失敗の原因を取り除きなさい
- 日付
- 説教
- 千禎鎬 牧師
- 聖書 ヨシュア記 7章1節~15節
日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ヨシュア記 7章1節~15節
6章ですでに学びましたが、イスラエルの民は、カナンの地の最初の城であるエリコ城を占領しました。イスラエルの民にとっては、喜びの勝利ですが、エリコの民にとっては、神様の審判を受けたような出来事でした。神様は、イスラエルの民にエリコにあるものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くすことを命令されました。男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ロバに至るまですべてを滅ぼし尽くすように命令されました。神様の正義を行った審判であったのです。罪の結果についてはっきり教えてくださった出来事ことであります。
ヨルダン川を無事に渡り、エリコの城を占領したイスラエルの民の士気(しき)が高くなりました。しかし、ヨシュアとイスラエルの民は、エリコの次に向かった小さなアイとの戦いで大敗北(だいはいぼく)をし、大きな絶望に陥ってしまいました。なぜ、イスラエルの民は、小さなアイとの戦いで大敗北したのでしょうか。その原因は、アカンという人の罪によってです。
1節です。[イスラエルの人々は、滅ぼし尽くしてささげるべきことに対して不誠実であった。ユダ族に属し、彼の父はカルミ、祖父(そふ)はザブディ、さらにゼラへとさかのぼるアカンは、滅ぼし尽くしてささげるべきものの一部を盗み取った。主はそこで、イスラエルの人々に対して激しく憤(いきどお)られた。]
神様が憤られた理由について書いてあります。それは、滅ぼし尽くしてささげるべきことに対して不誠実であったからです。すなわち、アカンがそれを盗み取ったからです。
一般的に戦争で勝つならば、戦利品を取ることができます。しかし、神様に滅ぼし尽くしてささげるべきものに対してそのようにしてはなりません。神様にささげるべきものは、大きく二つがあります。一つ目は、神様のお働きのためにささげるものです。二つ目は、神様に滅ぼし尽くしてささげるべきものです。このようなものは誰も取ってはなりません。神様が処分されるように任せなければなりません。先週の箇所6章18節見てください。このように書いてあります。[あなたたちは、ただ滅ぼし尽くすべきものの一部でもかすめ取ってイスラエルの宿営全体を滅ぼすような不幸を招かないようにせよ。]
すでに神様が警告されたにも関わらず、アカンという人が、誰も知らないうちに、誰も見ていない時、神様のものを取りました。しかし、神様はすべてをご存じであり、見ておられました。次の箇所ですが、21節の後半部分を見ますと、[私の天幕の地下に銀を下に敷(し)いて埋(う)めてあります。] と書いてあります。誰も分からないように隠しました。しかし、神様はそれらのすべてを見ておられたのです。神様をだますことはできません。21節を見ますと、アカンという人は貪欲でした。これによってイスラエルの人々に、共同体全体を滅ぼすような不幸を招かれたのです。このことによってイスラエルの人々、共同体に与えられた罰の結果は何でしょうか。
2節を見ますと、ヨシュアは、数人を遣わし、アイを探(さぐ)らせます。3節を見ますと、その内容を報告します。[アイを撃(う)つのに、全軍が出撃(しゅつげき)するには及(およ)びません。二、三千人が行けばいいでしょう。取るに足りぬ相手ですから、全軍を突き込むことはありません。]
人間的な計算で、彼らは人数も少ないし、小さな城なので、簡単に征服することができると報告します。ただ、相手の規模(きぼ)だけを見て報告したのです。イスラエルの民は、アイを簡単に占領することができると思いました。しかし、イスラエルの民は、エリコを占領する時を深く考えなければなりませんでした。イスラエルの軍事が多いので、エリコを占領できたのではありません。誰が勝利をくださったのかを考えなければなりませんでした。
