私の民を慰めよ
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- 千禎鎬 牧師
- 聖書 イザヤ書 40章1節~11節
日本聖書協会『聖書 新共同訳』
イザヤ書 40章1節~11節
アドベントというのは、[来る]、[到着]という意味を持っているラテン語の“adventus”から由来した言葉でキリストの降臨、キリストが来られることを意味します。ですので、アドベントというのは、来られるイエスキリストを待つ期間です。クリスマスの前夜までの4週間の期間を意味します。主イエスキリストのお誕生を喜びを持って待ち望みながらアドベントを迎えましょう。
イスラエルの民が、苦難の中でも“神様は私たちの慰めだ”と告白しました。イスラエルの民は、エジプトで430年間奴隷の生活をしました。長い時間です。イスラエルの民は、エジプトという力強い国に対して何もできず、また希望もなく生きる力もありませんでした。その時、神様はモーセを通して希望を与え、大きな慰めを与えてくださいます。その後、バビロンで70年間、捕囚として苦痛の生活をしましたが、その時も神様は同じように希望と慰めを与えてくださいました。長い時間、故国の記憶が消えていく時、神様は神様の方法を通して彼らを自分の故郷に戻らせてくださいました。当時、世界情勢(じょうせい)は、混乱していました。バビロンが滅亡し、ペルシアが世界の中心となりました。力がないイスラエルの民は、再びペルシアに渡されるようになりました。しかし、キュロスというペルシアの王は、イスラエルの民が無条件で自分の故郷に帰るように布告(ふこく)を行(ゆ)き渡らせました。
この素晴らしいことを聖書には、このように記されています。[主は、かつてエレミヤの口を通して約束されたことを成就するため、ペルシアの王キュロスの心を動かされた] 歴代誌下36章22節とエズラ記1章1節に書いてあります。
約束の神様は、人間ができないことだとしてもご自分の民を慰めるために不可能なこともなさるお方であります。神様は、イスラエルの民のために敵の王にもかかわらず、一人の人を立てられ、その約束を守ってくださいます。
新約聖書を見ますと、慰めの神様を告白した人がいます。誰でしょうか。パウロです。コリントの信徒への手紙二、1章3-4節を見ますと、パウロは慰めの神様を告白しました。後で参考してください。
パウロは多くの神様の慰めを経験しました。私たちは、パウロの宣教を [宣教旅行]だと言います。しかし、その宣教旅行は、私たちが知っている旅行とは違います。目的地が決められ、宿泊するところと交通手段が用意され、ガイドが案内するような旅行ではありません。コリントの信徒への手紙二、11章23-28節を見ますと、彼は自分の宣教旅行についてこのように告白します。[私は苦労したことはずっと多く、投獄(とうごく)されたこともずっと多く、鞭うたれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭(あ)ったことも度々(たびたび)でした。ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度、鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船(なんせん)したことが三度、一昼(ちゅう)夜海上(やかいじょう)に漂(ただよ)ったこともありました。川の難、盗賊(とうぞく)の難、同胞(どうほう)からの難、異邦人からの難、町での難、…偽りの兄弟たちからの難。苦労、飢えかわき、裸でいたこともありました。このほかにもまだあるが、その上に、日々私に迫(せま)るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。]
彼はこのような苦難の中でも自分が受ける苦難についてこのように告白しました。[神は、あらゆる苦難に際(さい)して私たちを慰めてくださるので、私たちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。キリストの苦しみが満ち溢れて私たちにも及(およ)んでいるのと同じように、私たちの受ける慰めもキリストによって満ち溢れているからです] パウロは自分が受ける苦難を恐れることなく、むしろ苦難を通して神様の大きな慰めを受けたと告白しました。苦難という通路を通して神様の慰めが与えられたと信じたのです。
今日の箇所は、70年間の捕囚の生活の中で希望がなく、苦難によって耐えられなかった時、神様から四つの慰めのメッセージがイスラエルの民に与えられました。
まず、2節を見ますと、慰めのメッセージとして捕囚の生活が終わるということです。この御言葉は、イスラエルの民が神様から受けた罰が終わったという意味です。実は、この神様のメッセージを宣言した人が誰なのかについては分かりません。難しい話ですけれども、神学的にこの箇所が書かれた時は、イザヤ預言者は生きていないと言われます。注釈によりますと、このメッセージを宣言した人を第二、第三のイザヤだと言います。この人がもう捕囚の生活は終わると宣言したのです。とにかく、この慰めの言葉は、後で、実現されます。
二つ目、神様からの慰めのメッセージは、すべての人が、まもなく現わされる神様の栄光を見るということです。5節を見てください。
