過ぎし日を顧みましょう
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- 千禎鎬 牧師
- 聖書 ヨシュア記 12章1節~24節
日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ヨシュア記 12章1節~24節
ヨシュア記12、13章は、説教をするのが難しいのか、またはあまり重要ではないからか分かりませんが、飛ばして説教をすることが多いです。実は私も説教を準備するのが難しかったです。しかし、このように記された理由があるでしょう。12章を通して神様が私たちに与えられる教訓を得ましょう。
11章の最後の部分を見ますと、[この地方の戦いは、こうして終わった]と書いてあります。その続き、12章1節は、今まで激しかった戦いと占領した国々とその王の名前、またその結果を振り返ろうとします。私たち人間は、良く知っても、良くできないことがあります。その中の一つ、過ぎ去った日々を振り返ることです。今日、読みました御言葉は、それを教えてくれます。私たちが今、している働きだけに集中することなく、今まで神様が共にいてくださったことを深く考え、振り返らなければならないということです。このようにするならば、これから私たちが働きをする間、失敗と過ちを犯すことが少なくなり、成功する人生を生きるに役に立ちます。ですので、振り返る時間を惜(お)しがらずに、積極的に持ちましょう。静かなところで一人で考えるのも良いと思いますが、礼拝を通して、また御言葉を読み黙想しながら、さらに祈りながら自分の事、人生を振り返りましょう。
もう一度言いますが、12章を通してヨシュアとイスラエルの民は、今まで行った戦いを慎重に振り返っています。その中で二つの大切な発見をします。それは、神様が与えてくださった恵みとすべてをなさってくださった神様の力です。
パウロは、自分自身のすべての働きや人生を振り返りながらコリントの信徒への手紙一15章10節にこのように告白しました。[神の恵みによって今日(こんにち)の私がいるのです。そして、私に与えられた神様の恵みは無駄にならず、私は他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実は私ではなく、私と共にある神の恵みなのです] 自分自身を振り返ってみると、神様の恵みが見えてきたのです。すなわち、すべてが神様の恵みによって生きて来たと悟りました。パウロは、一生、誰よりも多くの働きをしました。しかし、そのすべてが自分自身の力や意志ではなく、すべて神様の恵みだと告白しました。彼は、体の弱さもありましたが、それにもかかわらず、神様のために多くの働きをすることができたのは、神様の力と神様の恵みがあったので、そのようにしたと告白したのです。パウロのように自分自身を振り返りながら神様の力と恵みを悟るならば、私たちはもっと神様に頼り、信仰が強められ、すべての働きに集中することもできるし、意味ある人生を生きることができるのです。
私たちクリスチャンには、三つの大切な人生の領域(りょういき)があります。まず、教会生活です。私たちクリスチャンは、教会生活を大切にし、忠実に果たさなければなりません。教会は、神様の御国のためにこの世に立ててくださった神様の祝福の通路であり、使命の通路です。クリスチャンの信仰生活は、教会を中心となければなりません。
二つ目、家庭生活です。皆様、家庭を大切にしていますでしょうか。現代は、多くの家庭が壊れています。その理由は何でしょうか。色々な理由がありますが、何より問題なのは無関心です。両親の気持ちや生活に何の関心もない子ども、また子どもが何をしているのか、どんな悩みを抱えているのかなど。何の関心もない両親の家庭は、すぐ壊れてしまいます。家庭は互いに愛が冷めると危機に陥ります。
三つ目は、働くところです。(職場やそれぞれの働きの場所)この三つの人生の領域(りょういき)がバランスを取らなければなりません。忙しく、自分自身を振り返らず、ずっと前だけを見て走っている人生であるならば、また走って来た人生であるならば、大きく深呼吸し、一時立ち止まって、自分自身はもちろん、教会生活と家庭生活、また働きの生活を振り返ってみて、今まで共にいてくださった神様の恵みと神様の力を悟り、感謝しましょう。
1-6節は、モーセがヨルダン川の向こう側(がわ)での戦いと結果についての話です。その記録が何を教えていますでしょうか。今、戦い終えたヨシュアとイスラエルの民だけの戦いだけではないということです。すでに、モーセとその時代のイスラエルの民の献身が、今、カナンの地を占領した土台となったということを教えています。モーセとその時代のイスラエルの民が戦ってくれたので、すでに占領した領土(りょうど)をルベン人、ガド人、マナセの半部族に与えられるようになり、カナンの地の人々がこれらの事を聞いて恐れるようになったということです。ヨシュア記2章9-10節を見ますと、ラハブはこのように告白します。[言った。“主がこの土地をあなたたちに与えられたこと、またそのことで、私たちが恐怖(きょうふ)に襲(おそ)われ、このあたりの住民は皆、おじけづいていることを、私は知っています。あなたたちがエジプトを出た時、あなたたちのために、主が葦の海の水を干(ひ)上がらせたことや、あなたたちがヨルダン川の向こうのアモリ人の二人の王に対してしたこと、すなわち、シホンとオグを滅ぼし尽くしたことを私たちは聞いています。”]