イスラエルの民は、人間的な思いだけでこの戦争を始めましたが、その結果はどのようになったのでしょうか。イスラエルの民が敗北(はいぼく)したのです。考えもしなかった状況に陥ってしまいました。4節を見ますと、[そこで、民のうちから約三千の兵(へい)がアイに攻(せ)め上(のぼ)ったが、彼らはアイの兵士の前に敗退(はいたい)した。] と書いてあります。5節には、[民の心はくじけ、水のようになった。] と書いてあります。敗北して、恐れに陥ったという表現です。5章1節に書いてありますようにカナンの地の人々が、ヨルダン川を渡ったイスラエルの民の話を聞いて、心がくじけ、イスラエルの民に立ち向かおうとする者はいなかったという状況と同じようになったのです。
このような状況になったヨシュアはどのようにしますか。6節を見てください。
[ヨシュアは衣服を引き裂き、イスラエルの長老たちと共に、主の箱の前で夕方まで地にひれ伏し、頭に塵(ちり)をかぶった。] その次、7節と8節を見ますと、悲しみながら、イスラエルの民をアモリ人の手に渡して滅ぼすおつもりだったのですかと主に叫びました。言い換えれば、自分たちはどうすればよいのかということを祈ります。ヨシュアの祈りの核心は、9節です。[カナン人やこの土地の住民は、このことを聞いたなら、私たちを攻め囲んで皆殺しにし、私たちの名を地から絶(た)ってしまうでしょう。あなたは、ご自分の偉大なみ名のゆえに、何をしてくださるのですか。] すなわち、ヨシュアは神様の御名、神様の栄光に焦点を合わせ、祈っています。自分たちに起こった出来事を通して神様の偉大な御名が軽んじられたらどうでしょうかという内容です。その時、神様はイスラエルの民が敗北(はいぼく)した理由について言われます。11節にその内容が記されています。[イスラエルの民は罪を犯し、私が命じた契約を破り、滅ぼしてささげるべきものの一部を盗み取り、ごまかして自分のものにした]と言われます。すでに1節を通して言われました。もう一度、1節の最初の部分を見ますと、[イスラエルの人々は]と書いてあります。実は、アカンという人、一人が罪を犯しました。しかし、ただ一人だとしてもイスラエルの共同体に属しているので、個人の罪だけではないということを教えてくれるのです。イスラエルの民は、いつも自分一人だけではなく、イスラエルの共同体に属している存在だということを考えなければなりませんでした。例えば、自分の手でものを盗み取った時、手だけがものを盗み取ったということではなく、その人がものを盗み取ったということになるのと同じです。
神様の民が絶対守らなければならないことは、神様の命令、すなわち、神様の御言葉です。しかし、イスラエルの民は、神様の契約を守らず、滅ぼしてささげるべきものの一部を盗み取り、神様の御言葉に従いませんでした。このことによってイスラエルの民は、アイとの戦いから敗北(はいぼく)することになったのです。神様は御言葉に従うことを一番大切にしてくださり、喜んでくださいます。イスラエルの民は、このことを軽んじたので、自分の力だけで十分にアイを占領するだろうと考えましたが、最後は敗北(はいぼく)することになったのです。
もう一度、1節を見てください。アカンの系図(けいず)が紹介されています。彼は、ユダ族に属している人です。イスラエルの民の中心的な部族です。しかし、神様の御言葉を守らず、従わないならば、審判を受けるしかないのです。どのような職分であっても、またどのような役割をしていても神様の御言葉に従わなければなりません。誰も例外はありません。神様の民であれば、神様の御言葉を守り、神様に従うことを一番大切にしなければなりません。
今日の箇所をよく読みますと、神様は、アイを攻撃(こうげき)しなさいと命令されませんでした。まだ、そのような命令はありませんでした。さらに、ヨシュアが、アイについてどのようにすればよいのかと神様に聞くこと、つまり、祈った記録もありません。アイを占領することはとても簡単なことだと思ったのでしょう。アイとの戦いをどのようにしなさいという神様の御言葉はありませんでした。
皆様。
