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2025年01月12日「この山地をわたしにください」

この山地をわたしにください

日付
説教
千禎鎬 牧師
聖書
ヨシュア記 14章1節~15節

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日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ヨシュア記 14章1節~15節

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今日の箇所14章は、13章のヨルダン川の東側の嗣業の土地を分配する内容の続き、ヨルダン川の西側の嗣業の土地を分配する内容が出ます。1-5節までには、それに関する概括的(がいかつてき)な部分で、6節から15節までは、カレブが自分に約束された嗣業の土地を与えられる過程について記されています。
まず、1節を見てください。
[イスラエルの人々が、カナンの土地で嗣業の土地として受け継(つ)いだのは、次のとおりである。これは、祭司エルアザルとヌンの子ヨシュアが、イスラエルの人々の諸部族の家長と共に、彼らに嗣業の土地として与えたものである。]
嗣業の土地の分配に関与した人たちは、祭司エルアザルとヌンの子ヨシュアが、イスラエルの人々の諸部族の家長でした。祭司エルアザルは、霊的な指導者として、ヌンの子ヨシュアは軍事指揮官として、またイスラエルの人々の諸部族の家長たちは各部族の代表者として嗣業の土地の分配に参加したのです。
この御言葉を通してどんなことがお分かりでしょうか。共同体の案件や行事は、一人の個人の意見や考えによって決めてはならないということです。信仰の共同体である教会も同じです。慎重な議論と合議(ごうぎ)の過程を通してすべてを決めて実行しなければなりません。知恵を集めて、力と心を合わせてすべてを進行する過程があるということが共同体だということを証明します。大変な時でも共にする、一緒に行くというところが教会です。私たちの家庭も同じです。家族の中で、家族の一人一人の意見が尊重され、合議されなければなりません。父親、または母親、さらに子供という立場で自分だけの意志や意見だけを主張し、決めてしまうのならば、その家族は分裂し、各自の人生だけを思い、生きるしかありません。小さな天国とならなければならない家庭が地獄のようになる残念な状態に陥ってしまいます。

2節を見てください。
[すなわち、主がモーセを通して命じられたように、くじで九つ半の部族に嗣業の土地を割り当てた]  祭司とイスラエルの人々の諸部族の家長とヨシュアと共に、嗣業の土地を各部族に与えましたが、そこには分配する方法がありました。その方法は、神様がモーセを通して命じられた方法、すなわち、くじでした。実は、今の時代、“くじ”という方法は、偶然、または運を思い浮かべるでしょう。しかし、イスラエルの民として、くじというのは、神様を信じ、神様の導きを求める信仰の方法でした。くじは人間が行いますが、すべての主権者である神様が与えてくださった方法だと信じ、神様に頼る信仰に基づいてくじを行ったのです。
今日(こんにち)、信仰の共同体である教会がある色々なことを決める時、基準とすべきことは何でしょうか。それは、神様の御言葉である聖書です。知恵ある人間が集まって心を合わせたとしてもそこには、限界があるでしょう。なぜなら、私たち人間の力は限りがあるからです。詩編119編105節にこのように書いてあります。[あなたの御言葉は、私の道の光、私の歩みを照らす灯(ともしび)。]
教会があることを決める時、葛藤(かっとう)や分裂することなく、調和(ちょうわ)を成すためには、神様の御言葉に基づいていければなりません。御言葉を通して正しい、また正しくないということを分別して、すべてを決めなければなりません。そのようにすれば、主の教会は神様の良い働きをすることができるのです。クリスチャンの家庭も同じです。正しいクリスチャンの家庭として生きようとすれば、選択をする時、いつも神様の御言葉を基準としなければなりません。主の教会もクリスチャンの家庭も神様の御心に適う働きをしようとする時、神様の御言葉に従わなければなりません。
3-4節を見てください。
[モーセはすでに他の二つ半の部族にはヨルダン川の東側に嗣業の土地を与えていた。彼はレビ人には嗣業の土地を彼らの間に与えなかったが、ヨセフの子孫がマナセとエフライムの二つの部族になっていた。レビ人は、カナンの土地の中には住むべき町と財産である家畜の放牧(ほうぼく)地のほか、何の割り当て地も与えられなかった] 土地を分配する時、三つの特徴があります。一つ目は、九つ半の部族だけに嗣業の土地を与えたということです。二つ目は、ヨセフの部族は、二つの部族となったので、二つの部族の嗣業の土地が与えられたのです。三つ目は、レビ部族は、嗣業の土地を与えられず、住む町と家畜の放牧地だけを与えられたということです。
このことを通して私たちは、公平な神様を知ることができます。ヨルダン川の東側の嗣業の土地を与えられた二つ半の部族には、ヨルダン川の西側の嗣業の土地は与えられませんでした。ヨセフの部族はマナセとエフライムの部族となったので、二つの部族にその規模に合わせて嗣業の土地が与えられました。また、一生神様に仕える働きを担当したレビ部族のために、全部族が彼らを支えるようになったのです。神様は、誰一人も疎外されないようにそれぞれの環境と役割に合わせて公平に嗣業の土地を与えてくださったのです。
私たち人間は一方に偏ってしまう時があります。しかし、私たちが信じ、従っている神様はそれぞれの環境と役割に合わせて公平に備え、与えてくださいます。どのような環境の中にあっても神様を信頼し、従う理由がここにあります。