モーセとその時代のイスラエルの民が戦ってくれたので、ヨシュアとイスラエルの民は、自信を持って戦うことができたのです。歴史を振り返ってみると、モーセとその時代のイスラエルの民の勝利と献身が表されました。その苦労と献身のおかげで、ヨシュアとイスラエルの民は、勝利をすることができました。ヨシュアは、神様の恵みと先祖たちの献身とまた苦労を忘れず、いつも覚えて感謝しました。私たちも同じです。神様の恵みと信仰の先輩、また親と多くの兄弟姉妹の献身と苦労によってここまで生きてきました。このことを絶対に忘れてはなりません。
イスラエルの民は、軍隊ではありませんでした。エジプトで奴隷の生活をしたので、戦う力も武器もあまりありませんでした。しかし、カナンの地の国々はこのイスラエルの民を恐れました。全く勝つことができないであろう戦いから勝利し、カナンの地を占領することができたのです。イスラエルの民が占領した王たちは、31人であることが分かるようになったのです。一番弱い立場の奴隷として生活していた民族がエジプトから解放し、カナンの地に定着していた31の国々を滅ぼし尽くし、カナンの地の新しい主人として登場するようになったのです。
一人一人の王の名前を思い出しながらヨシュアはどのような思いでしたでしょうか。自分たちが戦った結果を通して驚いたでしょう。アイとの戦いの敗北(はいぼく)以外に彼らは誰にも負けず、勝利をしました。ヨシュアは、一人一人の王の名前を並ベながら自分たちと共にいてくだった神様の恵みを忘れずに覚え感謝したでしょう。カナンの地の国々の王を滅ぼし尽くしてカナンの地の新しい主人となったのは、自分たちの力ではなく、自分たちを助けてくださった神様の力と恵みだと確信したでしょう。
聖徒の皆様。
今まで生きて来た私たちの人生を振り返ってみましょう。多くの悩みと苦労と苦しみがたくさんあったと思いますが、良く乗り越えてここまで来ました。しかし、ゆっくり振り返ってみますと、私たちの力だけで、また私たちの強い忍耐だけでこれらを乗り越えたのではありません。時には倒れることもありましたが、神様が立ち上がらせてくださり、御手を伸ばして私たちと共にいてくださったので、いろいろな人生の戦いに勝利を得、ここまで生きて来たのです。この神様の恵みと力を感謝し、悟りますでしょうか。
名前もよく分からないカナンの地の王の名前を並べながらヨシュアは、今まで戦いの中で生きて来た私たちに霊的な戦いの理由について思い出すようにします。私たちが信仰によって戦って来た多くの出来事、そして、その中で負けてしまう時もありましたが、倒れず、今日、この場に来て礼拝を捧げられるのは、すべてが神様の恵みと力によってです。この恵みを回復しましょう。
主の血によって建てられた教会と神様が与えてくださった家庭、そして各自が属している職場、働き場所に忠実に仕えましょう。バランスを取って人生を生きましょう。さらに、忙しい日々を過ごしていてもいつも振り返りながら神様の恵みと力を悟り、感謝する人生を生きましょう。お祈りを致します。
私たちの恵みと力となる天の父なる神様、今日も恵みの御言葉を聞かせてくださり感謝いたします。あなたはいつも私たちと共にいてくださり、あなたの力ある御手を伸ばして私たちを助けてくださいます。しかし、私たちは忙しいと言いながら自分を振り返らず、あなたの恵みと力を忘れて生きています。赦してくださり、これから自分自身を必ず、振り返って神様の大きな恵みと偉大な力を悟ることができるように導いてください。ここにいるお一人お一人が、振り返る人生を生き、あなたの恵みと力を悟り、あなたに感謝し、賛美を捧げるように導いてください。また、善通寺教会の聖徒の皆様が神様の大きな恵みと力を悟ることができるように自分自身を振り返ることができる心と信仰を与えてください。そして、大きな恵みを与え、力を注いでくださったあなたの御名を延べ伝えることができるように用いてください。
弱さを覚えている方、悩みによって苦しんでいる方のために祈っています。あなたがいつも共にいてくださり、恵みを与え、力を注いでくださることが悟るように。またあなたの平安と慰めによって力強く生きるように助けてください。求道者の方が、恵み深く力強いあなたの御名を受け入れ、信じるように。教会から長い間離れている方が再び、あなたの恵みと力を悟り、すべてを乗り越え、あなたの御前で賛美と礼拝を捧げることができる幸いを与えてください。礼拝参加が難しくなっている兄弟姉妹が、自分自身を振り返り、神様の恵みと力を悟り、いつも感謝の生活ができるように。さらに一日も早く共に礼拝を捧げることができる日を与えてください。新しい今週も神様の恵みと力を悟ることができるように自分自身を振り返る時間を持って過ごすことができるように。すべてのことを主にゆだね主イエスキリストのみ名によってお祈りを致します。