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2025年12月07日「主の道を整えなさい」

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日本聖書協会『聖書 新共同訳』
マルコによる福音書 1章1節~8節

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クリスマスを迎えるわたしたちは、このような姿勢であるべきです。それは、私たちのために身体を持った人間としてこの世に来られたイエス様の恵みを覚え、また独り子を送ってくださった神様の大きな愛に感謝し、心から賛美と敬拝を捧げるクリスマスを迎えることです。さらに、再び来られる主を迎える準備を日々しなければなりません。イエス様がこの世に来られる時、主が来られることを待ち望み、準備した人々がいました。その中の人が洗礼者ヨハネでした。彼は、主が働きを始める前にイエス様の働きのために主の道を整えたのです。その後、イエス様が本格的に働きをなさいました。
イエス様はすでに来られ、私たちのために十字架の上で死なれ、復活され、天に上られました。今、私たちが主の道を整えるということは、二つのことを考えることができます。
まず、一つ目に私たちはそれぞれに与えられた賜物を持って使命を果たしながら再び来られる主を迎える準備をしながら生きなければなりません。二つ目は、すでに来られた救い主である主を多くの人が信じるように日常生活の中で伝えなければなりません。このことが、私たちが主の道を整える道だと言うことができます。

1節を見てください。[神の子イエスキリストの福音の初め] マルコは、イエス様が福音の初めだと紹介し、特にイエス様を[神様の御子]だと紹介しています。
イエス様は身体を持った人間としてこの世に来られましたが、本来は、初めから生きておられた神様の御子だと言います。
イエス様がこの世に来られた時、ユダヤの人々はメシアを切に待っていました。その時代、イスラエルはローマ帝国に支配され、苦しい生活をしていました。イスラエルの歴史を見ますと、彼らはバビロン捕囚となり、いつも強豪な国によって多くの危機や苦しみの中に陥ってしまいました。そのような状況の中で、ユダヤの人々は、メシアが来られて自分たちをこの世の国から解放してくれることを待ち望んでいました。さらに自分たちの国がどの国よりも強豪な国となることを期待していたのです。神様の御子とメシア、すなわちキリストという単語は違いますが、このような状況を理解すると、同じ意味として理解することもできるでしょう。
マタイ16書16節にペトロはこのように告白しました。[あなたはメシア、生ける神の子です] ペトロは、イエス様に対して[メシア]と[生ける神の子]だと告白しました。ペトロがこのように告白したのは、当時のユダヤ人が持っていたメシア思想と関係があると言われます。マルコも当時のユダヤ人が期待していたメシアは、神様の御子でキリストだと記しました。このような背景の中で、マルコは、[神の子イエスキリストの福音の初め]と記したのです。
1節に[福音]という単語が出ます。ギリシア語で[εὐαγγέλιονユアンゲリオン]と言います。この単語の意味は、本来ローマ皇帝と関連した良い知らせを表現する単語として使われたそうです。ローマ皇帝の誕生日や王子が生まれた時、また戦争の勝利の知らせを民に伝える時使われたそうです。当時、ローマ皇帝の息子が生まれたことが[福音]、すなわち[良い知らせ]だとすれば、マルコは、ローマ皇帝と比べられない全知全能の神様の御子がこの世に来られたので、この世で一番良い知らせである福音を記したのです。
イエス様は良い知らせであり福音です。ローマの統治と全く違う神様の御国の統治が成し遂げられるということです。イエス様が人間としてこの世に来られてからすでに神様の御国がこの世に到来したのです。キリスト者である私たちが今、この世に生きていますが、もうすでに与えられた神様の恩寵の中で生きています。この恵みを覚え、完全である神様の御国で生きることを待ち望み、感謝と喜びを持って生きましょう。