6-15節までは、カレブがモーセを通して神様から与えられた嗣業の土地を求める内容について記されています。
カレブは12人の斥候(せっこう)の一人としてカナンの地を探(さぐ)りました。10人の斥候たちは、カナンの地を征服することに対して否定的でしたが、カレブとヨシュアは神様に対する信仰の中で肯定的な報告をしました。結果的に神様を不信したイスラエルの民は、40年間、荒れ野で迷い、カナンの地に入ることができず、荒れ野の2世代とカレブ、またヨシュアだけがカナンの地に入るようになったのです。与えられた状況の中でも神様を信じる信仰を持って従順したカレブに神様は、彼が踏み出したその土地を彼と彼の子孫に与えると約束しました。今日の御言葉を見ますと、カレブは自分に約束されたその土地、ヘブロンを求めたのです。10節を見てください。
「ご覧ください。主がモーセにこの約束をなさって以来四十五年、イスラエルがなお荒れ野を旅した間、主は約束通り私を生き永(なが)らえさせてくださいました。今日(こんにち)私は八十五歳ですが、」
カレブが探り出たその時の年齢は40歳でした。今、嗣業の土地を要求しているカレブの年は85歳です。45年という長い時間が経ってからです。カレブがこの長い期間、45年間を待つことができた原動力とは何でしょうか。それは、神様の御言葉に対する信頼、すなわち、信仰でした。神様の約束に対する信仰こそ、彼が長い間忍耐することができるようにした力だったのです。神様は約束されたことは必ず、守るお方です。カレブはその神様を堅く信じていたので、長い間忍耐することができ、その約束が成就されることを経験したのです。
何度も言いましたが、信仰というのは、待つということです。時が満ちると、神様が言われた御言葉は必ず、成し遂げられるということを信じて、待ち望むことです。私たちは、聖書の御言葉を通してなさってくださった神様の約束をはっきり信じていない時があります。それで、その約束を待たずに諦める時があります。このような姿が私たち人間の弱い姿です。
カレブは、時が満ちると、その御言葉は必ず、成し遂げられると信じて、45年という長い間、忍耐しながら待ちました。その信仰の結果、彼は神様の約束が実現されることを経験するようになります。
もう一つ、カレブの信仰を通して、信仰というのは、「神様が共にいてくださる」ということを信じることだということを悟ることができます。12節の後半部分を見ますと、「主が私と共にいてくださるなら、約束通り、彼らを追い払えます」とカレブは民の前で宣言しました。信仰というのは、どのような環境の中でも神様が私と共にいてくださるということを信じることです。そうするならば、どのような環境でも、どのような敵でも恐れることなく、前に進むことができるのです。
今日は、主の日です。人間の目で見ますと、昨日とあまり違いはありません。しかし、信仰の目で見ますと、今日は主が私たちの救いのために死なれ、復活された日であり、新しい日である主の日です。新しい命を与えられたことに感謝し喜ばなければならない大切な日です。この日、私たちが集まって感謝の礼拝を捧げ、主を褒めたたえるのです。
約束の神様は、御言葉を通して私たちに多くの約束を与えてくださいました。その約束がいつ成し遂げられるかははっきり分かりませんが、必ず約束を守ってくださる神様が私たちと共にいてくださると堅く信じ、「この山地をわたしにください」と、信仰の道を尊く歩んでいきましょう。お祈りを致します。



必ず、約束を守ってくださる約束の神様、今日も尊い御言葉を与え、聞かせてくださり感謝いたします。あなたは、私たちに御言葉を通して多くのことを約束してくださり、導いてくださるお方です。しかし、弱い私たち人間は、目の前に見えないということで神様の約束を信じようとせず、待つこともしない時があります。赦してくださり、真実な神様を心から信じ、神様が成し遂げてくださる時を待つことができるように私たちと共にいてください。ここに集まっているお一人お一人の上に、約束された神様を信じる信仰を強めてくださり、約束された御言葉が実現することを経験する恵みを与えてください。善通寺教会の全ての聖徒の皆様がこの恵みを受けて、真実な神様を大胆に伝えることができるように導いてください。
弱さを覚えている方、苦しんでいる方が必ず約束を守ってくださる神様を信じ、信仰によってすべてのことを乗り越え、この山地を私にくださいと大胆に生きるように恵みを与えてください。求道者の方が、真実な神様を信じることができる恵みを与え、約束された神様の祝福を与えられる幸いを与えてください。長い間教会から離れている方が、今年は、約束を守ってくださる神様の元に帰り、神様と共に歩む喜びを与えてください。新しく迎えた今週も主を信じるすべての兄弟姉妹たちが約束された神様を信じる信仰の中で歩み、約束されたあなたの祝福を与えられるように、またこの山地を私にくださいと大胆に主と共に生きるように導いてください。すべてのことを主にゆだね主イエスキリストのみ名によってお祈りを致します。

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