土地の記録を作り、戻ってきなさい。
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- 説教
- 千禎鎬 牧師
- 聖書 ヨシュア記 18章1節~10節
日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ヨシュア記 18章1節~10節
ヨシュア記18章には、今まで嗣業の土地を与えられた部族、すなわち、ヨルダン川の東側の嗣業の土地を与えられたルベンとガド部族とマナセの半部族を含め、ヨルダン川の西側の嗣業の土地を与えられたユダとエフライム、またほかのマナセの半部族以外のほかの部族の嗣業の土地について記されています。エフライムの土地であるシロに集まりました。そこで幕屋を立てました。この意味は、神様が共にいるという意味です。ですので、イスラエルの民は、何をしてもまず、神様に従い、神様の御言葉を聞かなければなりません。今日の御言葉を見ますと、嗣業の土地の分配に対して消極的であった七つの部族が出ます。消極的な彼らは、神様の御心を正しく悟ることができませんでした。彼らは、カナンの地に残っている敵を追い出す意欲もあまりなく、現実に満足し、安住しようとする思いで頭がいっぱいでした。その結果、彼らは嗣業の土地を与えられませんでした。このような姿はどんな実も結ぶことはできません。それで、ヨシュアは彼らの土地の分配の前に、神様に対する信仰を強めるためにシロに集まり、神様に従い、神様の御言葉を聞こうとすることを強調し、幕屋を立てます。
3節を見てください。ヨシュアは七つの部族にこのように言います。[あなたたちは、いつまでためらっているのだ。あなたたちの先祖の神、主が既に与えられた土地を取りに行くだけなのだ] ヨシュアは、七つの部族に神様の約束の御言葉を確認するようにしてくれます。そして、再び彼らに言います。4-5節を見てください。[各部族から三人ずつ出しなさい。私は彼らを派遣し、この地方を巡回させ、嗣業の土地の記録を作り、戻って来てもらおう。そして、彼らにそれを七つに分割(ぶんかつ)させよう。ただユダは南部の領土(りょうど)に、ヨセフの家は北部(ほくぶ)の領土にとどまらせよう] ヨシュアは、彼らが積極的に動くように強く命令したのです。そして、ヨシュアはこのように言います。6節です。
[土地を七つに分割(ぶんかつ)したら、その記録を私のところに持って来なさい。私の神、主の前で、私はあなたたちのためにくじを引く] ここでもくじを引きます。この前も言いましたが、くじというのは非合理的な方法です。時には不公平な結果が出ます。不平不満が出る時もあるかもしれません。しかし、イスラエルの民はそれに従います。なぜでしょうか。イスラエルの全ての民は神様が与えてくださるということを信じていたからです。
聖徒の皆様。
聖徒が与えられるすべての事は、神様が決めて与えてくださいます。ですので、聖徒である私たちは、与えられた使命と神様の民としてしなければならないことだけを忠実に果たすべきです。神様の御国が広がるように最善を尽くさなければなりません。その後の報いや祝福は神様が定められ、与えてくださいます。
8-9節を見てください。やっと彼らが動きます。土地の記録を作るために出発します。またヨシュアは、再び命令をします。ヨシュアの命令が終わると、彼らは、その土地を巡回し、町々を七つの割り当て地に分けて、記録に書き留め、シロの宿営にいるヨシュアのもとに帰りました。先ほども見ましたが、この任務を果たすために選ばれた人は、各部族から三人ずつ出した人で合わせて21名でした。もしかしたら彼らに任されたこのことは、あまり大事なことではなく、つまらないことに見えるかもしれません。なぜでしょうか。それぞれの部族が巡回して、土地の記録を作って戻って来た後、その土地の分配のためくじを引かなければならないからです。土地の記録を作りましたが、そのまま自分たちの土地にはなりません。しかし、神様は彼らにふさわしい土地を与えてくださいます。すべてが神様の御心によって成し遂げられるからです。
私たちも同じです。聖徒である私たちが心を尽くして神様に仕え、神様に従う時与えられる報いは必ずあります。しかし、その報いについて私たちが関与する事はできません。神様が私たちにふさわしい分を与えてくださいます。
テモテへの手紙二4章8節にこのように書いてあります。[今や、義の栄冠(えいかん)を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれを私に授けてくださるのです。しかし、私だけではなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、誰にでも授けてくださいます] ですので、私たちは、最後の時に与えられる報いを期待しながら最善を尽くし、ただ主に従うべきです。
10節を見てください。
[ヨシュアは、主の前で彼らのためにくじを引き、イスラエルの人々に決められた割り当てに従って土地を分配した]
ここで、「主の前で彼らのためにくじを引き」と書いてあります。くじを引く人は、ヨシュアと祭司であるエルアザル、また各部族の代表者ですが、実際にすべてをなさる方は、神様だということが分かります。神様が御自分の御心によって各部族に土地を与えてくださるのです。箴言16章33節にこのように書いてあります。捜してご一緒に読みましょうか。
