじを引いてカナンの地を分配していますが、カナンの地の分配は、ヤコブが自分の12人の息子に祝福の祈りをしたその通り成し遂げられたことが分かります。すなわち、神様の摂理の中でカナンの地の分配も行っているということです。人間の目で見ますと、ある時は、不公平で非合理的に見えるかもしれません。しかし、その中には神様の大きな計画があります。このように神様は、神様の摂理の中で私たちのすべてを治め、成し遂げられるお方です。ですので、私たちはこのことを忘れず、すべてを導いてくださった神様に感謝し、主がなさるすべてに従う人生を生きていきましょう。お祈りを致します。
全てを治め、すべてをなさる天の父なる神様、今日もあなたの尊い御言葉を与え、聞かせてくださり、感謝いたします。あなたは休むことなく、あなたの子どもである私たちのためにあなたの御心に適うようにお働きになさるお方です。しかし、愚かな私たち人間は、神様の御心を悟らず、目に見えることだけで判断し、不平不満する時も、神様がお働きをなさることを認めない時があります。赦してくださり、すべてを治め、すべてをなさる神様のお働きを悟るように、またそのお働きに感謝し、従うように信仰を強め、導いてください。神様の子どもとなった私たちが、与えられた祝福と与えられた環境に不平不満をせず、神様がなさったすべてを認め、これからどのように生きるか深く悟り、歩むことができるように知恵と力を与えてください。
弱さを覚えている方、悩んでいる方がいます。彼らに慰めと癒しを与えてくださり、これから神様がなさることを期待し、すべてをなさる神様と共に生きる心を与え、信仰を強めてください。求道者の方が、イエス様を信じるようにあなたが働いてくださり、一番大切な救いの喜び、天の祝福を与えてください。また、その祝福を与えてくださった神様に従う幸せな人生を生きるように導いてください。教会から離れている方が、再び主の元に帰るようにお働きをしてくださり、いつもあなたの中に留まり、すべてをなさるあなたを伝える人生を生きるように恵みを与えてください。礼拝参加が難しくなっている方の上にもあなたが働いてくださり、どこにいても日々、あなたの愛を覚え、あなたの恵みの中で生きる幸いを与えてください。新しく迎えて3月も私たちの上にすべてをあなたが働いてください。すべてのことを主にゆだね主イエスキリストのみ名によってお祈りを致します。