[主の栄光がこうして現れるのを肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される] 神様の栄光というのは、何でしょうか。宗教改革者であるカルヴァンは、“栄光、栄光、栄光”と言いながら最後の遺言を残したそうです。神様の栄光というのは、何でしょうか。難しいですね。一言で言いますと、神様の栄光というのは、神様がなさるすべての事に対して、賛美を受け、高く崇められることです。ですので、世の人々は、神様がなさる素晴らしい出来事を見るようになるということです。その素晴らしい出来事が何か、今日の御言葉はそれを視覚的なイメージを通してこのように表現します。[呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、私たちの神のために、荒れ地に広い道を通せ]
まるで、イスラエルの民が昔、エジプトから出た時、荒れ野を通ったように、ふたたび、バビロンの国から故郷イスラエルの地まで続く神様の道ができるということです。神様の御言葉が宣言されるところで、神様の慰めのメッセージを聞く人は、その前の道が開かれます。私たちも同じです。そのためには、神様の御言葉の中で道が開かれることを悟らなければなりません。
三つ目、神様の慰めのメッセージは、神様の御言葉はとこしえに立つということです。6-8節を見てください。[呼びかけよ、と声は言う。私は言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等(ひと)しい。永(なが)らえても、すべては野の花のようなもの。草は枯(か)れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。草は枯れ、花はしぼむが私たちの神の言葉はとこしえに立つ。] ここで大切なことは、この神様の御言葉がどのような状況の中で、どのような人に宣言されたのかということです。もし、この御言葉が有福(ゆうふく)な人やすべてが豊かな人、また何の問題もない人々に言われたと考えましょう。彼らはこの御言葉にどのような反応をしたのでしょうか。
この御言葉は、バビロンに連れて行かれ、二世代を超え、神様の民としての生活を失い、絶望の中に陥った人々に語られました。この御言葉は、私たちにこのように教えます。[この状況の中であなたは何をすることができるのか。あなたは何もできないが、全知全能の神様は不可能がない。あなたはもうすぐ、神様の栄光を見ることができる] 全知全能の神様の御言葉は、とこしえに立ちます。
もう一つ、神様の慰めのメッセージは、良い知らせを伝える者とならせてくださるということです。9節を見てください。
[高い山に登れ、良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振(ふ)るって声をあげよ。良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるな、ユダヤの町々に告げよ。見よ、あなたたちの神]
この御言葉は本当に大切な御言葉です。この御言葉が私たちを神様の民として、子どもとして呼んでくださった神様の御計画と目的なのです。愚かな私たち人間は、この御言葉を聞くことも従うこともしません。イエス様を信じますと言いながらも実際に、私たちを呼んでくださった神様の御計画と目的に従わず、献身する人が多くありません。
世の人々は、クリスマスを待ちながら自分の楽しいこと、嬉しいことを期待し、興奮しています。しかし、私たちクリスチャンは、アドベントを迎え、世の人々と同じようにただ興奮するのではなく、神様がイエスキリストを通してなさった事、またこれから私たちを通してなさることを期待し、クリスマスを待ちましょう。 アドベントというのは、[来る]、[到着]という意味を持っていると最初に言いました。神様は、イスラエルの苦難の歴史の中でなさったように、苦難と苦しみが溢れている私たちの人生にも慰めを与えて下さると信じます。慰めてくださる神様をいつも期待し、待ち望みながらアドベントを過ごすように願います。お祈りを致します。
慰めの主、天の父なる神様、今日も慰めの御言葉を与えてくださり感謝いたします。あなたは、あなたの民、あなたの子どもたちの苦しみと悩みを全て知っておられ、見ておられるお方です。またその苦しみと悩みに負けず、落胆と挫折に陥らないように大きな慰めと希望を与えてくださいます。しかし、弱い私たち 人間は、目に見え、また置かれた苦しい環境の中で慰めの神様を悟らず、神様の民、また子どもとして生きることができない時があります。赦してくださり、慰めの神様を正しく知り、固く信じるように導いてくださり、信仰を強めてください。
今日、アドベントを迎え、クリスマスを待っている兄弟姉妹の上にあなたの慰めが溢れ、置かれた環境の中で救い主主イエス・キリストを待ち、迎えることができるように導いてください。また、多くの悩みや苦難によって苦しんでいる方が、あなたの慰めと希望の御言葉が与えられ、慰めの主を賛美することができるように恵みを与えてください。
神様、戦争や、災難によって多くの人が苦しんでいます。生きる力もなく、仕方がなく生きる人もいます。彼らを憐れんでくださり、慰めを与えてください。特に慰めの神様に出会い、信じる祝福を与えてください。さらに良い知らせを伝える者として生きるように恵みを与えてください。最初のアドベントの週を迎えました。日々慰めの神様と共に歩み、また慰めを与えてくださるために来られた主イエスキリストを伝える人として尊く生きるように歩ませてください。すべての事を主にゆだね主イエスキリストのみ名によってお祈りを致します。