自分のものにするがよい
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- 千禎鎬 牧師
- 聖書 ヨシュア記 17章1節~18節
日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ヨシュア記 17章1節~18節
先週の続き、今日の箇所は、ヨセフの氏族の一つであるマナセ族が与えられた嗣業の土地について記されています。マナセ族の半部族は、すでにヨルダン川の東側の土地を嗣業の土地として与えられました。残り半部族がヨルダン川の西側の土地を嗣業の土地として与えられます。
1節を見てください。ここで、マキルという人を紹介しています。[マナセの長男マキルは、ギレアドの父で、戦(いくさ)にたけ、ギレアドとベジャン地方を手に入れた]と紹介しています。 注釈によりますと、マキルはギレアドの父親というより、先祖の可能性が高いそうです。とにかく、マナセ族の半部族のマキルの子孫は、ヨルダン川の東側のギレアドとベジャン地方を手に入れ、そこに居住していたアモリ人を追い出す大きな業績を残しました。ヨルダン川の西側の嗣業の土地が、これからはヨルダン川の東側に行かなかったマナセ族の半部族に与えられるのです。2節から見ますと、ヨルダン川の西側の嗣業の土地を与えられる子孫は、六つの子孫です。民数記26章29-32節を見ますと、この中でアビエゼル以外に皆がマキルの子孫でギレアドの子孫です。これらの氏族ごとにくじで、ヨルダン川の西側の土地を嗣業の土地として与えられました。たぶん、この六つの氏族以外のマナセ族に属したマギルの子孫と一部のほかの子孫は、ヨルダン川の東側の土地を与えられたようです。
しかし、ヨルダン川の西側の土地を分配する六つの氏族の中でヘフェルの氏族に大きな問題が起こりました。どんな理由なのかは分かりませんが、ヘフェルの息子であるツェロハドは、息子がいない状態でした。5人の娘だけでした。その名前が3節の最後の部分に記されています。マフラ、ノア、ホグラ、ミルカ、ティルツァです。民数記27章1-11節を見ますと、モーセは娘に嗣業の土地を与えると命令しました。その命令に基づいて4節を見ますと、ツェロハドの五人の娘はそれぞれの嗣業の土地を与えられたのです。このようにしてマナセ族には、ヨルダン川の東、ギレアドとバシャン地方のほかに、10の地域が分配されたと5節に書いてあります。
主イエス・キリストの中には、男性だけではなく、女性も同等な人権として尊敬されています。コリント第一11章11-12節にこのように書いてあります。[いずれにせよ、主においては、男なしに女はなく、女なしに男はありません。それは、女が男から出たように、男も女から生まれ、また、すべてのものが神から出ているからです] 私たちが信じているキリスト教は、男と女の差別がありません。私たちがもう一つ考えなければならないことは、霊的な嗣業の土地を与えられるために勇(いさ)ましく、敵に立ち向かった人々にどのように配慮するのかということです。尊く霊的な戦いをしてくださった方、神様のために、教会のために、また兄弟姉妹のために謙遜に仕えた方を忘れてはなりません。
7-13節を見ますと、マナセ族とほかの部族との境界線について記されています。特にマナセ族とほかの部族との境界線が重なっている地域があります。11節を見てください。[またイサカルおよびアシェル領内(りょうない)でも、ベト·シェアン、イブレアムとそれぞれの周辺村落、ドルおよびエン·ドルの住民とそれぞれの周辺村落、タナク、メギドの住民とそれぞれの周辺村落など三つの台地はマナセに属した] これ以外にも、シメオンの部族もユダの部族が与えられた嗣業の土地の中で自分たちの嗣業の土地を与えられました。ヨシュア記19章9節を見ますと、[シメオンの人々の嗣業の土地はユダの人々の領土の一部であった。ユダの人々への割り当て地が多すぎたため、ユダの嗣業の土地の中にシメオンの人々は、嗣業の土地を受け継(つ)いだのである]と書いてあります。
なぜ、このようになったのでしょうか。それぞれの部族が嗣業の土地を与えられましたが、彼らは互いに支え、愛し、協力しなければならない一つの民族だということを悟るためだったでしょう。聖書は、このように教えます。
コリント第一12章22-23節、[それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。私たちは、体の中でほかよりも格好が悪いと思われる部分を覆(おお)って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄(ば)えよくしようとします] 後で、24節以後も読んでみてください。また、コリント第二8章14-15節には、このように書いてあります。
[あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏(けつぼう)を補(おぎな)えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです。多く集めた者も、余(あま)ることなく、わずかしか集めなかった者も、不足することはなかったと書いてあるとおりです]
今、私たちはどうでしょうか。主の中でいつも同じ共同体意識を持って互いに支え、愛し合い、分け合って一つの体として生きているのでしょうか。この聖書の御言葉を深く考え、従う信仰に至りましょう。
一方、ヨセフの一族は、カナンの大きな嗣業の土地を与えられたにもかかわらず、自分たちの土地が狭いと不平不満をします。14節を見てください。
