生き残る道を見つけた人々
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- 千禎鎬 牧師
- 聖書 ヨシュア記 9章16節~27節
日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ヨシュア記 9章16節~27節
先々週の話の続きです。神様の指示を求めなかったイスラエルの民は、ギブオンの住民に騙されるという大失敗をしてしまいました。今日の御言葉は、ギブオンの住民に騙されたヨシュアが、どのような計らいをしたのかについての内容が記されています。イスラエルの民は、ギブオンの住民と協定を結んでから三日後、彼らが近くの者で、自分たちのうちに住んでいることを聞きました。17節を見ますと、彼らの町が記されています。ギブオン、ケフィラ、ベエロト、キルヤト·エアリムです。ギブオンは北の西側にある大きな町ですが、三つの町は小さな町だそうです。この町の中でギブオンがリーダー的な役割をし、ほかの三つの町はギブオンに頼り、生きていたそうです。彼らは、すでに神様が全滅させなさいとイスラエルの民に命令した人々でした。しかし、ヨシュアとイスラエルの民は、彼らに騙され、彼らと協定を結んでしまったのです。このことを三日が過ぎてから分かるようになりました。しかし、18節を見ますと、イスラエルの民は、共同体の指導者たちがイスラエルの神、主にかけて誓(ちか)いを立てていたので、彼らを攻撃することはできませんでした。神様の前で結んだ約束は必ず、守らなければならないからです。詩編15編4節に[主の目にかなわないものは退け。主を畏れる人を尊び。悪事をしないとの誓いを守る人] と書いてあります。心から神様を信じ、神様に従おうとする人は、自分に不利益となっても約束したことを必ず守る人です。
アナニアとサフィラは、残念ながらこのことを守りませんでした。最初の頃と心が変わりってしまいました。物質、お金を多く持つようになると、貪欲が起こりました。土地を売って、その金額全部を主の教会に献金をしようとしましたが、もったいなかったので、その金額の一部だけを献金しました。その結果どうなりましたでしょうか。彼らの人生は悲惨な人生となり、また悲惨な最後を迎えるようになったのです。ここで、誤解しないでください。無理やりにたくさんの献金を捧げなさいということではありません。神様にかけて約束したことは、必ず、守らなければならないということです。この社会も同じではないでしょうか。約束を守らなければ、無秩序(むちつじょ)になり、関係が崩れてしまいます。さらに神様を信じ、神様に従う人は必ず約束を守らなければなりません。私たちの行いを通して神様の栄光が表されることも、その反対にそうではないこともあるということを忘れてはなりません。
18節を見てください。イスラエルの民は不平を鳴(な)らしました。[イスラエルの人々は、共同体の指導者たちがイスラエルの神、主にかけて誓いを立てていたので、彼らを攻撃はしなかったが、共同体全体は指導者たちに不平を鳴らした。] なぜでしょうか。彼らに誓った誓いのゆえに、神様の怒りがイスラエルの民に下ることはないだろうかという恐れを感じたからです。
ヨシュアと共同体の指導者たちは、ギブオンの住民たちを目に見えることだけを見、彼らの話だけを聞き、このような協定を結びました。彼らは神様に聞くこともなく、神様の指示を求めることもなくこのような協定を結んだのです。イスラエルの民は、このことに対して恐れを持っていました。しかし、すでに結んでしまったので、協定を破棄(はき)することはできませんでした。
ヨシュアとイスラエルの指導者たちは、不平を鳴らしているイスラエルの民の前にどのような決定をしますでしょうか。19-27節に書いてあります。
19節を見ますと、指導者たちはイスラエルの神、主にかけてギブオンの住民に誓ったので、彼らに手をつけることはできないと言います。
ここで、私たちはリーダーの役割を見ることができます。本当のリーダーは、自分にどんな不利益があったとしても共同体を正しい道に導く人です。人々はリーダーの判断と心を覆(くつがえ)そうとして“民心”という方法を使います。しかし、民心よりもっと重要なことがあるのを忘れてはなりません。それは、神様との約束であり、神様が何を大切にしておられるのかを知ることです。“民心”すなわち、多くの人が願っていることがあっても神様が願われないことであれば、してはなりません。信仰共同体のリーダーは、そのような人々を説得し、神様が喜ばれることをさせるようにする人です。ですので、正しいリーダーは、民心をよく読むことができる人ですが、神様が願っておられることを必ず、守る人、民心に惑わされることがない人です。神様の御心より民心に惑わされる人は、共同体の正しいリーダーとして働くことができません。
21節を見ますと、イスラエルの指導者たちは、ギブオンの住民をイスラエルの民のために柴(しば)刈りと水くみをしながら生きるようにしました。騙されて協定を結んでしまいましたが、神様にかけて結んだ協定なので、イスラエルの民はこの協定を守るようにしました。
ヨシュアは、ギブオンの住民を呼んで言いました。22節です。[お前たちはなぜ、我々を欺(あざむ)いて、はるかな遠い国から来たと言ったのか。お前たちは我々のうちに住んでいるではないか。] ヨシュアは23節に続けて言います。[お前たちは今、呪われて、奴隷となり、お前たちの間からわが神の宮(みや)の柴(しば)刈り、水くみが断(た)えることはないだろう。]
