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聖書の御言葉2(2020年6月14日) わたしが与える水を飲む者は決して渇かない......... 豊川修司 先生 栃木県鹿沼市のプロテスタント教会
聖書の御言葉2(2020年6月14日) わたしが与える水を飲む者は決して渇かない......... 豊川修司 先生
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聖書の御言葉2(2020年6月14日) わたしが与える水を飲む者は決して渇かない......... 豊川修司 先生
宇都宮教会の礼拝には、信仰者と共に数名の求道者が出席しています。けれどもコロナウイルス禍でインターネット礼拝に切替えているので、教会でお会いできません。そこで、少しでも求道者の方々に福音を届けたいという一心から、ショート・メッセージを送ることにしました。今日も主イエスが与える命のパン(聖書の御言葉)を頂きながら、もう一つ大切な御言葉「決して渇かない水」を考えます。果たしてそんな水ありますか。
1.何よりも生きることが大事
主イエスの12人の弟子のうち、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4人は、主イエスのお話をそれぞれの視点で書きました。それが「福音書」と呼ばれる書物で、当時の人たちだけでなく、今の私たちにも当てはまる内容です。先月の命のパンに続いて、主イエスは水の話を取り上げました。この場面は、主イエスがサマリヤという地方で、井戸に水をくみに来た女性と交わした会話です。女性は暑い昼の真っ盛り、人目を忍んで水を汲みにきました。水は生活に欠かすことの出来ない大切な飲み物です。彼女には過去の自分を言えない事情がありました。主イエスは彼女の心を見抜き、ヨハネによる福音書4章13、14節の言葉を与えます。
「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」
2.主イエスの水は、泉のごとく湧き出る。
彼女が汲む水と主イエスが与える水の違いは何でしょうか。彼女の汲む水は日常生活に大変重要であり、水が無ければ生きることができません。水は命を維持するために必要です。食事に含まれる水分も含めて、人間は一日2ℓの水が必用と言われています。
一方、主イエスは水を譬えで話します。主イエスの語る水とは、心と魂に入る神と主イエスの御言葉のことです。「命のパン」と同じように、水も「命の水」と言われ、命を維持するために必要です。しかも命の水は、心の中で泉のようになって、永遠に命に至り、神と主イエスを知るように向かわせます(ヨハネ17:3)。まるで有名な富士山の地下水「忍野八海」(おしのはっかい)の湧き水を思い出します。女性は、「渇くことのない、汲みに来なくてもいい、その水をください」と主イエスに懇願しました。これが信仰です。
3.主イエスの話は実に躍動的
主イエスの話は決して難しものではなく、日常生活を通して救いに必要な言葉を提供しています。しかも話の内容は、弟子たちや聴衆に精神的な心の活力を与える特徴があります。御言葉を聞いて心が躍り、勇気が湧き、慰めを受け、チャレンジする心へと変えられ、わたしたちの心と魂を揺さぶります。渇きは喉の渇きだけでなく、苦悩、苦痛、迫害、困難、労苦に叫ぶ時も心の飢えです。サマリヤの女はまさに心の渇きだったのです。主イエスが与える水は、主イエスを知る信仰へと向かわせる心の躍動です。
毎週日曜は礼拝の日
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~11時45分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 聖書研究会&祈祷会
- 毎週金曜日 10時30分から12時00分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
1.何よりも生きることが大事
主イエスの12人の弟子のうち、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4人は、主イエスのお話をそれぞれの視点で書きました。それが「福音書」と呼ばれる書物で、当時の人たちだけでなく、今の私たちにも当てはまる内容です。先月の命のパンに続いて、主イエスは水の話を取り上げました。この場面は、主イエスがサマリヤという地方で、井戸に水をくみに来た女性と交わした会話です。女性は暑い昼の真っ盛り、人目を忍んで水を汲みにきました。水は生活に欠かすことの出来ない大切な飲み物です。彼女には過去の自分を言えない事情がありました。主イエスは彼女の心を見抜き、ヨハネによる福音書4章13、14節の言葉を与えます。
「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」
2.主イエスの水は、泉のごとく湧き出る。
彼女が汲む水と主イエスが与える水の違いは何でしょうか。彼女の汲む水は日常生活に大変重要であり、水が無ければ生きることができません。水は命を維持するために必要です。食事に含まれる水分も含めて、人間は一日2ℓの水が必用と言われています。
一方、主イエスは水を譬えで話します。主イエスの語る水とは、心と魂に入る神と主イエスの御言葉のことです。「命のパン」と同じように、水も「命の水」と言われ、命を維持するために必要です。しかも命の水は、心の中で泉のようになって、永遠に命に至り、神と主イエスを知るように向かわせます(ヨハネ17:3)。まるで有名な富士山の地下水「忍野八海」(おしのはっかい)の湧き水を思い出します。女性は、「渇くことのない、汲みに来なくてもいい、その水をください」と主イエスに懇願しました。これが信仰です。
3.主イエスの話は実に躍動的
主イエスの話は決して難しものではなく、日常生活を通して救いに必要な言葉を提供しています。しかも話の内容は、弟子たちや聴衆に精神的な心の活力を与える特徴があります。御言葉を聞いて心が躍り、勇気が湧き、慰めを受け、チャレンジする心へと変えられ、わたしたちの心と魂を揺さぶります。渇きは喉の渇きだけでなく、苦悩、苦痛、迫害、困難、労苦に叫ぶ時も心の飢えです。サマリヤの女はまさに心の渇きだったのです。主イエスが与える水は、主イエスを知る信仰へと向かわせる心の躍動です。