人として来られたキリスト
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- 説教
- 千禎鎬 牧師
- 聖書 ヨハネによる福音書 1章6節~18節
日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ヨハネによる福音書 1章6節~18節
キリスト教の大切な教えは何でしょうか。それは、イエス様が教えたことです。それでは、イエス様の大切な教えは何でしょうか。それは、イエス様のお誕生と生涯、またイエス様の死にそのまま表されています。一言で言いますと、へりくだり、謙遜です。クリスマスの意味は、これです。私たち人間の心は、へりくだろうと、また謙遜になろうとあまりしません。むしろ、高くなりたい、誇りたい、自慢したいなど。自分の功績と出来事、また自分を表そうとします。しかし、これは、神様が願われることではありません。神様である御言葉は、人になり、ご自分をへりくだり、低くなられました。なぜでしょうか。それは、一番弱く、低いところにいる私たちを神様がおられるところまで導いてくださるためです。二週間目のアドベントを迎えました。私たち人間のためにへりくだり、一番低いところに来られたイエス様に出会い、感謝しましょう。
今日の御言葉に洗礼者ヨハネが出ます。彼はどのような人でしょうか。
6節を見ますと、彼は神様から遣わされた一人の人です。洗礼者ヨハネと呼ばれるこの人については、ルカによる福音書1章に詳しく記されています。彼は、イエス様の親戚です。イエス様より6か月ほど、先にこの世に生まれました。長い間子どもを産むことができなかった祭司のザガリアと彼の妻エリサベトとの間に生まれました。これは神様の特別な恵みです。神様は、イエス様がお働きをなさる前にイエス様の道を備える人としてこのヨハネを送ってくださったのです。
7節を見ますと、洗礼者ヨハネがなぜ、この世に生まれたのか記されています。
洗礼者ヨハネは、なによりイエス様についての証しをするために生まれました。多くの人が自分の証しを通してイエス様を信じるようになるためでした。ヨハネによる福音書1章29節の後半部分を見てください。このように証しをしました。[見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ] 彼は、イエス様をこの世のメシアとして証しをしました。そして、ヨルダン川でイエス様に水で洗礼を授けました。聖霊は、イエス様についての証を通して一人一人がイエス様を信じ、従うようにしてくださいます。
聖徒の皆様。
私たちは、ほかの人たちより先にイエス様についての証しを聞き、イエス様を信じるようになりました。イエス様を信じ、罪が赦され、永遠の死から救われ、神様の子どもとなりました。また、私たちもイエス様についての証しをする証人となりました。私たちがこの世で生きる目的は、この大きな愛と恵みを与えてくださったイエス様を証すること、伝えることです。いつも、どこでもいろいろな方法を通してイエス様を証する、伝える人生を生きましょう。
8節を見ますと、洗礼者ヨハネは光ではなく、光について証しをするために来たとはっきり書いてあります。また1章23節を見ますと、洗礼者ヨハネは預言者イザヤの預言通りに[私は荒れ野で叫ぶ声である。主の道をまっすぐにせよ]と自分を明(あきら)らかにしました。私たちは洗礼者ヨハネの証しに耳を傾けなければなりません。イエス様を証しながら私たちはすべての栄光を自分ではなく、主に捧げるのです。しかし、私たち人間はイエス様の恵みを受け、主を証ししながら自分自身が光のように輝こうとする時があります。洗礼者ヨハネが告白したように私たちは決して光ではありません。ただ主だけが光です。私たちは、ただ主を証しをする声なのです。自分の名前を表し、自分の業績を表そうとするのは、キリスト教の教えではありません。ただ、主の恵みだけが私たちを主の前に立たせ、主の前に行かせるのです。
今日の御言葉は、イエス様をまことの光だと教えます。イエスキリストはこの世に来られ、人々を照らすまことの光です。まことの光によって暗闇の中にいる私たちが解放され、明るくなるのです。光であるイエスキリストは、永遠に死ぬべきである私たちに永遠の命を与え、暗闇を退ける真理であります。
このようなイエス様がこの世に来られました。この世の全ては創造者であるイエスキリストの被造物です。しかし、この世はイエス様を知らず、認めませんでした。悟ることもできませんでした。被造物である人間が創造者を知らず、認めなかったのです。なぜでしたでしょうか。死んでいたからです。サタンに捕らえられ、知りたくても知ることができず、見たくても見ることができず、聞きたくても聞くことができませんでした。いや、聞いても見ても悟ることができず、認めることができませんでした。
イエス様は神様がお選びになったユダヤの民としてお生まれになりました。それにもかかわらず、その民、ユダヤの民はイエス様を受け入れませんでした。むしろ、イエス様を排斥し、イエス様を十字架に掛けるように前に立ちました。とても残念なことです。
皆様、その代わりに私たちに大きな喜びが与えられました。12節を見てください。[しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた] イエス様はユダヤの民として世に来られましたが、ユダヤの民はイエス様を受け入れず、イエス様を十字架の上で殺しました。神様の子どもとなる資格を捨てたのです。しかし、今日の御言葉は、誰でもイエス様を受け入れる人には、神様の子どもとなる資格を与えると教えます。すなわち、この世に人間として来られたイエス様を信じる人は、誰でも神様の子どもとなるということです。どのようにしてそのことが起こるのでしょうか。
13節を見てください。[この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってもなく、神によって生まれたのである。]
