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2024年09月08日「主の指示を求めなさい」

主の指示を求めなさい

日付
説教
千禎鎬 牧師
聖書
ヨシュア記 9章1節~15節

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日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ヨシュア記 9章1節~15節

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この世の多くの人は、自分の問題について一緒に助けてくれる人を捜して相談をします。特に若者は、進学や進路の相談、また結婚の相談を受けようとします。先輩に、學校の先生に、また世である程度成功して生きている人を捜し、相談をします。さらに、心理相談や精神の相談を受ける人も多くいます。それで、多くのカウンセラーが増え、専門的に相談をしてくれます。もちろん、牧師に信仰の相談をする人もたくさんいます。自分の問題をどのようにすればよいのか、助けてくれる人を捜し、相談を受けるのはとても大切です。積極的にお勧めします。しかし、神様を信じる私たち信仰者は、このような相談も大切ですが、その前にまず、神様に聞き、神様に求め、神様の指示を受けることがもっと大切です。なぜなら、私たちのすべての歩みは、神様が導いてくださり、責任を持ってくださるからです。今日の御言葉は、神様に聞くこともなく、指示も求めなかった人々が出ます。御言葉を通して学びましょう。

イスラエルの民がカナンの地に入ると、カナンの地の人々は動揺(どうよう)するしかありませんでした。彼らは、これからイスラエルの民と続けて戦うか、それとも協定(きょうてい)を結ぶのか、何かを決断しなければなりません。神様の御心は、罪が溢れ、神様に反逆するカナンの地の民を全滅することでした。
9章を見ますと、動揺しているカナンの地の民の姿について記されています。 1節を見ますと、カナンの王たちは、イスラエルの民がアイとの戦いから勝利したすべてのことについて伝え聞きました。すると、2節を見ますと、王たちが集結してイスラエルの民と戦おうとします。ヨルダン川の西側の山地、シェフェラ、レバノン山のふもとに至る大海(おおうみ)の沿岸地方(えんがんちほう)に住むヘト人、アモリ人、カナン人、ペリシ人、ヒビ人、エブス人の王たちが集まりました。申命記20章17節を見ますと、この六つの部族は、必ず滅ぼし尽くさねばならないと書いてあります。この部族の王たちが、一つになりヨシュアとイスラエルの民に対し戦いを挑もうとしたのです。この王たちは、イスラエルの民がカナンの地に入ったことが不安で、危機意識を感じたでしょう。しかし、彼らは、イスラエルの民に降伏(こうふく)する心がありませんでした。彼らは、神様がイスラエルの民と共に戦っていることを聞き、知っていたにも関わらず、皆が一致してイスラエルの民と戦おうと決心したのです。とても愚かな王たちではありませんか。

しかし、カナンの地に住んでいる人々の中には、イスラエルの民と戦う代わりにほかの戦略を立てて実行しようとする人々もいました。その人々は、ギブオンの住民です。7節を見ますと、彼らはヒビ人に属していることが分かります。
3節を見てください。[ところがギブオンの住民は、ヨシュアがエリコとアイに対してしたことを聞き、]
正確には分かりませんが、このギブオンの住民は、アイから近くのところに住んでいることが分かります。どのくらいの距離なのかについてはいろいろな見解があるそうです。このギブオンの住民は、山地のところに住んでいたそうです。このギブオンの住民は、ヨシュアがエリコとアイに対してしたことを聞きました。それで、彼らは、これから生きる道、生きる方法を捜そうとしたのです。その道、その方法は、イスラエルの民と協定(きょうてい)を結ぶことでした。まるで、平和条約を結ぶことと同じでしょう。しかし、自分たちがカナンの地の人だと言えば、殺されるだろうと思って、賢く立ちまわったのです。4-5節を見てください。[賢く立ちまわった。彼らは使者(ししゃ)を装(よそお)い、古(ふる)びた袋、使い古して繕(つくろ)ってあるぶどう酒の革袋(かわぶくろ)をろばに負わせ、継(つ)ぎの当たった古靴を履(は)き、着古(きふる)した外套(がいとう)をまとい、食料として干(ひ)からびたぼろぼろのパンを携(たずさ)えた。] 遠いところから長い時間をかけて来た人のようにしたのです。彼らは、ギルガルの陣営(じんえい)にいるヨシュアとイスラエルの民に来てこのように言います。6節を見てください。
[私たちは遠い国から参りました。どうか今、私たちと協定を結んでください。]
平和の条約を結ぶということです。ヨシュアは彼らに対して質問をします。たぶん怪しく見えたのでしょう。8節の後半部分を見てください。[あなたたちは何者か、どこから来たのか。] すると、彼らは答えます。9節です。
[彼らは言った。“僕どもはあなたの神、主の御名を慕(した)ってはるかな遠い国から参りました。] と言いました。その理由を彼らはこのように言います。9節の最後の部分から10節を見てください。[主がエジプトでなさった一切のことも、ヨルダン川の東側のアモリ人の二人の王、すなわち、ヘジュボンの王シホンとアシュタロトにいたバシャンの王オグになさったことも、ことごとく伝え聞きました。] と彼らが来た理由について話しました。しかし、彼らはエリコとアイの出来事については話しませんでした。なぜでしょうか。遠いところから来たということを表すために最近のことについては言わなかったのです。本当は最近起こった出来事が彼らにとってはもっと大きな出来事でしたでしょう。
とにかく、彼らは自分たちが遠い国から来たということをいろいろな方法で証明しようとしました。その内容が12-13節です。もっているパンの状態の話、ぶどう酒の革袋の話、また外套(がいとう)や靴の話を通して自分たちのことを証明しようとします。申命記20章10-18節を見ますと、ある町を攻撃しようとして、そこに近づくならば、まず、降伏(こうふく)を勧告(かんこく)しなさいという内容が書いてあります。もし、その町がそれを受け入れ、城門を開くならば、彼らを殺すことなくあなたに仕えさせねばならないという内容が書いてあります。すなわち、平和の条約を結ぶことを赦されました。しかし、それを拒否するすべての部族があれば、彼らを殺し、敵の分捕り品を自由に用いることができると言われました。その理由を申命記20章18節にこのように記されています。[それは、彼らがその神々に行ってきた、あらゆるいとうべき行為をあなたたちに教えてそれを行わせ、あなたたちがあなたたちの神、主に罪を犯すことのないためである。]
イスラエルの民は、必ず、この御言葉に従わなければなりません。ですので、イスラエルの民は、目に見えるどのような状況に陥っている人だとしても、まず、神様の御言葉を覚え、神様に聞き、神様の指示を求めなければなりませんでした。ただ目に見えることだけで判断せず、慎重に彼らの本当の意図を調べるべきでした。しかし、イスラエルの民はどのようにしたのでしょうか。14-15節を見てください。[男たちは彼らの食料を受け取ったが、主の指示を求めなかった。ヨシュアは彼らと和を講(こう)じ、命を保証する協定を結び、共同体の指導者たちもその誓(ちか)いに加(くわ)わった。]
ヨシュアと指導者たちは神様の御前で大きな過ちを犯してしまったのです。その過ちというのは、[主の指示を求めなかった]ということです。すなわち、神様に聞くこともなく、自分たちが勝手に条約を結びました。慎重に決定しなければならなかったのに、主の指示を求めませんでした。自分たちの目に見えたそのままを判断し、決定してしまいました。結んではならない協定を結んでしまいました。結局、彼らは神様の御心に従わなかったのです。イスラエルの民は、このようなことによって神様の御言葉に従順することができなかった状況に陥ってしまったのです。

