神様は私たちの嗣業
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- 説教
- 千禎鎬 牧師(代読)
- 聖書 ヨシュア記 13章8節~33節
日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ヨシュア記 13章8節~33節
今日の御言葉は、ヨルダン川の東側の土地を与えられた話について書いてあります。このヨルダン川の東側の土地は、私たちが知っているようにすでにモーセがルベンとガドとマナセの半部族に与えようとした土地です。彼らは、牧畜する良い条件を見てその土地を嗣業として求めたので、その土地をこれらの部族に与えるようになったのです。しかし、民数記32章を見ますと、ヨルダン川の東側の土地を彼らに与えようとする時、条件がありました。それは、これらの部族の人々が武装してカナンの地に入って全イスラエルの民がカナンの地を完全に占領するまで戦ってからそのヨルダン川の東側の土地をルベンとガドとマナセの半部族に嗣業として与えるという条件です。モーセは、自分がカナンの地に入ることができないということを知っていたので、祭司エルアザルと共同体の指導者とヨシュアにそのように命令をしました。
ですので、今日の箇所でヨルダン川の東側の土地をルベンとガドとマナセの半部族に与えられるということは、これらの部族がカナンの地に入って、カナンの地を占領するまですべてのイスラエルの人々と最後まで戦ったという意味です。すなわち、約束の地はもうイスラエルの土地となったということです。ベンとガドとマナセの半部族は、この戦いを最後まで参加したということが認められたのです。それで、ヨルダン川の東側の土地は、モーセが命令したようにこれらの部族の土地と完全に与えられるようになりました。
すべてのイスラエルが一つの部族も例外(れいがい)なく、嗣業の土地を与えられたのは、本当に感謝し、喜ばしいことでしょう。しかし、ルベンとガドとマナセの半部族は、すべての戦いに参加し、多くの犠牲しなければなりませんでした。しかし、彼らは、モーセの命令に従い、ついにヨルダン川の東側の土地を自分の嗣業の土地として与えられたのです。
今日の箇所は、ヨルダン川の東側の土地をルベンとガドとマナセの半部族に与えられる中で、一つの出来事について記されています。それは、バラムという人を殺すことです。22節を見てください。[そのほか、イスラエルの人々は、ベオルの子、占い師バラムを剣で殺した]と書いてあります。
民数記22-24章を見ますと、バラムは神様の霊の力により、強制的ではありますが、イスラエルのために三度も祝福の預言をします。しかし、今日の御言葉には、彼に対して恐ろしい表現をしています。[占い師]という言葉と[剣で殺した]という言葉が記されています。占い師を剣で殺したという残酷な姿を見せてくれます。特に[ベオルの子バラム]という言葉がとても強調されています。これは何を意味しますでしょうか。神様の民を犯罪に陥れることがどれほど怖い事なのかを見せてくれるのです。
今日の箇所を通してもう一つ見せるのは、それぞれの家族ごとに嗣業の土地を与えたということです。これは、家族の人数によって分けて与えたということです。家族の人数が多い家庭には多く分けて与え、人数が少ない家庭にはそれぞれにほどよく分けて与えたということです。お金持ちも貧しい人も皆が公平に生きることができるように分配しました。カナンの地でも同じように同一の原理によって行われました。他の言葉で言いますと、主の救いの恵みはすべての人に差別なく与えられるということです。主の救いの恵みは、どのような人にも差別なく、永遠に生きる天の御国に入ることができるようにします。この救いの恵みは、神様の愛の御計画の中で、主イエスキリストの十字架の恵みによって公平に与えられるものです。決して差別も差等(さとう)はありません。しかし、差別と差等がないから、適当に生きればようという考えは、主の救いの恵みと御国の価値を全く理解していない人の考えです。主の救いの恵み、何より御国に入る恵みを与えられたということを心から悟り、信じる人はその恵みを与えてくださった神様と主イエスキリストの栄光のために最善を尽くして生きようとします。それは、なぜでしょうか。愛の神様を、救い主イエスキリストを愛するからです。[適当に]という考えは、神様の愛とイエスキリストの救いの恵みと永遠の御国の価値を全く理解していないのです。
それでは、レビ部族に対しての嗣業の土地について見てみましょう。14節を見てください。[ただ、レビ族には、嗣業の土地は与えられなかった。主の約束された通り、イスラエルの神、主に燃やしてささげる捧げ物が彼らの嗣業であった。] また、33節を見てください。[モーセはレビ族に対しては嗣業の土地を与えなかった。主の約束された通り、彼らの嗣業はイスラエルの神、主御自身である] と書いてあります。この御言葉は、何を意味しますでしょうか。
