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2024年12月15日「主が来られる時まで」

主が来られる時まで

日付
説教
千禎鎬 牧師
聖書
ヤコブの手紙 5章7節~11節

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日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ヤコブの手紙 5章7節~11節

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第三週目のアドベントを迎えました。クリスマスは、イエス様が来られることを切に待ち望む人に本当にとって意味がある日なのです。イエス様を切に待ち望む人にクリスマスは喜びの日と慰めの日となります。また嬉しく胸がいっぱいになります。およそ、2000年前にイエス様がこの世に来られた時、イエス様を心から受け入れ、喜びながら歓迎した人々がいました。しかし、反対にイエス様を排斥し、イエス様を殺そうとする人々もいました。皆がイエス様が来られたことを喜んだのではありません。占星術(せんせいじゅつ)の学者たち、羊飼いたち、シメオンのような人々は、イエス様に敬拝し、イエス様を心から喜び歓迎しました。しかし、ヘロデ王をはじめ、当時のユダヤの指導者たちと宗教指導者たちはイエス様のお誕生を喜ばず、むしろイエス様を殺そうとしました。彼らはイエス様が誰なのか全く知らないからそのようにしたのではありません。彼らは預言者たちの預言を知っていました。それにもかかわらずヘロデ王はイエス様を殺そうとしたのです。
当時、ほとんどのユダヤの民は、メシアが来られることを待ち望んでいました。ローマの支配下にあったユダヤの民の生活は、とても苦しかったです。税金が多すぎること、さらにユダヤの指導者たちは政治的な利益を得るためにローマの政府の立場でユダヤの民を苦しめました。そのような環境の中で、ユダヤの民は預言されたメシアが来られて自分たちを解放し、自由と平和が溢れる生活となるように切に願っていました。その時、イエス様はこの世に来られ、彼らを慰めてくださり、彼らの希望となってくださいました。イエス様は、病気にかかった人々を癒してくださり、悲しみがある人たちを慰めてくださり、悪魔に捕らえられた人たちを自由にならせてくださいました。さらに、貧しく、弱く、疎外された人々の友達となってくださり、喜びと希望を与えてくださったのです。何より、人類の根本的な問題であった罪の問題を解決してくださり、救いの喜びを与え、永遠の命を与えてくださいました。
聖徒の皆様。
十字架の上で死なれ、復活されたイエス様は、救いを完成され、天に昇られる時、その姿のまま再び来られると約束してくださいました。イエス様はお働きをなさる時、終末のことと主の再臨、すなわち主が再び来られる日をどのように準備しなければならないのか、また目を覚ましていなさいと教えてくださいました。
アドベントとは、イエス様のお誕生を記念し、お祝いをするために準備をする時でもありますが、再び来られるイエス様を待つ時でもあります。イエス様がお生まれになったクリスマスを待ちながらアドベントを過ごしていますが、実は、私たちが待っているのは、再び来られる再臨のイエス様です。初代教会の聖徒たちがよくしていた挨拶は、[マラナタ]です。どういう意味でしょうか。[主イエスよ、来てください]という意味です。それほど、イエス様の再臨を待ち望んでいたのです。しかし、今の時代は、初代教会と比べるとあまりイエス様の再臨について意識しなくなり、信仰生活をしているように見えます。とても重要なことを忘れているのです。マタイによる福音書24、25章を見ますと、イエス様は終末、すなわち、主の再臨についてとても強調しています。後で必ず読んでください。