アイとの戦いは、アカンの罪によって敗北(はいぼく)しました。この敗北は、アイの人々が強かったからではありません。イスラエルの民が見たら、アイの人々は本当に弱かったのです。そのアイとの戦いに敗北したのは、神様がそのようになさったという意味です。どんなに簡単なことに見えても神様の御言葉を守らず、従わなければ敗北しかないということが分かります。神様の民はこの世の中で生きる時、神様の御言葉を守らず、神様に従わなければ、必ず、失敗するということを悟らなければなりません。どんなに力があっても、良い環境に置かれても、高い地位があっても神様に従わなければ失敗することになるのです。とても小さく、簡単なことのように見えても神様に祈り、神様の御言葉を守り、神様に従おうとする姿勢が必要です。この姿勢こそ、神様の民が持たなければならない姿勢、姿なのです。
イスラエルの民が罪を犯し、神様の契約を破り、神様のものを盗み取ったその結果はは何でしょうか。それが12節に書いてあります。
一つ目は、イスラエルの人々は、敵に立ちむかうことができません。二つ目は、敵に背を向けて逃げ、滅ぼし尽くされるものとなってしまいます。三つめは、神様が共にいてくださらないということです。
13節を見てください。神様はヨシュアにこのように言われます。[立って民を清め、「明日(あす)に備えて自分を聖別せよ。」と命じなさい。イスラエルの神、主が「イスラエルよ、あなたたちの中に滅ぼし尽くすべきものが残っている。それを除(のぞ)き去るまでは、敵に立ち向かうことはできない」と言われるからである。] 神様は、罪を犯すことを悔い改めることを願っておられ、悔い改めをしない時、絶対に赦されないということを言われたのです。
15節を見てください。神様の強い意志が見られます。[指摘されたなら、その人は財産もろとも火で焼き尽くされねばならない]と言われます。神様は、神様の民を聖別することを願われます。神様の意図、神様の御心は確かです。
神様は14節を見ますと、罪を犯した人を探す方法も教えてくださいます。
神様は、必ず、神様の民のために戦ってくださるお方です。しかし、神様は神様の民に願われることがあります。それは、神様の御言葉を守り、神様に従うことです。誠実な従順がなければ、神様は共におられず、勝利も与えられません。特に霊的な戦いはもっと厳しいのです。神様が共におられないとどんなに小さなことにも倒れてしまい、失敗の人生を生きるようになるのです。罪を犯し、悔い改めがなければ、神様から離れ、神様と一緒に歩むことができず、失敗の人生を生きることになります。
神様の民である私たちは、神様の御言葉を守り、神様に従う人生を生きなければなりません。また、罪を犯したとすれば、すぐに悔い改めなければなりません。私たちの霊的な戦いは、神様の御手にあることを忘れてはなりません。毎日、このことを覚え、神様の民、契約の民としてふさわしい道を歩んでいきましょう。お祈りをいたします。
聖なる神様、今日もあなたの尊い御言葉を聞かせてくださり、感謝いたします。あなたは、私たちの罪を赦し、救いの恵みを与えてくださいました。それにもかかわらず、弱い私たち人間は、神様の限りない愛と恵みを忘れ、神様の御言葉に耳を傾けず、神様に従わない時があります。赦してくださり、人生の失敗の原因が何かを悟り、その原因を取り除(のぞ)けるように知恵を与え、信仰を強めてください。ここに集まっている私たちも、また善通寺教会の皆様が、今日の御言葉を悟り、御言葉に耳を傾け、神様に従うことができる信仰を与えてください。
弱さを覚えている方、様々の悩みによって苦しんでいる方の上にあなたの慰めと励ましを与えてください。また癒しの恵みとあなたの力によってすべてを乗り越え、信仰によって生きるように導いてください。求道者の方々が、救い主主イエスキリストを受け入れ、信じる祝福を与えてくださり、主の道を歩むことができる幸いを与えてください。教会から離れている方が、再び、罪を赦し、救いの喜びを与えてくださった主の元に帰る恵みを与え、成功の人生を生きるように導いてください。礼拝参加が難しくなっている兄弟姉妹の上にインマヌエルの恵みが与えられ、信仰を失わず、主と共に歩み続けるように導いてください。
新しい8月も私たち皆が、失敗の原因を取りのぞきながら神様の御言葉に耳を傾け、また神様に従い、成功する歩みを歩むことができるように導いてください。すべてのことを主イエスキリストのみ名によってお祈りをいたします。