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2025年01月26日「輝かしい私たちの嗣業の土地」

輝かしい私たちの嗣業の土地

日付
説教
千禎鎬 牧師
聖書
ヨシュア記 16章1節~10節

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日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ヨシュア記 16章1節~10節

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イスラエルの民がカナンの地を占領した過程を見ますと、大きく二つのことを見ることができます。まず、ヨシュアを中心としてカナンの地の代表的な王と地域を占領します。二つ目は、イスラエルの諸部族がくじを通して与えられた嗣業の土地に行って残っているカナンの地の部族を完全に追い払い、その地を占領します。すなわち、カナンの地を完全に征服してから嗣業の土地を与えられたのではなく、主な地域を占領し、各部族は自分たちに与えられた嗣業の土地に行って、残っているカナンの地の部族と戦い、その土地を完全に自分のものとしたのです。先週の15章までユダ族が与えられた嗣業の土地について学びました。今日の箇所からは、ヨセフの部族が与えられた嗣業の土地について記されています。まず、16章はエフライム族の嗣業の土地について紹介しています。また、17章は、マナセ族の嗣業の土地について紹介しています。カナンの地を分配する時、その特徴を見ますと、ヤコブが12人の息子たちを祝福した時の背景とその祝福の内容に基づいてそれぞれの部族に嗣業の土地が与えられました。実は、ヨセフはヤコブの11番目の息子でしたが、実際にはユダと共に長子と同じような祝福を与えられたのです。

まず、1-4節を見ますと、エフライムとマナセ族の嗣業の土地、すなわち、ヨセフ族が与えられた嗣業の土地の境界線について記されています。ヨセフ族もユダ族と同じようにくじを通して嗣業の土地を与えられました。この前も話しましたが、“くじ”というのは、イスラエルの民が重要な選択をしなければならない状況の中で、神様の御心を知る、得るために行った方法です。ですので、諸部族がくじを通してカナンの地を分配したということは、人間的な決定ではなく、神様の導きの中で神様を中心として生きようとするイスラエルの民の心思いを知ることができます。
神様は、エフライムとマナセ族が、同じ兄弟であることを確認させるためにくじを二回ではなく、一回だけするようにしてくださいました。しかし、ヨセフ族が与えられた嗣業の土地も本当に広い土地でした。ユダ族は、ヤコブの祝福の祈りをした通り、広い土地を与えられました。同じようにヨセフ族もヤコブが祝福の祈り通り、とても広い地域の土地を与えられました。注釈によりますと、ユダ族とヨセフ族が与えられた嗣業の土地の広さは、ヨルダン川の西側の地域の3分の2だそうです。残り3分の1の土地をほかの部族が分配するようになったのです。
ヨセフ族の土地の境を見ますと、エリコから始まります。エリコは、イスラエルの民がカナンの地に入った時、最初の戦いをしたカナンの地の腰、すなわち、核心的な地域でした。ヨセフ族は、広い土地だけではなく、カナンの地の中心部を与えられたのです。それで、後のことですが、ヨセフ族の長子の祝福を与えられたエフライム族は、イスラエルの代表として呼ばれます。歴代誌下25章7、エゼキエル書37章19、ホセア5章3、6章4節を参考してください。
4節を見てください。
「ヨセフの子ら、マナセとエフライムは嗣業の土地を受け継(つ)いだ」
神様はヨセフをマナセとエフライムという二つの部族を立ててくださり、嗣業の土地を与えてくださいました。長い間、兄弟から離れていたヨセフがやっとイスラエルの12の部族に入れられました。さらに二つの部族となったのです。
このように神様は、何も持たず、生まれた私たちに神様の嗣業の土地を与えてくださいました。今、私たちに与えられたすべては本来、神様のものです。しかし、高慢な私たち人間は、このことを忘れ、所有という名前ですべてが自分のものだと思います。また、そのための欲が溢れています。神様が全ての天地万物を造られ、エデンの園(その)を人に治める権威を与えてくださいましたが、人はそれに満足せず、高慢になり、自分の欲に従って神様のようになろうとする罪を犯したのです。すべてのものは神様のものです。私たちはそれを正しく管理し、自分だけではなく、神様のために、また隣人のために使わなければなりません。このことを忘れてはなりません。

5-10節は、エフライム族に与えられた嗣業の土地について記されています。
5節を見ますと、エフライム族の境、境界線は、東のアトロト·アダルから上(かみ)ベト·ホロンに至ります。また6節から見ますと、西へ向かう。北堺は、ミクメタトから東へ曲がり、タアトナ·シロを経(へ)て ヤノハの東に出ます。一方ではヨルダン川に達(たっ)するし、一方では地中海に達(たっ)します。このようにエフライム族は、イスラエルの腰の地域を与えられました。エフライム族がイスラエルを代表する族だということが様々なことを通して証明することができます。例えば、ヨシュアはエフライム族の出身です。嗣業の土地をまだ与えられなかったほかの部族がエフライム族の土地であるシロに集まって会議をします。また、北イスラエルの初代の王であるヤロブアムもエフライム族でした。しかし、エフライム族は、イスラエルの代表らしくはありませんでした。次の箇所ですが、エフライム族はマナセ族と一緒に嗣業の土地をもっと要求します。自分たちの土地が狭いと言いながら、感謝せず、不平不満をします。また、士師記8書見ますと、エフライム族は士師であるギデオンがミディアンとの戦いの時、その戦いに参加しませんでした。むしろ、ギデオンが勝利すると、なぜ、自分たちを呼ばなかったのかと激しくギデオンを責めました。また、士師記12章でツァフォンがアンモン人との戦いの時も同じようにしました。さらに、ツァフォンに対して戦争を起こし、同族同士で戦い殺し合うことをしました。聖書は、エフライム族の恥をそのまま記しています。このようにエフライム族は、代表という権利だけを求め、代表がしなければならないことはせずに、無責任な姿を見せました。
私たち人間は、エフライム族の土地の大きさのように世の大きさに心を奪われ、誘惑されます。しかし、神様は私たち人間が関心を持つ土地の大きさより、私たちに与えられた土地をどのように培(つちか)っていくのかを見ておられます。土地が大きくても小さくても与えられた土地で、神様の御言葉の実を結ぶ人生を生きるかどうかに関心を持っておられます。いくら大きな土地を与えられても、道のような土地、石が多くある土地、そして、イバラの茂(しげ)みが生(お)い茂(しげ)る荒れ野の土地であれば、多くの土地を求めても何の意味もありません。むしろ、そのような状況こそが霊的な危機なのです。反対にとても小さな土地を与えられても良い土地のように御言葉の実を豊かに結ぶならば、神様が喜ばれるのです。大きさ、高さ、豊かさなどを誇る愚かな人ではなく、神様の御言葉の実を結ぶ忠実な神様の民として生きましょう。