神様が与えてくださる色々な祝福は大切です。しかし、神様に近づき、神様と共に生きるということこそ、一番大きな祝福であるという意味です。私たち人間の目には、何の嗣業も与えられなかったレビ族が不安であり、可哀そうに見えます。なぜなら、この世で生きる間、持っている者がないので、安定的に生きることもできず、豊かに生きることができないからです。言い換えれば、人間の目に見える世の物は、安定的に見えますが、目に見えない神様は不安定に見えるということです。しかし、神様が嗣業となり、主に燃やしてささげる捧げ物が自分の嗣業となるということは、全知全能の神様と共に、神様の中に生きる人生なのです。
レビ族のように土地がない人は、食べて生きることが大変です。しかし、どのような環境の中でもすべてを与える神様と共に生きる人はレビ族です。彼らの命、彼らの人生は神様の御手にあります。この世で不安定な人生を生きるようになるかもしれませんが、神様と共に毎日生きるということは一番大きな祝福であります。
私たちにもこのようなレビ族の祝福をすでに与えられました。感じていますでしょうか。すでに神様は、イマヌエルの主として私たちと共にいてくださいます。このような神様を知り、信じる人は、すでにレビ族の祝福を与えられました。神様に造られた人間の一番大きな祝福は、創造者であり、すべてを治め、成し遂げてくださる神様と共に、神様の中で生きることが一番大きな祝福です。
レビ族は、祭壇の近くで神様に仕え、神様の恵みを民に伝える役割をしました。また、民の罪と咎を審判される神様の怒りを避けるようにする役割をしました。荒れ野の生活の中でレビ族は、このような役割をしましたが、カナンの地に入ってもこの役割を続けて果たすように彼らに48の町を与えられます。神殿の恵みを民に伝え、民のすべての問題を神様に伝えるためでした。
レビ族は、土地の基盤を与えられませんが、その代わりに神様に基づいて生きる神様の証人として生きるようになりました。神様の御言葉、神様の啓示を正しく伝える証人の人生です。この人生はレビ族だけの人生ではありません。すべてのクリスチャン、神様を信じる人の人生でもあります。すべてのクリスチャンは、主イエスキリストを通して神様の啓示を知り、悟ったので神様が嗣業となる大きな祝福を与えられるようになりました。神様を知らず、信じなかった時は、世の多くの所有物を自分の嗣業として生きていたのです。
聖徒の皆様。
神様は、私たちクリスチャンに私たちの嗣業となってくださいました。神様こそ、私たちの唯一の嗣業です。ですので、神様を嗣業として生きるクリスチャンは、すべてを持っている人です。神様が全てであられるからです。しかし、神様が全てなので、毎日の生活の中で私たちにすべてを与えられるということではありません。神様がすべてであられるので、神様だけが私たちと共におられるのならば、たとえ、ほかの物を持っていなくても、本当に持たなければならない全てを持つようになったという意味です。ですので、神様以外に持たなければならない物はないということです。
神様を嗣業として生きるということは、唯一の神様だけを信じ、従うということです。世の中で生きる間、様々な苦難と苦しみがあったとしても全知全能の神様が、それらを乗り越えることができる力となり、一番良い方法を通して、一番良い道に歩むことができるように導いてくださることを信じ、従います。このような確信と信仰によって私たちは神様の証人となるのです。私たちの嗣業となってくださる神様が私たちを証人として呼んでくださったことを覚え、証人の人生をふさわしく生きていきましょう。お祈りを致します。
私たちの全てであられる天の父なる神様、今日もあなたの尊い御言葉を与え、聞かせてくださり感謝いたします。あなたはインマヌエルの主として私たちと共にいてくださり、すでに私たちの嗣業となってくださいました。心から感謝いたします。しかし、欲が多い私たち人間は、神様が嗣業となってくださったことに満足せず、目に見える世の物に多くの関心を持ち、いかにそれを多く持とうと自分のすべての力を注ぎます。赦してくださり、目には見えませんが、私たちの一番祝福である私たちの嗣業となってくださった神様と共に尊く生きる信仰と熱心を与えてください。ここに集まっているお一人お一人が、また善通寺教会の聖徒の皆様が、世の物の何より、私たちの嗣業となる神様の祝福と恵みを悟り、神様が願っておられる人生を生きるように導いてください。また、その祝福された人生を見た多くの人が神様を信じるように私たちを用いてください。
弱さを覚えている方、苦しんでいる方がインマヌエルの神様と共に生きる祝福の人生を悟り、神様を嗣業として生きる幸せな人生を悟る恵みを与えてください。また、その恵みによってすべてを乗り越え、この世で力強く信仰者として生きるように導いてください。求道者の方が、全てであられる神様のことを悟り、信じる恵みを与えてください。教会から離れている方が、インマヌエルの神様の愛と恵みを悟り、再び主のもとに帰ることができるようにしてください。また私たちの嗣業となってくださる神様と共に歩む幸せな人生を歩ませてください。礼拝参加が難しくなっている兄弟姉妹を憐れんでくださり、どこにいても私たちの全てであられる神様の恵みの中で生きるように導いてください。新しい今週もこの世で迷わず、私たちの嗣業となってくださる神様と共に尊く歩むことができるように。すべての事を主にゆだね主イエスキリストの御名によってお祈りを致します。