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聖書の御言葉4(2020年7月19日) 栃木県鹿沼市のプロテスタント教会
聖書の御言葉4(2020年7月19日)
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聖書の御言葉4(2020年7月19日)
いなくなったのに見つかった
→ → → → → → 豊川修司 先生
ルカによる福音書15章1節から32節には、「見失った羊」、「無くした銀貨」、「放蕩息子のたとえ」の「三無しのたとえ」と呼ばれる有名な譬え話があります。三つの話の共通点は、見失ったとか、無くしたとか、いなくなったという点です。神様からみて存在そのものが無くなってしまったということです。
失った羊、無くした銀貨を一生懸命探すのは、持ち主である主イエス・キリストです。
聖書は、わたしたち人間が、神様から離れて、見失ってしまったように描いています。ですから主イエス・キリストは私たちを探し、見つけ、救い、神様の元へと立ち返らせます。ここにわたしたちの喜び以上に、神様ご自身の大きな愛と大きな喜びがあります。
1.見失った羊と無くした銀貨
100匹の羊のうち1匹が集団から離れて見失ってしまいました。羊飼いは99匹を野原に置いて1匹を探しに出かけます。見失うとは、存在そのものがなくなることです。羊飼いは羊を一所懸命探し、ようやく見つけ出します。そして羊を肩に担いで、牧場に帰り、近所の人たちを呼び集めて「見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください」と喜びをかくせません。99匹とはキリストのもとに来ない人たちのことです。
無くした銀貨のたとえ話も見失った羊と同じ流れです。一生懸命、探した結果、ようやく銀貨が見つけます。これこそ天にある大きな喜びなのです。
2.羊飼いの役目。
羊飼いは羊を探し連れて帰ります。羊とは人間を譬えているので、主イエス・キリストは人間を神の喜びの場に差し出します。ここで大切なことは、羊である人間が悔い改めることです。悔い改めとは、方向転換することです。今までの自分の生き方・考え方、自己中心的な生き方を、聖書が示す生き方に転換することです。悔い改めは、主イエスキ・キリストの十字架と復活を信じて生きる、新しい生き方です。
3.神を喜ぶという意味
3番目の「放蕩息子のたとえ」は、「見失った羊」と「無くした銀貨」の結論です。
二人の兄弟がいて、弟がお父さんに財産の分割を要求します。弟は財産を換金して旅に出ます。弟はお金を全て使い果たし、豚の餌まで食べるほど身を滅ぼしてしまい、親のもとへ帰る決心をします。本来なら叱られるところですが、父は遠くに弟を見つけるや否や、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻したのです。兄は、弟に対する父の対応は納得できず、兄の怒りは当然です。父は異常なほどの喜びでこうまで語ります。
「だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』神様の喜びは、「いなくなったに見つかった」者に対する大いなる喜びです。それはわたしたち一人一人のことです。教会は、今日もあなたを探し続けています。是非、教会においでください。
毎週日曜は礼拝の日
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~11時45分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 聖書研究会&祈祷会
- 毎週金曜日 10時30分から12時00分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
→ → → → → → 豊川修司 先生
ルカによる福音書15章1節から32節には、「見失った羊」、「無くした銀貨」、「放蕩息子のたとえ」の「三無しのたとえ」と呼ばれる有名な譬え話があります。三つの話の共通点は、見失ったとか、無くしたとか、いなくなったという点です。神様からみて存在そのものが無くなってしまったということです。
失った羊、無くした銀貨を一生懸命探すのは、持ち主である主イエス・キリストです。
聖書は、わたしたち人間が、神様から離れて、見失ってしまったように描いています。ですから主イエス・キリストは私たちを探し、見つけ、救い、神様の元へと立ち返らせます。ここにわたしたちの喜び以上に、神様ご自身の大きな愛と大きな喜びがあります。
1.見失った羊と無くした銀貨
100匹の羊のうち1匹が集団から離れて見失ってしまいました。羊飼いは99匹を野原に置いて1匹を探しに出かけます。見失うとは、存在そのものがなくなることです。羊飼いは羊を一所懸命探し、ようやく見つけ出します。そして羊を肩に担いで、牧場に帰り、近所の人たちを呼び集めて「見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください」と喜びをかくせません。99匹とはキリストのもとに来ない人たちのことです。
無くした銀貨のたとえ話も見失った羊と同じ流れです。一生懸命、探した結果、ようやく銀貨が見つけます。これこそ天にある大きな喜びなのです。
2.羊飼いの役目。
羊飼いは羊を探し連れて帰ります。羊とは人間を譬えているので、主イエス・キリストは人間を神の喜びの場に差し出します。ここで大切なことは、羊である人間が悔い改めることです。悔い改めとは、方向転換することです。今までの自分の生き方・考え方、自己中心的な生き方を、聖書が示す生き方に転換することです。悔い改めは、主イエスキ・キリストの十字架と復活を信じて生きる、新しい生き方です。
3.神を喜ぶという意味
3番目の「放蕩息子のたとえ」は、「見失った羊」と「無くした銀貨」の結論です。
二人の兄弟がいて、弟がお父さんに財産の分割を要求します。弟は財産を換金して旅に出ます。弟はお金を全て使い果たし、豚の餌まで食べるほど身を滅ぼしてしまい、親のもとへ帰る決心をします。本来なら叱られるところですが、父は遠くに弟を見つけるや否や、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻したのです。兄は、弟に対する父の対応は納得できず、兄の怒りは当然です。父は異常なほどの喜びでこうまで語ります。
「だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』神様の喜びは、「いなくなったに見つかった」者に対する大いなる喜びです。それはわたしたち一人一人のことです。教会は、今日もあなたを探し続けています。是非、教会においでください。