あなたの手に渡した
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- 千禎鎬 牧師
- 聖書 ヨシュア記 10章1節~15節
日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ヨシュア記 10章1節~15節
今日の箇所は、五人の王たちとの戦いについての内容が記されています。実は、この戦いは、イスラエルの民を騙して協定を結んだギブオンの住民のため始まった戦いです。ヨシュアは、エリコとアイを占領し、ギブオンの住民は、イスラエルの民に投降(とうこう)しました。カナンの地は北から南が長い地形でその腰の部分にエリコとアイとギブオンがありました。すなわち、ヨシュアは中部地方を占領したということです。今日、五人の王たちとの戦いは、南部地方を占領するための戦いです。ギブオンから南の方に一番近くにある町がエルサレムです。エルサレムの王アドニ·ツェデクは、ヨシュアがエリコとアイのこと、またギブオンの住民のことを聞き、非常に恐れました。その次は、自分たちとの戦いが起こるだろうと感じたのです。それで、南の方にある王たちに人を遣わし、自分たちが連合して、裏切り者のギブオンを撃つことを提案しました。南部地方の五人の王は、連合軍を組織(そしき)して、ギブオンを攻撃しました。せっぱつまったギブオンの人々はギルガルの陣営にいるヨシュアに人を遣わしてこう告げました。6節を見てください。[あなたの僕から手を引かず、早く上ってきて、私たちを救い、助けてください。]
7節を見ますと、この話を聞いてヨシュアは、すべての勇士を率(ひき)いてギルガルから彼らを助けるために出陣(しゅつじん)しました。なぜ、ヨシュアはすぐにギブオンの人々を助けたのでしょうか。この戦いは、結局イスラエルの民が戦わなければならない戦いだからです。
この戦いをよく見ますと、神様はイスラエルの民がギブオンを通して同時に五つの部族を滅ぼすことができる与件(よけん)を設(もう)けてくださったのです。城門を閉じた一つ一つの部族と戦うためには、時間がかかり、また多くの努力と力が必要です。しかし、ギブオンを通してその苦労と犠牲が減るでしょう。
南部の連合軍と戦わなければならないヨシュアの心はどうでしょうか。人間であれば、戦争に対し恐れが大きいでしょう。しかし、そのようなヨシュアに神様は連合軍との戦いに勝利の約束をしてくださいました。8節です。
[主はヨシュアに言われた。“彼らを恐れてはならない。私はすでに彼らをあなたの手に渡した。あなたの行く手に立ちはだかる者は一人もいない。”]
ヨシュアは、行ったこともない山地に居住(きょじゅう)している南部の連合軍との戦いを恐れていたことが分かります。また、この戦いの動機は、自分たちの判断と騙されて結んだ協定から始まったので、神様が助けてくださるのかと疑問があったのでしょう。しかし、神様はヨシュアに約束をしてくださったのです。[彼らを恐れてはならない。私はすでに彼らをあなたの手に渡した。あなたの行く手に立ちはだかる者は一人もいない] 勝利を与えるということです。
この御言葉は、私たちにも大きな慰めを与えてくださる御言葉です。私たちは、神様に聞くことも、主の指示も求めることなく目に見えることだけで判断し、多くの過ちを犯します。しかし、この愚かな過ちにもかかわらず、神様は神様の子どもである私たちと共にいてくださり、導いてくださいます。自分だけの判断によって多くの過ちを犯した理由で、落胆せず、再び神様の助けを求めましょう。
9節を見てください。[ヨシュアはギルガルから夜通(よどお)し軍を進め、彼らを急襲(きゅうしゅう)した。] 勝利を確信したヨシュアは、夜通(よどお)し軍を進め、彼らを急襲(きゅうしゅう)したと書いてあります。連合軍が寝ている夜中にも攻撃したのです。神様が約束を保証したうえ、ヨシュアは最善を尽くして戦いました。神様の御心が確かであれば、全力を尽くすことは当然です。
皆様。
