行進し続けなさい
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- 説教
- 千禎鎬牧師
- 聖書 ヨシュア記 6章1節~14節
日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ヨシュア記 6章1節~14節
私が青年だった時ある牧師は、私たちクリスチャンをこのように表現しました。「軍事作戦を行うように生きる人だ。」 どういう意味でしょうか。この世の生活は、まるで戦争のような生活だからです。私たちは、学校で、職場で、またそれぞれに置かれた環境の中でとても激しい競争をしながら生きているからです。様々なことを果たすためには、自分のすべてを注ぎ、人に忠誠をしなければなりません。しかし、私たちクリスチャンは、私たちの力だけでは不可能だという事をよく知っています。私たちは、神様に頼り、神様の力によりこの世に足を踏み入れ、神様が願っておられることを果たすことができるのです。イスラエルの民が、神様の知恵と力によってヨルダン川を渡ったように私たちも神様の知恵と力によって様々な戦いから勝利する証が豊かにありますように願います。
今日の御言葉1節を見ますと、エリコは、イスラエルの民の攻撃に備えて城門を堅く閉ざしました。誰も出入りすることができませんでした。エリコ城を占領しなければならないイスラエルの民は、どうすればよいのか分かりませんでした。2節をみますと、その時、主はヨシュアに、特別な方法を教えてくださいます。その内容が、3節以下に書いてあります。神様は、民が神様の契約の箱を前に立てて一日一回、町の周りを回るように言われました。この方法は、神様の意図が含まれています。前回と同じように神様の知恵と力に頼り、従順を求めておられることが分かります。そうすれば、勝利するという約束の御言葉です。
もう一度1節を見てください。[エリコは、イスラエルの人々の攻撃に備えて城門を堅く閉ざしたので、誰も出入りすることはできなかった]と書いてあります。緊張感が伝わってきますね。彼らは、すでに神様の御力によってイスラエルの民がヨルダン川を渡ったという知らせを聞いていました。さらに、5章1節を見ますと、その知らせによって心がくじけ、イスラエルの民に立ち向かおうとするものはいませんでした。彼らは戦う勇気を失ってしまったのです。
民数記13章28節を見ますと、40日間偵察(ていさつ)を終え、帰ってきた斥候(せっこう)たちがこのように報告します。[その土地の住民は強く、町という町は城壁に囲まれ、大層(たいそう)大きく]と報告します。このような強い民族が、また大きい城壁を持っている民族が今、イスラエルの民を恐れています。過去、荒れ野の世代の民は、彼らを恐れ、神様の命令に従いませんでした。それで、カナンの地に入ることができませんでした。しかし、今は反対にカナンの地の民がイスラエルの民を恐れています。
エリコ城は、歴史学者たちによりますと、BC8000年から人が住んていたそうです。その当時、カナンの地を攻撃するときには、海岸(かいがん)の道を通ったそうです。エジプトの軍隊やバビロンの軍隊がカナンの地を攻撃する時、海岸の道を利用したそうです。なぜなら、様々な物資(ぶっし)を供給するのが便利だったからです。しかし、イスラエルの民は、不便利で何もない荒れ野の砂漠の道を通って軍事作戦を行ったのです。人間的な考えではとても大変な戦いです。
このように堅く閉ざしているエリコの城門をだれが開くことができるのでしょうか。この大きく、強い町を誰が崩すことができるのでしょうか。これは、全知全能の神様にだけ可能なのです。主の軍の将軍が戦ってくださるならば、エリコ城を占領することができるのです。
2節を見てください。神様の約束の御言葉が書いてあります。[その時、主はヨシュアに言われた。“見よ、私はエリコとその王と勇士(ゆうし)たちをあなたの手に渡す”] 神様は、すでに勝利を約束されます。なぜなら、神様はすべての治める万軍の主だからです。神様が戦ってくださるならば、どんなに強く力がある敵でも倒れてしまうからです。
神様が勝利することができる戦いの方法を教えられました。その方法は、一言で言いますと、神様に必ず従順するという方法です。この戦いから勝利する方法です。3-5節の内容が神様の方法です。毎日町の周りを一周回ること、それを六日間続けなさいという方法です。七人の祭司は、それぞれ雄羊(おひつじ)の角笛(つのぶえ)を携(たずさ)えて神様の箱を先頭します。七日目には、町を七周し、祭司たちは角笛を吹き鳴(な)らす方法です。民数記10章8-9節を見ますと、角笛(つのぶえ)、ラッパは、神様の救いを意味します。敵と戦う時、ラッパを吹きなさいと言われました。そうすると、神様は敵から救われるといわれました。出エジプト記19章18-19節を見ますと、角笛の音がますます鋭(するど)く鳴り響(ひび)いた時、神様はシナイ山に現わされました。その時、煙は炉の煙のように立ち上り、山全体が激しく震えました。神様の臨在の表現です。神様がすべてをなさるという意味があります。