[くじは膝(ひざ)の上に投げるが、ふさわしい定めはすべて主から与えられる]
私たちはこの事を通して教訓を得ることができます。それは、ヨシュアと祭司であるエルアザル、また各部族の代表者がくじを引きますが、彼らに与える土地を定める方が神様だったように聖徒が与えられる報いも神様がふさわしく定めてくださるということです。ですので、私たちは神様が定めてくださる報いを期待し、ただ、前に進むべきなのです。
パウロはフィリピの信徒への手紙3章13-14を通してこのように告白します。
[兄弟たち、私自身はすでに捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリストイエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです] パウロは神様が与えてくださる賞、報いのために走り、期待していると告白します。また、ヨハネの黙示録22章12節にこのように書いてあります。
[見よ、私はすぐに来る。私は、報いを携(たずさ)えて来て、それぞれの行いに応じて報いる] 私たちにそれぞれの報いを与えてくださると教えています。その報いは何かはよく分かりませんが、必ず、報いがあると書いてあります。
コロサイの信徒への手紙3章24節です。[あなたたちは、御国を受け継ぐという報いを主から受けることを知っています。あなたがたは主イエス・キリストに仕えているのです。]
聖徒の皆様
私たちが与えられる土地の記録を作っていますでしょうか。また、作ったその土地の記録を神様に委ね、最善を尽くして生きているのでしょうか。もちろん、私たちが記録した土地の定めは、すべて神様の御手にあります。私たちが心から願い、望んだとしても神様が与えてくださることとは違うかもしれません。例えば、私たちは食べたり、着たり、持ったりする世のことを願いますが、神様は魂を愛し、命を救うためのことを任せてくださり、献身するように定めてくださるかもしれません。ただ、私たちは神様に仕え、神様の御言葉に従うことに最善を尽くすべきです。そうするならば、神様は一番ふさわしい報いを私たちに与えてくださいます。
一人になった義理の母のために、自分の里(さと)には帰らず、義理の母とベツレヘムへ行ったルツに考えにこともなかった神様の祝福が与えられました。ボアズに出会い、結婚することになり、イエス様の系図に入れられる祝福を与えられたのです。ですので、わたしたちは神様の御国のために献身の心を決め、十字架の苦難の中でも神様が共にいてくださることを信じ、置かれた環境の中で大きな土地の記録を作りましょう。神様が備えてくださる賞と報いは、私たちが想像した以上の素晴らしいものだと信じます。私たちはそれらを受けるのです。
コリントの信徒への手紙一2章9節に[しかし、このことは、「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮(う)かびもしなかったことを神はご自分を愛する者たちに準備された」と書いてある通りです] と書いてあります。
ですので、聖徒である私たちは、主が来られる最後の日に主から与えられる賞と報いを期待し、任された使命を忠実に果たし、すべてを神様に頼りながら与えられた使命の記録を作り、最後まで最善を尽くして主である神様に従いましょう。
小さな者も公平に愛してくださる天の父なる神様、この時間も御言葉の恵みを与えてくださり感謝いたします。あなたは、あなたがお選びになったすべての人に目を置き、いつも守ってくださいます。しかし、偏愛する私たち人間は、自分が好きな人や自分に利益となる人たちを愛し、関心を持ちます。神様の愛を完全に悟ることのできない私たちを赦してくださり、あなたのまことの愛を悟り、実践する信仰を与えてください。さらに、私たちに与えてくださった使命を心の中に刻み、使命の記録を作り、神様に頼りながらその使命を忠実に果たすことができるように導いてください。ここに集まっている私たちと善通寺教会の聖徒の皆様が、あなたに心を尽くして従う時、天の報いとあなたが備えてくださった賞を豊かに与えてください。また、この世でもあなたの豊かな祝福が与えられ、その姿を通して生きておられる神様の栄光を表わし、伝えることができるように導いてください。
弱さを覚えている方、悩んでいる方、疎外されている状態にある方の上に、あなたの愛を注いでください。御手を伸ばして癒してくださり、慰めと励ましを与えてください。また置かれた環境の中で神様に与えられた使命の記録を作り、最善を尽くしてその使命を果たすことができるように力を与えてください。さらにあなたの大きな賞と報いが与えられますように。求道者の方が、愛の神様を信じる恵みを与えてください。教会から離れている方が、再び神様の愛を悟り、自分に与えられた使命を知り、また果たすことができる幸いを与え、賞と報いを与えてください。礼拝参加が難しくなっている方にあなたの御手を伸ばしてくださり、あなたの愛を悟り、愛の神様と共に日々過ごすことができるように導いてください。すべてのことを主にゆだね主イエスキリストのみ名によってお祈りを致します。