[ヨセフの子らがヨシュアに「あなたはなぜ、ただ一つのくじによる嗣業の土地、一つの割り当てしかくださらないのですか。私の民は、主に祝福されて、これほど数多くなりました」と言うと] これに対してヨシュアはこのように答えます。15節を見てください。[あなたの民の数が多くて、エフライムの山地が手狭(てぜま)なら、森林地帯(しんりんちたい)に入って行き、ペリジ人やレファイム人の地域を開拓するがよい]
実は、ヨセフの一族に与えられた嗣業の土地を合わせると、ほかのどのような部族の嗣業の土地より広いです。それにもかかわらず、自分たちに与えられた土地に満足せず、また開拓せず、むしろ民の数が多いと、それだけを言い、不平不満をしているのです。ヨセフの子らの話を見てみましょう。16節です。ご一緒に読みましょうか。彼らの話は言い訳にすぎません。もう一度よく見てください。
彼らが不平不満した理由は、山地が多くあるということもありましたが、実は、それよりもその土地に残っている人々との戦いが簡単ではないので、それを怖がりました。彼らのこのような不平不満の裏には、神様の約束の御言葉を信じない不信仰があったのです。
17節を見ますと、ヨセフの一族は本当に数も多く、力も強い民となりました。このように書いてあります。[確かにあなたは数も多く、力も強い民となった]
民数記26章28-37節を見ますと、ヨセフの一族は、カナンの地に入る直前の人口調査の結果、マナセ族とエフライム族と合わせて85、200人でした。この数は、ルベンとシメオン、またガドとベニヤミン、アシェルとナフタリの子孫を全部合わせた数より多かったそうです。さらに、マナセ族はカナンの征服初期に強力な力を持っていたカナンの連合軍に向けて勇(いさ)ましく戦った部族の人であったということで、ヨセフの子らのこのような不平不満は、何の説得にもなりませんでした。
私たちの信仰はどうでしょうか。もし、ヨセフの子らと同じように弱くなっている信仰と不従順のために、自ら開拓はもちろん、置かれている環境やそれぞれの現実的な問題によって、このせいで不平不満ばかりではありませんか。それで、信仰の前進することがができず、足踏(ぶ)みに留まっているのではありませんか。私も説教を準備しながら自分自身のことを悟り、恥ずかしくなり、悔い改めました。私たちが本当に信仰によって武装するようになるのならば、信仰の前進をすることができます。すべてを神様に頼るならば、どのような環境の中でも、また問題が訪れても主が望んでおられるところまで前に進むことができ、すべてを乗り越えることができると信じます。これから信仰の開拓ができると確信します。[山地は森林だが、開拓してことごとく自分のものにするがよい。カナン人は鉄の戦車を持っていて、強いかもしれないが、きっと追い出すことができよう] この御言葉が私たちの心に響くように願います。
聖徒の皆様。
神様は、私たちを失望させるお方ではありません。いつも約束してくださった御言葉を守ってくださるお方です。神様は、約束された霊的なカナンの地を得るために、絶え間なく前に進むことを願っておられます。愚かな人間的な考えと人間的な力によって約束された霊的なカナンの地を失わないようにいつも真実な神様に頼り、信仰によって前に進みましょう。また、この世で生きる間、私たちに与えられた使命を忠実に果たしましょう。主が審判するその日が必ず来ます。使命を果たそうとするとき、苦しく、悲しく、大変なことが多く訪れる時もあると思います。しかし、霊的なカナンの地に入るまで、真実な神様、全知全能の神様を心から信じ、最後まで信仰を守り、一緒に前に前進しましょう。主が必ず、助けてくださり、共にいてくださいます。お祈りを致します。
約束の天の父なる神様、今日もあなたの尊い御言葉を聞かせてくださり感謝いたします。あなたは、私たちに信仰を与え、霊的なカナンに入る資格与えてくださいました。また、そのカナンに入る前まで多くの敵と戦う聖霊をも与えてくださいました。しかし、信仰が弱い私たちはこれから入る霊的なカナンを見ることなく、置かれた環境や訪れる問題だけに集中しすぎて、不安を持ち、怖がり、信仰の前進はもちろん、不平不満をします。あなたが弱い私たちを赦してくださり、私たちの力となるあなたと共に歩むように、信仰を強め、導いてください。さらに現実には、何もできないように思いますが、信仰の開拓をしようとする熱心も与えてください。これによって主の教会が一つとなり、互いに支え、愛し合うことができる恵みを与えてください。善通寺教会の聖徒の皆様が、信仰の前進をする間起こるすべての苦難や苦しみを乗り越え、主と共に歩む幸いを与え、皆が約束された霊のカナンに入る喜びを与えてください。
弱さを覚えている方も、悩みによって苦しんでいる方も、この御言葉の秘密を悟り、すべてを乗り越え、天のカナンに入る喜びを持って力強く生きるように助けてください。また神様が一歩一歩共に歩んでください。インマヌエルの神様によって平安の中で生きるようにしてください。求道者の方が、信仰の歩みを共に歩むことができる恵みを与えてくださり、霊のカナンの地に入る幸いを与えてください。教会から離れている方が、再び、信仰の歩みを歩むことができるように。霊のカナンの地に入る希望を持って共に信仰の前進をすることができる喜びを与えてください。礼拝参加が難しくなっている方も、いつも主と共に信仰の前進をすることができるように導いてください。新しい今週も私たちがこの世で信仰の開拓を通して自分のものにするがよいという御言葉を成し遂げてください。すべてのことを主にゆだね主イエスキリストのみ名によってお祈りを致します。