神様の子どもとなったということは、神様ご自分が子どもを産んだということです。すなわち、神様自らがそのようにしてくださるという意味です。人間の親や人間の決まりではなく、神様によって生まれるのです。私たちが主イエスキリストを信じるならば、神様が私たちに信仰を与え、神様の子どもとならせてくださいます。神様の子どもとなるということは、決して私たちの意志や力ではなく、ただ神様の御心、恵みによって与えられる資格です。
14節を見てください。
[言は肉となって、私たちの間に宿られた。私たちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた]
先ほども言いましたが、クリスマスの意味はへりくだり、謙遜です。神である御言葉、すなわち、14節にイエス様が肉となってこの世に来られたとはっきり記されています。創造者である御言葉、イエス様が被造物である人、人間となってくださいました。私たちと同じような人、人間として来られました。このイエス様が私たちと違うのは、罪がないということです。罪がない方で、神であるイエス様こそ、私たちを救うことができます。14節に[私たちの間に宿られた]と記されています。へりくだり、謙遜で低くなって人として来られたお方、私たちと共にいてくださるインマヌエルの神様が主イエスキリストです。そのお方には、独り子としての栄光であり、恵みと真理とに満ちておられます。私たちが人となった主イエスキリストの御前に来る時、私たちはその栄光を見ることができ、恵みと真理を享受することができます。
イエス様より6か月先に生まれた洗礼者ヨハネは、被造物です。人として来られた神であるイエス様は創造者です。洗礼者ヨハネは、創造者であるイエス様が自分より後にこの世に来られましたが、イエス様は本来、自分より先におられたと証しをしました。15節を参考してください。
16節を見てください。[私たちは皆、この方の満ち溢れる豊かさの中から、恵みの上に、さらに恵みをうけた] 私たちは、いつもイエス様の中にいるのかということを確認しなければなりません。私たちは、世の中でどんな時も恵みが満ち溢れるイエス様の祝福と恵みを受けようとするならば、ただ主の中にいなければなりません。祝福と恵みの通路は、主イエスキリストであるからです。17節を見てください。[律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエスキリストを通して現れたからである] 旧約聖書の代表者であり、律法の代表者であるモーセを通して与えられたのは、律法です。律法は、私たち人間が神様の御前で罪人であることを悟るようにします。しかし、律法を通しては、決して救われません。律法を通して恵みと真理は与えられません。私たちがイエスキリストの中にいる時、私たちはイエスキリストを通して与えられる命の恵み、命の真理を受け、享受することができるのです。
聖徒の皆様
イエス様は誰でしょうか。言であり、父なる神様と共におられる御子である神様です。また光であり、命であり、真理であります。 今日の箇所18節を見ますと、[父のふところにいる独り子である神]と書いてあります。この方が人として来られたイエスキリストです。誰も神様を見た人はいません。しかし、御子主イエスキリストを見る人は、父なる神様を見ることができます。なぜなら、イエス様が神様を示されたからです。
ヨハネによる福音書14章8-9節を見ます、フィリポがイエス様に[父なる神様を示してください]と言った時、イエス様はこのように言いました。[私を見た者は、父を見たのだ] ですので、イエス様を受け入れた人は、神様を受け入れた人です。また、イエス様を信じる人は、神様を信じる人なのです。誰でもイエス様を通らなければ神様に御前に行くことができる人はいません。イエス様だけが神様の御前に行く道であります。
皆様。
私たちはイエス様を心から信じます。そうするならば、イエス様の教えが私たちの生活の中で表わさなければなりません。第二のアドベントを迎えました。私たちを救うために人としてこの世に来られた神の独り子イエス様、光であり、救い主であるイエスキリストを証しをしながら今週も歩んでいきましょう。
お祈りを致します。
神の御子であり、光である主イエスキリストの父なる神様、今日もあなたの御言葉を与え、聞かせてくださり感謝いたします。あなたは、私たちの全ての罪を赦し、救いの喜びを与えるために、愛する独り子主イエスキリストをこの世に人として送ってくださいました。あなたの大きな愛と恵みに感謝いたします。へりくだり、謙遜で、ご自分を低くしてこの世に人として来られたイエス様の教えを深く学び、またイエス様を証しをする日々を過ごすことができるように導いてください。ここに集まっているお一人お一人が、また善通寺教会の聖徒の皆様が、イエスキリストの教えを心から受け入れ、その教えを実践し、アドベントを迎え、主を待ち望むことができるように、またこの世に人として来られた救い主主イエスキリストを多くの人に証しをし、伝えることができるように用いてください。
弱さを覚えている方、多くの悩みによって苦しんでいる方が、へりくだり、謙遜で、自分を低くして、私たちを罪の呪いから解放し、救いの喜びを与えてくださったイエス様の大きな恵みと慰めによって力強く生きるように導いてください。求道者の方が、人間の救いのために人として来られたイエス様を受け入れ、信じるように、また神様の子どもとなる資格が与えられますようにお祈りを致します。教会から離れている方が、再びあなたのもとに来ることができるように導いてくださり、祝福されたクリスマスを迎える幸いを与えてください。この世の中には、貧しく、苦しく、悲しい人が多くいます。彼らを憐れんでくださり、慰めてください。特に人として来られた光である救い主主イエスに出会う恵みを与えてください。第二のアドベントを迎えた私たちは、よりイエス様の教えに耳を傾け、実践する日々を過ごすことができるように導いてください。すべての事を主にゆだね主イエスキリストのみ名によってお祈りを致します。