私たちクリスチャンは、神様の御心を悟るならば、すべてに全力でなければなりません。しかし、私たちクリスチャンは、神様の御心ではないことに多くのエネルギーを注いている時が沢山あります。私たちが最善を尽くすことが何かを悟ることが本当に大切です。ヨシュアは、この戦いが神様の約束であり、御心なので、必ず勝利しようと心を決め、戦おうとしたのです。このような言葉があります。人が何に最善を尽くしているのかを見れば、その人の本心、心が分かるという言葉です。ヨシュアの本心、心は、神様の御心に叶うために全身全力をしたのです。ヨシュアはギルガルから夜通(よどお)し軍を進めたので、どれくらいの時間戦い続けたのでしょうか。注釈によりますと40キロだそうです。疲れたでしょう。しかし、そのあとは神様の時間です。神様がすべてをなさいます。
10節を見てください。
[主はイスラエルの前で彼らを混乱に陥(おとしい)れられたので、ヨシュアはギブオンで敵に大打撃(だいだげき)を与え、さらに彼らを追ってベト·ホロンの坂道を登り、アゼカ、マケダまで彼らを追撃(ついげき)した。]
神様が戦ってくださったのです。イスラエルの軍隊は、剣を持っていただけで、神様がすべての戦いをしてくださいました。10節に[混乱に陥(おとしい)れられた]、また11節を見ますと、[主は天から大石(おおいし)を降(ふ)らせた。雹(ひょう)に打たれて死んだ者はイスラエルの人々が剣で殺した者よりも多かった] と書いてあります。イスラエルの人々は戦ったというより神様の奇跡を目の前で見る経験をしたと言えるでしょう。申命記3章22節にこのような御言葉が書いてあります。[彼らを恐れてはならない。あなたたちの神、主が自らあなたたちのために戦ってくださる] これが神様の恵みです。
神様を信じる私たちは、神様の御言葉に従い、神様が与えてくださった使命を忠実に果たしていくならば、私たちの前に置かれているすべての戦い、すなわち、すべての問題を神様が自ら解決してくださり、戦ってくださいます。私たちはこのことをはっきり信じ、すべてのことに最善を尽くし、また神様に任せればよいのです。
この戦いの中でヨシュアはとても有名な宣言の祈りをします。12節です。
[ヨシュアはイスラエルの人々の見ている前で主をたたえて言った。“日よ。とどまれ、ギブオンの上に、月よ。とどまれ、アヤロンの谷に。”] ありえない宣言をしたのです。この宣言の後、どのようなことが起こったのでしょうか。13節です。[日は とどまり、月は 動きをやめた。民が、敵を打ち破るまで、“ヤシャルの書(しょ)”にこう記されているように、日はまる一日、中天(ちゅうてん)にとどまり、急いで傾(かたむ)こうとしなかった。]
ヨシュアの命令によって日と月がまる一日、とどまっていたということです。
ヨシュアの時代は、太陽が地球を回るということを知っていた時代です。しかし、地球が一秒に30キロの速度で回るということをヨシュアが知っているわけではありません。今日、ヨシュアの命令によって日がとどまりましたが、実は地球が運行をとどまったのです。
とにかく、多くの人がこのことをどのように信じることができるのかと困る時があります。五つのパンと二匹の魚で5千人を食べさせたことは信じようとしますが、地球が止まったということは、ちょっと…本当かという人がいるかもしれません。
この出来事は、科学的にこうだ。そうだ。いろいろな議論がありますが、聖書は確実に神様がヨシュアの祈りをお聞きになり、ヨシュアのために戦ってくださったことを伝えています。
ヨシュアがそのように宣言した理由は、その時の状況としては太陽が沈む前にこの戦いを終わらせてしまいたいためです。夜になると、暗いので敵が逃げて、自分たちの城に入り、城門を堅く閉じるからです。そうするならば、敵を滅ぼすための時間がもっと必要になり、また体力も失われてしまいます。夜になる前にこの戦いを終わらせるためには、明るい太陽が長時間必要でした。ヨシュアがそれを知り、神様に祈り求め、宣言したのは、聖霊がそのような信仰を与えてくださったからです。
私たちも現実的に難しいことですが、心から神様を信じ、神様に祈るならば、その祈りが成し遂げられる時があります。祈りを通して神様は道を開いてくださり、解決をしてくださいます。祈りというのは、神様を動かし、神様が働くようにします。もちろん、自分の思い通りすべてが成し遂げられるという意味ではありません。祈りを通して神様の助けと導き、また乗り越える力が確かに与えられるということです。祈りをしないとこの祈りの喜びを与えられません。私たち信仰者は、この喜びを得るために毎日祈らなければなりません。