神様に仕える信仰、神様を信じる信仰というのは、いつも神様に聞こうという姿勢が大切です。目に見えるそのままを判断するのではなく、また自分の力と知恵に頼ってすべてを成そうとしてはなりません。その前に、いつも神様が願っておられることが何か、神様の御心は何かということを慎重に考え、神様の指示を求めることが大事なことです。神様に頼り、御言葉に従う姿勢こそ、本当の信仰者の姿であります。これがこの世の戦いから勝利することができる方法です。目に見えることに自分が騙されず、神様が願っておられる人生の道を歩むためには、いつも神様に聞き、神様の指示を求めなければなりません。このようにする時、あるには時間が長くかかる時もあります。忍耐強く待たなければならない時もあります。すべてのことがあまり前に進まないということを感じるかもしれません。しかし、時間がかかり、長く待たなければならないとしてもいつも、神様の指示を求めることこそ、神様の民がしなければならないことです。神様の民は正しい道を歩まなければなりません。お祈りを致します。



私たちのすべてであられる天の父なる神様、今日も尊いあなたの御言葉を聞かせてくださり、感謝いたします。あなたは私たちと共に歩んでくださり、私たちの道を開いてくださるお方であります。しかし、頑固な私たち人間は、神様に聞くこともなく、神様の指示を求めることもないまま、自分勝手に思い、計画し、自分の力と知恵、また自分の経験に頼ってすべてをしようとする時があります。赦してくださり、これからまず、神様が願っておられることが何か、神様に聞き、神様の指示を求め、生きるように導いてくださり、すべてを神様に頼る信仰を与えてください。ここに集まっているお一人お一人が、今日の御言葉を心から悟り、何かしようとする時、まず神様に聞き、神様の指示を求めようとする心を与え、神様に頼り、神様が喜ばれる歩みを歩むことができるようにしてください。それで、過ちを犯すことなく、神様に祝福される人生とならせてください。今日、礼拝参加ができなかった善通寺教会の聖徒の皆様の上にも同じ恵みが与えられ、主に喜ばれる人生を生きるように導いてくださり、用いてください。
弱さを覚えている方、それぞれの悩みによって苦しんでいる方のために祈ります。あなたの慰めを与え、苦しみの中でもすべてを神様に聞き、神様の指示を求め、神様の民として過ちを犯すことなく、神様の祝福が溢れる人生を生きるように導いてください。求道者の方が、神様の指示を求め、主の道を歩む幸いを与えてください。教会から離れている方が、主の元に帰り、再び主の指示を求め、祝福が保証されている道を歩むことができるように憐れみと恵みを与えてください。それぞれの環境にあって、礼拝参加が難しくなっている兄弟姉妹が、何かをする時にはまず、神様に聞き、神様の指示を求める人生を生きるように助け導いてください。また一日も早く、恵み深い神様の御前に来ることができ、感謝の礼拝を捧げる恵みを与えてください。すべてのことを主にゆだね主イエスキリストのみ名によってお祈りを致します。

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