今日、読みました御言葉も主の再臨について記されています。7節に[主が来られる時まで忍耐しなさい] 使徒のヤコブは、主の再臨を話しながら待つことを強調します。7―8節を見ますと、[忍耐しなさい]という単語が3度も繰り返して記されています。注釈によりますと、[忍耐しなさい]という意味は、絶え間なく不当な搾取(さくしゅ)と抑圧(よくあつ)の中でも苦痛や苦しみがあっても勇気を持って忍耐強く[待ちなさい]という意味だそうです。
信仰生活において[忍耐強く待つ]ということは、とても大切です。今日の御言葉は、農夫のたとえが出ます。農夫は種をまいてから、実を結ぶためには、忍耐強く待たなければなりません。しかし、待つということは、簡単なことではありません。雨も待つ、芽が出るのも待ちます。また季候(きこう)や天気の様々な変変化があり、色々なことが起こりますが、実を結ぶまで忍耐強く待たなければなりません。暑い太陽の下で働かなければなりません。水をやり、草刈りもしなければなりません。毎日、多くの苦労をしなければなりません。今は、機械が発達したので、よくなりましたが、当時の農夫たちの働きは、本当に大変でした。今も田んぼの仕事や畑仕事をする方の話を聞きますと、大変だと言います。それにもかかわらず、収穫をするためには、忍耐強く待たなければなりません。
信仰生活においても忍耐強く待つという時間が必要です。待ち時間を通して、霊的に成長し、信仰が強められ、神様が喜ばれる霊の実を結ぶことが出来るのです。主が来られる時まで、そのまま何もせず、時間を過ごすのならば意味がありません。長い時間待ちながら霊的な成長があり、信仰が強められ、神様が喜ばれる実を結ぶためには、待つ姿勢が大切なのです。
皆様は、誰かを待つことがたくさんありますでしょう。その中には、愛する人を待つこともあったでしょう。愛する人を待つ時、他のところ、他の人に集中しません。じっと愛する人が来るところを見ながら、それだけに集中ます。
アウグスティヌスは、彼の[懺悔録(ざんげろく)]でこのように告白したそうです。[全知全能の神様、あなたは私たちを守ってくださる時、まるで一人だけを守ってくださるように私たちを守ってくださいます]
神様が私たちを愛してくださる時には、この世で一人しかいないように愛してくださいます。すなわち、休むことなくずっと私たちを愛し、守ってくださいます。放蕩息子が父親の家から出た時、父親は息子が再び家に戻る時をずっと待ち望みました。神様は私たちをこのように愛してくださいます。私たちが神様から離れ、神様の御心を考えず、世の楽しみに心を奪われ、罪を犯すならば、神様の心は悲しまれるでしょう。しかし、神様は私たちに集中し、神様の元に帰るように待っておられます。神様が待ってくださらなければ、私たち皆は、ソドムとコモラのように滅ぼされるのです。私たちを最後まで待っておられる神様の愛を悟るならば、私たちも神様を愛するようになります。本当の愛は、心を動かせるのです。私たちもこころから神様を愛することになります。そして、再び来られる主を忍耐強く待ち望むことができるのです。
サウロ王がダビデを殺そうとする時、ダビデは誰も頼る人がいませんでした。荒れ野で誰も彼を助ける人はいませんでした。その時彼は、神様だけに頼り、祈りを捧げました。ダビデは神様だけを仰ぎ見ながら、神様に近づき、神様を愛し、心から信じるイスラエルの王となったのです。
ローマの迫害が厳しくなった時、初代教会の聖徒たちは全てを下して、地下の共同墓地である[カタコーム]に入りました。彼らは暗く、湿気(しっけ)が多い洞窟(どうくつ)でおよそ300年を過ごしたそうです。彼らはそこで過ごしながらただ、イエス様が再び来られる日、再臨を待っていたのです。のどが乾いた鹿のように主の再臨を待ち望みました。洞窟の中には、鹿の絵と共にこのような文章が書いてあったそうです。[私たちは互いに愛し合いながら天国を経験します]
本当に素晴らしい告白で、うらやましい告白ではありませんか。
彼らが過ごしている環境は最悪ですが、彼らはいつも再び来られるイエス様を待ち望み、イエス様の教えに従い、互いに愛し合い、助け合いながらそこで天国を経験しました。イエス様を待ち望んでいる人は、イエス様の教えに従い生きるのです。また、イエス様の御言葉通りに生きる間、成長した信仰と愛を持って成熟したクリスチャンとして生きます。このように生きる人は、天国を経験しながら生きるようになります。イエス様の再臨を待つということは、単純にイエス様に会う日だけを待つという意味ではありません。イエス様が教えてくださった御言葉に従い、実践しながら生きるのです。イエス様は私たちの救い主であり、私たちの希望です。イエス様が来られるならば、神様の御国が来ます。罪と不義が溢れているこの世界は、愛と義、また平和が溢れる時代が開かれるようになります。
イザヤ書30章18節にこのように書いてあります。[主は恵みを与えようとしてあなたたちを待ち、それゆえ、主は憐れみを与えようとして立ち上がれる。まことに、主は正義の神。なんと幸いなことか、全て主を待ち望む人は]
神様は私たちに恵みと憐れみを与えようとして待っておられ、神様を待ち望む人にそれらを与え、祝福を与えてくださいます。希望である主を待ち望むことは、幸いなことです。希望である主を待ち望むことは、私たちを成熟させるようにし、また神様をより愛することができるようにします。希望を抱(いだ)いて主の降臨を待ち望み、祝福の日を迎えましょう。お祈りを致します。



私たちの希望である主イエスキリストの父なる神様、今日も尊い御言葉を与え、聞かせてくださり、感謝致します。罪によって何の希望もなく、暗闇の中で生きている私たち人間を救い、また新しい人生を開いてくださったあなたを崇めます。イエス様がお生まれになった日を待ち望んでいる私たちに憐れみを与えてくださり、あなたの恵みと祝福を与えてください。あなたの御前に集まり、礼拝を捧げるお一人お一人が、あなたの憐れみと恵みと祝福によって新しい人生を生きるように。また天の希望を持って再び主が来られる時まで、信仰を守り、主が教えてくださった御言葉に従い、伝えるように導いてください。さらに、インマヌエルの主がいつも共にいてください。善通寺教会の聖徒の皆様は、世の中の多くのことの中でも、再び来られる主を待ち望み、救われた人として相応しい人生を生きるように導いてください。また、救いの喜びと天の希望を与えてくださった主イエス・キリストを大胆に延べ伝えるように信仰を強めてくださり、用いてください。
弱さを覚えている方、悩みの中で苦しんでいる方を主が憐れみと恵みを与えてください。大きな慰めと励ましを与え、希望である主に頼り、従う人生を生きるように。また何があっても忍耐強く主を待ち望む信仰を強めてください。教会から離れた人があなたの愛を悟り、再びあなたの元に帰り、希望であるあなたと共に歩む人生を生きるように恵みを与えてください。礼拝参加が難しくなっている方が、再び主が来られる時まで、信仰を守り、主に頼り生きるように。また天の希望を持ってあなたを待ち望むことができるように。求道者の方を憐れんでくださり、再び来られる主を信じる恵みを与え、主が来られる時まで信仰を守り、主の教えに従う幸いを与えてください。新しい今週も再び来られる主を切に待ち望み、主の教えに従う歩みを歩ませてください。全てのことを主にゆだね主イエスキリストのみ名によってお祈りを致します。

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