9節を見てください。
「このほか、マナセの人々の嗣業の土地の中にもエフライムの人々に配分された町々とそれに属する村があった」 エフライムの嗣業の土地がマナセの人々の嗣業の土地の中にもありました。この御言葉を見ますと、二つの族は、兄弟として同盟関係を結んでいたということが分かります。
10節を見てください。
「彼らがゲゼルに住むカナン人を追い出さなかったので、カナン人はエフライムと共にそこに住んで今日に至っている。ただし、彼らは強制労働に服(ふく)している。」
まだ、ヨシュアは生きています。それにもかかわらず、エフライムの人々は、カナンを征服するために最善を尽くしませんでした。これは、ヨシュアに対する反抗であり、神様の命令に従わない行動です。エフライム族は、ゲゼルに住むカナン人を追い出しませんでした。彼らを強制労働をさせるためです。神様の御言葉に従うのではなく、自分たちの安楽のために、欲望のためにカナン人を扱ったのです。後のことですが、ゲゼルはソロモンの時代になってから、エジプトの王がゲゼルを征服して、ソロモンの妻となった自分の娘に送り物として与えたので、イスラエルの所有となりました。このようにエフライム族の不従順によってゲゼルがイスラエルの所有となるまで450年かかったのです。さらに、カナン人が奴隷として生きながらも偶像崇拝をしました。この偶像崇拝はエフライム族の出身であるヤロブアム王と全イスラエルを堕落させるようにしたのです。この結果は、自分の安楽だけを考え、未来のことを考えなかったエフライム族の不信仰的な選択がもたらした悲劇でした。

神様は、完全な勝利者である主イエス・キリストを私たちに送ってくださいました。それで、私たちには不信仰的な世のことを追い出す力が十分にあります。それにもかかわらず、なおエフライム族のように自分の安楽のために、欲のために不信仰なことを追い出さずに隠し、また愛するのであれば、完全に追い出しましょう。エフライム族が歩んだ悲劇の人生ではなく、主に従う幸いの道を歩みましょう。
聖徒の皆様。
神様は、私たちが生きるために色々な霊的な嗣業の土地を与えてくださいました。 家庭を与え、職場を与え、さらに主の教会を与えてくださいました。生まれる時は何も持たず、生まれましたが、今、私たちには神様が与えてくださった多くの恵みがあります。目に見える物も、目に見えないものも与えられました。世の人々のようにたくさんもらおうと、たくさん持とうとするのではなく、神様の民らしく与えられた霊的な嗣業の土地を通して30倍、60倍、100倍の実を結ぶように良い土地を造りましょう。また、私たちの中に追い出さなければならないことがあれば、全て追い出して神様が喜ばれる民として生きていきましょう。詩編16篇6節を通してダビデはこのように告白します。
「測(はか)り縄(なわ)は麗(うるわ)しい地を示し、私は輝かしい嗣業を受けました」 お祈りを致します。




私たちに輝かしい嗣業を与えてくださった天の父なる神様、今日もあなたの尊い御言葉を与え、聞かせてくださり感謝いたします。あなたは、何も持たず、生まれた私たちにたくさんの嗣業を与えてくださいました。目に見える物も、目に見えないものもたくさん与えてくださいました。あなたの恵みに心から感謝し、褒めたたえます。それにもかかわらず、愚かな私たちは、安楽のために、欲のためにもっともらおうと、持とうと世の人々と同じように求めます。さらに、あなたが願っておられることに従わず、生きる時があります。赦してくださり、私たちの中にある、追い出さなければならないことはすべて追い出し、神様の民らしく生きるように信仰を与え、導いてください。ここに集まっているお一人お一人、またこの礼拝に参加できなかった善通寺教会の聖徒の皆様が、神様が喜ばれる道を歩むことができるように、また、その幸せな人生を通して生きておられる神様を伝えることができるように用いてください。
弱さを覚えている方、苦しみによって悩んでいる方が、落ち込まず、輝かしい嗣業の土地を与えてくださった神様を覚え、また与えられた嗣業を振り返り、それを通して感謝と喜びの日々を過ごすことができるように導いてください。また、あなたの平安と励ましと癒しの恵みを与えてください。求道者の方が、すべてを与えてくださる神様を信じる恵みを与えてください。教会から離れている方が、主の元に帰り、与えられた輝かしい嗣業によって喜び、主に従う人生を生きるように導いてください。手術を受けた姉妹に完全な回復を与えてくださり、苦難の中にいる兄弟を助けてください。新しい今週も私たちに輝かしい嗣業の土地を与えてくださったあなたと共に生きるように導いてください。すべての事を主にゆだね主イエスキリストのみ名によってお祈りを致します。

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