すると、ギブオンの住民は、ヨシュアに答えます。一言で言いますと、生きるためでした。24節を見てください。[彼らはヨシュアに答えた。“あなたの神、主がその僕モーセに『この地方はすべてあなたたちに与える。土地の住民をすべて滅ぼせ』とお命じになったことが僕どもにはっきり伝わって来たので、あなたたちのゆえに命を失うのを非常に恐れ、このことをいたしました。”] また25節の真ん中から見ますと、[あなたが良いと見なし、正しいと見なされることをなさってください] と答えます。つまり、ヨシュアが言った通りにしますということです。そして、27節を見ますと、ヨシュアはギブオンの住民を共同体および主の祭壇のため、主の選ばれた所で柴(しば)刈りまた水くみとしました。
ギブオンの住民は、イスラエルの民をだましてでも生きる道を捜しました。奴隷として一生生きてもいい、命を救われるならば…これが彼らの切なる思いでした。実は、ギブオンの住民を奴隷として扱ったのは、申命記20章11節の御言葉に従ったことです。[もしその町がそれを受諾(じゅだく)し、城門を開くならば、その全住民を強制労働に服させ、あなたに仕えさせねばならない。]
遠い国と平和の条約を結ぼうとするならば、奴隷として扱いなさいと神様が言われたので、その御言葉通り従ったのです。神様に聞くことも、神様の指示を求めることもなく、自分たちの判断で協定を結んでしまうという大きな過ちを犯しましたが、ギブオンの住民を扱う方法は神様の御言葉通りに行いました。神様は、カナンの地に住んでいる人たちは、すべて滅ぼし尽くさねばならないと言われました。彼らは、偶像崇拝し、深刻な罪を犯していたので、そのまま生かしておくならば、イスラエルの民が彼らの影響を受けるからです。そして、今まで神様の御言葉に従わなければならないという重要性を戦いを通して悟りました。しかし、イスラエルの民は、神様の御言葉に従わない行動をしたのです。ヨシュアは、これらを悟り、ギブオンの住民を奴隷として生きるようにしたのです。
後のことですが、サムエル記下21章1節を見ますと、ダビデの時代に、3年間の飢饉(ききん)が襲(おそ)いました。その理由は、ギブオンの住民を殺したからです。ヨシュアと指導者たちがギブオンの住民と結んだ協定を守らず、サウルがギブオンの住民を殺したので、神様が喜ばれませんでした。サムエル記下21章6節を見ますと、このことによってサウルの子孫の中から7人が殺されることになりました。神様にかけて結んだ協定は本当に大切であり、これらを守らなかったことに対して神様は喜ばれないということを教えてくれます。
27節を注意深く見てください。[主の祭壇のため、主の選ばれた所で柴(しば)刈りまた水くみとした] 神様の祭壇に焼き尽くす捧げものを捧げる時、動物を捧げるので、水も木も必要です。ギブオンの住民は、神様の民のうちに入り、住むことになった時、神様の神殿でこのような働きをする人として生きるようになりました。彼らは神様に礼拝を捧げる時、仕える人となったのです。何の価値もない奴隷としての働きでしたが、これは神様の神殿で仕えることなのです。祝福された人生となったということです。ネヘミヤ記3書7節と7書25節を見ますと、ギブオンの住民は、イスラエルの民と一緒に生きていました。神様の神殿で仕える人として生きていました。イスラエルの民を騙して、ごまかして神様の民のうちに入り、奴隷としての働きをしながら苦労もありましたが、彼らは神様の祝福の内に入ったわけです。むしろ、神様の恵みの中で生きる人生になったのです。今日の御言葉は、生き残る道を見つけイスラエルの民の中に入ったギブオンの住民でしたが、神様はご自分の民の中に入った人たちを守ってくださることを教えます。私たちもこの世で、神様の民として生き残るために、私たちの希望と喜びである主の道を続けて捜し、歩みましょう。
お祈りを致します。
救い主主イエスキリストの父なる神様、今日も命の御言葉を聞かせてくださり感謝いたします。あなたは罪の奴隷として生きている私たち人間を御子主イエスキリストを通して救ってくださり、あなたの民とならしてくださり、あなたの恵みの内で生きる祝福を与えてくださり感謝いたします。さらにあなたは、奴隷であった私たちをあなたの偉大な働きのために用いてくださいました。それにもかかわらず、弱い私たち人間は、何度も奴隷のもとに戻ろうとしています。愚かな私たちを赦してくださり、神様の中で恵まれた人として感謝し、また神様の働きのために忠実に用いられますようにお祈りを致します。ここに集まっているお一人お一人が、あなたの契約によって恵まれたことを悟り、主の中で神様の民として尊く生きるように信仰を強め、導いてください。また、善通寺教会の聖徒の皆様の上に今日の御言葉の恵みが与えられ、天の民となったことに感謝し、天の民として神様が喜ばれることを果たすように用いてください。
弱さを覚えている方、悩んでいる方が、あなたの平安を与えられ、落胆せず、主の中で神様の民として生きるように、また神様の子どもとして感謝と喜びがあふれる生活ができるように導いてください。さらに、癒しの恵みとすべてを乗り越えることができる信仰を強めてください。求道者の方があなたの中に加えられ、神様の民となる幸いを与えてください。教会から離れている方が、再び主のもとに帰り、神様の働きを感謝と喜びを持って果たすことができるように導いてください。礼拝参加ができない方を憐れんでくださり、主の中に加えられたことを忘れず、どこにいても神様の子どもとして、民としてふさわしく生きるように導いてください。新しい今週も主の中で生き残る道を見つける人のように、あなたに求め生きるように。すべてのことを主にゆだね主イエスキリストのみ名によってお祈りを致します。