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2026年03月15日「神様が望んでられる教会」

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日本聖書協会『聖書 新共同訳』
コリントの信徒への手紙一 16章1節~12節

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いよいよ、コリントの信徒への手紙一の最後の部分に入ります。パウロはこの手紙一を結ぶにあたり、とても実際的なことを語っています。ただ教理を説明するだけで終わるのではなく、教会が実際にどのように生きるべきかを教えています。

今日の箇所には三つの内容が示されています。聖徒のための募金、福音のための働きの計画、そして協力者に対する態度です。これらの御言葉は私たちにとって大切なことを教えています。神様が望んでおられる教会とは、ただ礼拝をささげる場所ではなく、神様の御心に従って共に生きる共同体です。教会は「神の契約の共同体」とも言えるでしょう。神に召された民が共に集まり、神を礼拝し、互いに愛し合い、福音のために生きる共同体です。今日の御言葉を通して、神様が望んでおられる教会の姿を共に学んでいきましょう。

まず、教会は愛を実際の行動で表すべきです。パウロは、エルサレム教会のための募金について語ります。1節を見てください。「聖なる者たちのための募金については、ガラテヤの諸教会に指示したように、あなたがたも実行しなさい。」ここで言われている募金とは、単にお金の問題ではありません。困っている聖徒を助ける愛の働きのことを指しています。当時、エルサレム教会は大きな困難の中にありました。そのため、いくつかの教会が共に募金を集めて助けるようにしました。

聖書は教会を一つの体であると教えています。体の一部分が痛めば、ほかの部分も共に痛みます。それと同じように、教会も互いの困難を共に担う共同体なのです。そこでパウロは、募金を計画的に準備するように勧めています。2節を見てみましょう。「わたしがそちらに着いてから初めて募金が行われることのないように、週の初めの日にはいつも、各自収入に応じて、幾らかずつでも手もとに取って置きなさい」この2節のこの言葉には大切な原則があります。それは、定期的な献身です。「週の初めの日には」という言葉は、礼拝のたびに神様にささげる献身を意味しています。また、この御言葉は、すべての聖徒の参加を求めています。「各自」という言葉が出ますが、これは献金が一部の人だけのものではなく、すべての聖徒が共に参加することを勧めているのです。また、「収入に応じて」という言葉も出てきます。これはそれぞれの状況に応じた献身を意味します。神様がそれぞれに与えてくださった恵みに応じて、ささげるという意味です。

私たちの教会は、献金を恵みに対する感謝の印として理解しています。私たちは、神様がすでに与えてくださった恵みに感謝してささげるのです。献金とは、神様に何かをささげて神様の助けを求めることではありません。むしろ、神様がすでに与えてくださった恵みに対する感謝の応答なのです。
ある牧師が子どもに言いました。「どうして献金をするの?」その子はこう答えました。「神様が先に、ぼくにたくさんくださったからです。」牧師はその子にこう言いました。「神様はもう、あなたの心を受け取っておられるよ。」
献金はお金の問題ではなく、心の問題です。これが献金のいちばん大切な理由です。神様は私たちに命を与え、救いを与え、すべてを与えてくださいました。だから私たちは感謝をもって神様にささげるのです。