ヨシュアは、神様をはっきり信じる信仰によって、[日よ、とどまれ、月よ、とどまれ]と宣言することができたのです。ペトロは、生まれながら足の不自由な男が、人に施しを乞(こ)うため、毎日、「美しい問」という神殿の門のそばに座っているのを見ました。その時、ペトロはこのように宣言しました。[ナザレのイエス·キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。]
このペトロの宣言がヨシュアの宣言と同じです。信仰によって宣言したのです。
このような信仰が私たちにありますでしょうか。
今日、ヨシュアとアモリ人の五人の王たちとの戦いを通して、私たちの人生に遭遇する恐れと苦難から勝利することができる方法について学びました。一つ目は、私たちと共におられる神様こそ、私たちの勝利の根元だということです。もう一度8節を見てください。戦いに行こうとするヨシュアに神様が言われました。[彼らを恐れてはならない。私はすでに彼らをあなたの手に渡した。あなたの行く手に立ちはだかる者は一人もいない] 神様が勝利を保証しているということです。これはすでに神様が約束されたことです。ヨシュア記1章5節にこのように書いてあります。[一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。私はモーセと共にいたように、あなたと共にいる] すなわち、インマヌエルの神様が共にいてくださるということです。
二つ目、神様の御言葉を信じ、従う時、神様が私たちに勝利を与えてくださいます。8節の御言葉を聞いたヨシュアは、ギルガルから夜通(よどお)し、軍を進め、戦いに行きました。[夜通し軍を進め]ということは、神様の約束を信じ、すぐに従ったということです。この従順によって10節、11節、13節通り、ヨシュアは勝利を与えられたのです。神様が戦ってくださり、神様の多くの奇跡を経験することができました。神様をはっきり信じ、神様に従うならば神様が私たちの代わりに戦ってくださり、勝利を与えてくださいます。14節を見てください。
[主がこの日のように人の訴(うった)えを聞き届けられたことは、後にも先にもなかった。主はイスラエルのために戦われたのである。]
私たちと共におられる神様が、私たちの勝利の根元となることをはっきり信じ、神様の御言葉に忠実に従い、恐れることなく、喜びと感謝を持って尊く生きていきましょう。お祈りを致します。
私たちの勝利者である天の父なる神様、今日も真理の御言葉を与え、聞かせてくださり、感謝いたします。あなたはいつも私たちと共におられ、私たちに勝利を与え、すべてを乗り越える力を与えてくださるお方であります。しかし、愚かで弱い私たち人間は、目の前に置かれている苦しみと悩み、また多くの問題によって恐れを感じ、どうすればよいのか分からず、迷う時があります。赦してくださり、インマヌエルの神様をはっきり信じ、また真理の御言葉に耳を傾け、従うことができるように導いてください。ここに集まっているお一人お一人が、今日の御言葉を悟り、御言葉に従い、神様と共に歩むようにしてください。それで、いつも神様が戦ってくださる恵みの中で生きる幸いを与えてください。さらに、信仰によって生きる間、多くの方がそれを見て、教会に来ることができるようにお一人お一人を用いてください。善通寺教会の聖徒の皆様が勝利者である神様をはっきり信じ、御言葉に従い、実践するように。また毎日勝利の恵みを与えられ、喜びと感謝の生活ができる世に導いてください。
弱さを覚えている方、苦しんでいる方がインマヌエルの神様をはっきり信じる信仰を与えてください。おかれた環境に負けず、勝利の喜びと感謝が溢れますように。また心と体の癒しの恵みを与えてください。求道者の方が、自分のために戦ってくださる神様に出会い、信じる恵みを与えてください。教会から離れている方が、再び主のもとに帰り、インマヌエルの神様と歩む恵みを与えてください。礼拝参加が難しくなっている方の上に、インマヌエルの祝福が溢れ、信仰によって毎日生きるようにしてください。伝道集会、韓国語文化体験教室など。魂の伝道のために用いてください。準備される方の上にあなたの祝福を与えてください。すべてのことを主にゆだね主イエスキリストのみ名によってお祈りを致します。