8-9節を見ますと、神様の箱は中心にあります。軍隊は二つに分けます。武装兵(ぶそうへい)は、角笛を吹きならす祭司たちの前衛(ぜんえい)として進み、また後衛(こうえい)として神様の箱に従いました。神様の箱は真ん中にあります。すなわち、武装兵、七人の祭司、神様の箱、武装兵という順番です。
11節を見ますと、主の箱を担いで町を一周させて、その後、宿営に戻り、夜を過ごしました。どういう意味でしょうか。神様の箱を中心として動くという意味です。この神様の箱は、シナイ山で受けた契約の石の板が入っていります。つまり、神様の御言葉の中には、命令が入っています。神様の箱は、神様が共にいてくださるという意味であり、すべてが神様の御言葉を中心として生きることを教えます。カナンの地での戦いの勝負は、神様の御手にあるということです。この戦いは、聖なる戦いであり、神様が行われる戦いでもあります。それで、イスラエルの民が必ずしなければならないことは、神様の御言葉に従順することです。
もう一度、4節を見てください。七日目には、町を7周し、祭司たちは角笛を吹き鳴らしなさいと書いてあります。そして、5節を見ますと、この角笛の音が民に聞こえて来る時、民が声を上げると町の城壁は崩れて落ちると書いてあります。これは、神様が城壁を崩してくださるという意味です。
この作戦は、世の軍事作戦と全く違います。世界のぞれぞれの国の作戦の指揮官がこの御言葉を聞くとあざ笑うかもしれません。人間的な考えでは、ありえない作戦です。しかし、神様が願われるのは、ただ神様だけを信じ、従うということです。この作戦の中心には、従順が要求されているのです。人間の理解を求める内容ではありません。神様だけに従うしかありません。神様の戦いの前で人間がしなければならないことは、神様の御言葉に従順することです。人間の理解や方法は必要ではありません。人間的な作戦、戦略は意味がありません。カナンの地での戦いを通して私たちが教訓を得るのは、神様の民の道は、ただ神様の御言葉に従う道しかないということです。神様の御言葉に従う時、神様がお働きになり神様ご自身がすべてを成し遂げて行かれるのです。神様の御心がこの地に成し遂げられることを願う人は神様の御言葉に忠実に従う人生を生きます。最後のラッパは、イエス様が再び来られる時です。その時のラッパは、イエス様とイエス様を信じる人の勝利のラッパです。イエス様を信じる私たちクリスチャンは、この世で何よりも主のために主に従う人生を生きなければなりません。主がすべてを覚え、報いを与えてくださいます。
今日、エリコ城を占領するためにもう一つ大切なことは、イスラエルの民の沈黙です。10節を見ますと、[私が鬨(とき)の声をあげようと命じる日までは、叫んではならない。声を聞かれないようにせよ。口から言葉を発してはならない]と書いてあります。民は、神様が命令なさるまで、沈黙しなければなりません。神様が命令なさる時、声をあげるべきです。七日目に神様の命令があります。[鬨(とき)の声をあげよ] テレビを見ますと、戦う時、勇気と力を出すようにするために笛を吹いたり、太鼓(たいこ)叩いたり、楽器を鳴らしたり、叫んだりします。しかし、神様は沈黙を願われます。沈黙をすることは、神様がなさるできことを見つめる行為です。すなわち、神様がなさることを待ち望みながら神様の御言葉に忠実に従いなさいという意味があります。どのような人間の作戦や戦略に頼ってはなりません。ただ、沈黙しながら神様の御言葉に従いなさいということです。
ヘブライ人への手紙11章30節にこのように書いてあります。[信仰によって、エリコの城壁は、人々が周りを七日間回った時、崩れ落ちました]
イスラエルの民がエリコ城を神様の御言葉に従い、回ったということは、信仰の行いだったということです。信仰というのは、神様に従順することです。彼らは信仰の勇士(ゆうし)です。信仰の勇士は、神様の御言葉に必ず従います。
エリコ城が崩れ落ちたのは、人間の力ではありませんでした。神様がそのようになさいました。神様に従う時、神様がすべてを成し遂げられたのです。
聖徒の皆様。
神様の御国の働きは、神様の方法に従わなければなりません。教会が神様の御国のために働こうとするとき、神様の御心に従わなければなりません。人間的な考えでは不可能なこと、ありえない方法ですが、神様の御心を悟り、神様の御心に従う方法に従うべきです。人間的な方法がどんなに理性的で、現実的だとしても神様の御心を悟るならば、それらは、神様の働きと全く関係がありません。神様は、賢い人間の考え、計画には働きをされません。神様の御国の方法に従うならば、世の人の考えと違う時があります。人間の戦略によって神様の御国が進行するのではありません。神様の御国の働きは、神様の方法、神様の御言葉に従うべきです。お祈りいたします。