続いてマルコは、主の道を整える人を紹介します。誰でしょうか。洗礼者ヨハネです。2‐3節を見てください。
[預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、私はあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。荒れ野で叫ぶ者の声がある。主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」その通り]
神様は、預言者たちを通してキリストが来られる前にまず、先に主の道を準備する人がいるということを預言するようにされました。代表的に預言者イザヤを通して主の道を準備する人が来ると言われました。当時、皇帝がどこかを訪問するとすれば、その地域の統治者は皇帝が楽に来ることができる道を準備しました。現代も同じです。大統領や総理大臣がどこかに訪問しようとするならば、先に道路や留まる場所を先にチェックし、準備します。このように皇帝の道を準備するようにキリストが来られる道を準備するということです。その働きのために洗礼者ヨハネが先にこの世に来たのです。洗礼者ヨハネの使命は、主の道を準備する事、整えることです。そのようにしてメシアとして来られるイエス様が来られ、人類の救いの働きができるように準備しました。洗礼者ヨハネは主の道を準備しましたが、彼がキリストのために準備したこと、すなわち、整えられたことは、悔い改めの洗礼を伝えたことです。4節を見てください。
[洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた] 
主の道を準備する核心は、人々が悔い改めて、罪を赦され、洗礼を受けるようにすることです。イエス様がこの世に来られてなさった働きは、人々の罪の赦しと救いのための働きです。イエス様の働きの核心は、[神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい]ということです。
私たちが主に出会い、主の前で一番先にしなければならないことは、悔い改めて、罪を赦されることです。悔い改めをするということは、神様から遠くなっている関係を回復することです。神様と私たちの間に罪という高い壁があるので、この罪の壁が取り除かれなければ神様の恵みを受けることができません。イザヤ書59章2節に[お前たちの悪が、神とお前たちとの間に隔てお前たちの罪が御顔を隠させ、お前たちに耳を傾けられるのを妨げているのだ]
罪の問題が解決できないのならば、神様の御前に行くことも私たちの祈りが成し遂げられることもないということです。洗礼者ヨハネは、キリストが働きをなさる前に先に悔い改めを叫び、悔い改めの洗礼を延べ伝えました。悔い改めて洗礼を受けることこそ、主を迎えるための準備です。
私たちがクリスマスを迎えながら先にしなければならないことは、過ぎ去った今年を顧み、悔い改めて心を聖くし、主を待ち続けることです。私たちは、すでに洗礼を受けたので、再び洗礼を受ける必要はありません。しかし、悔い改めて心を聖くし、主を待ち続けながらクリスマスを迎えなければなりません。
5節を見てください。[ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた] 洗礼者ヨハネの叫びを聞いた人々は、自分の罪を告白し、洗礼を受けました。
悔い改めは、リターンすることです。罪を犯す道からリターンすることです。すなわち、人生を変えることです。 口先だけで罪を悟り、告白することではなく、罪から完全にリターンすることです。難しい言葉で言いますと、悔い改めの実を結ばなければなりません。過ぎ去った今年を顧み、主の前で悔い改め、悔い改めの実を結びましょう。

ルカとヨハネの福音書によりますと、多くの人は洗礼者ヨハネがキリストではないかと思いました。洗礼者ヨハネは、多くの人がそのように思っていることを知り、自分はキリストではなく、キリストの道を準備する、整える人だと言ったのです。7節を見てください。
[彼はこう宣べ伝えた。「私よりも優れた方が、後から来られる。私は、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない」]
洗礼者ヨハネ自分は、主の道を準備し、整える人だけで、あとから来られるその方が、キリストであり、自分よりも優れた方だと紹介しています。洗礼者ヨハネは、キリストは自分と全く違い、自分はキリストの履物のひもを解く値打ちもないと告白しています。
聖徒の皆様。
イエス様は、ご自分の働きを通してキリストの力を表わしてくださいました。このイエス様の力についてペトロはこのように言います。使徒言行録10章38節に[つまり、ナザレのイエスのことです。神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました。イエスは、方々をめぐり歩いて人々を助け、悪霊に苦しめられている人たちをすべて癒されたのですが、それは、神がご一緒だったからです]
洗礼者ヨハネは、キリストを優れたお方と言いますが、それは聖霊の力と関係があるということが分かります。8節を見てください。[私は水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる]
人間として来られたイエス様は、すべての働きをなさった後、十字架に死なれ、復活され、また天に上られる時、弟子たちにエルサレムから離れず、父の約束されたもの、すなわち聖霊を待ちなさいと言われました。五旬際の日が来て弟子たちは、集まって祈りをささげる時、聖霊を受けました。聖霊を受けた弟子たちは、聖霊の力によって与えられた使命を果たしたのです。アドベントを迎えた私たちは、聖霊充満の人生を生きなければなりません。聖霊によってイエス様を主と告白し、主を信じるようになった私たちは、いつも聖霊の力の中で生きなければなりません。

洗礼者ヨハネは、主の道を準備し、整える人でした。彼は、悔い改めの洗礼を宣べ伝えながら、後から来られるキリストは聖霊で洗礼をお授けになると延べ伝えました。 ここで、悔い改めと聖霊の洗礼を受けるということは、私たちが主の道を準備する、整えることと関係があるということです。主の道を準備し、整えるということは、悔い改めと聖霊の洗礼によって新たなキリスト者として生きることです。アドベントを迎え、クリスマスを迎える私たちに悔い改めて聖霊に満たされ、いつもキリストの中で新しくなったキリスト者として生きるということです。
今まで過ぎ去った今年を顧みながら私たちがより新しい人生を生き、また主の御前に大胆に行くことができるように主の御言葉と聖霊に満たされて、神様の民として生きましょう。お祈りを致します。

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