また、神様が望んでおられる教会は福音のために共に働く教会です。
今日の御言葉から分かることは、教会は福音のために共に働かなければならないということです。5節を見ますと、パウロは自分の働きの計画について語ります。「わたしは、マケドニア経由でそちらへ行きます。マケドニア州を通りますがから」パウロの計画は単なる旅行の計画ではありません。福音のための計画です。パウロは教会を訪れ、共に過ごすことを願っていました。6節の前半を見ますと、「たぶんあなたがたのところに滞在し、場合によっては、冬を越すことになるかもしれません。」この言葉を見ると、パウロが教会をどれほど愛していたかが分かります。彼はただ通り過ぎる訪問者ではなく、教会にとどまり、共に歩み、仕えたいと願っていたのです。牧会や宣教は単なる仕事ではありません。人を愛する働きです。皆様が互いに愛し、仕え合うことも、同じ大切な働きなのです。
8節を見ますと、パウロはエフェソにとどまると言います。
「しかし、五旬祭まではエフェソに滞在します。」その理由は何でしょうか。9節に書いてあります。
「私の働きのために大きな門が開かれているだけではなく、反対者もたくさんいるからです」この言葉はとても重要な事実を示しています。
福音の門が開かれるとき、必ず困難も共に現れます。福音が宣べ伝えられるとき、サタンはそれを妨げようとします。ですので、教会の歴史の中にはいつも迫害や反対がありました。しかし、私たちは大切なことを覚えていなければなりません。福音の門を開くのは人ではなく、神様です。神様が門を開かれるなら、誰もそれを閉じることはできません。だから教会は環境を恐れません。
なぜなら、教会のかしらはイエス・キリストだからです。
イギリスの宣教師 ウィリアム・ケアリー は「近代宣教の父」と呼ばれています。

彼がインド宣教を始めたとき、多くの人が反対しました。しかし彼はこう言ったそうです。「神に大きなことを期待しなさい。神のために大きなことを試みなさい」彼は一生インドで福音を伝えました。今日、多くの人々がその働きを通して福音を聞くことになりました。神様は今も福音の門を開いておられます。そして神様は教会を通してその働きを成し遂げておられるのです。

また、神様が望んでおられる教会は協力者を尊重すべきです。
パウロは二人の人物に言及します。テモテとアポロです。
10節を見てください。「テモテがそちらに着いたらあなたがたのところで心配なく過ごせるようお世話ください。わたしと同様、彼は主の仕事をしているのです」
テモテは若い牧会者でした。そのため、人々が彼を軽く見る可能性がありました。
そこでパウロは10節に書いてあるように「テモテがそちらに着いたらあなたがたのところで心配なく過ごせるようお世話ください。わたしと同様、彼は主の仕事をしているのです」すなわち、彼を尊重しなさいということです。教会は神の働き人を尊重しなければなりません。それは彼らが完全だからではなく、神の働きを任されている人だからです。12節を見てください。次はアポロについて記されています。「兄弟アポロについては、兄弟たちと一緒にあなたがたのところに行くようにと、しきりに勧めたのですが、彼は今行く意志は全くありません。よい機会が来れば、行くことでしょう」ここで私たちはとても美しい姿を見ることができます。パウロは使徒でしたが、アポロに命令することはしませんでした。教会の働きは世の上下関係ではなく、神に与えられた使命と賜物を持って感謝と喜びをもって行われるべきだからです。
すでに学びましたが、主の教会は、与えられた使命と賜物を持っていつも秩序と自由の両方を大切にします。すべての働きは神の御言葉の中で秩序をもって行わなければなりません。

今日の御言葉を通して、私たちは神様が望んでおられる教会の姿を見ました。
神様が望んでおられる教会は、互いに愛し、助け合う教会です。聖徒たちの困難を見過ごさず、共に分かち合う共同体です。また、福音のために共に働く教会です。教会が存在する目的は福音を伝えることです。また、協力者を尊重する教会です。神様の働きをする人々を大切にし、共に協力する共同体です。そして何より大切なことがあります。
教会の中心にはいつも イエス・キリスト がおられます。イエス様は教会のかしらです。イエス様は教会を愛し、十字架で死なれました。そして今も教会を治めておられます。ですので、私たちは教会を愛さなければなりません。なぜなら教会はキリストの体だからです。

神様が私たちの教会を、愛が溢れる教会として立ててくださるように、また、福音のために献身する教会にしてくださり、互いに尊重する教会として立ててくださるように願います。そしてこのすべてのことを通して、神様の栄光を表し、主の御名があがめられますように願います。

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