2023年10月08日「本当に恐るべきお方」

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本当に恐るべきお方

日付
説教
小宮山裕一 牧師
聖書
マタイによる福音書 10章16節~31節

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聖書の言葉

「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。また、わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい。はっきり言っておく。あなたがたがイスラエルの町を回り終わらないうちに、人の子は来る。
弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。家の主人がベルゼブルと言われるのなら、その家族の者はもっとひどく言われることだろう。」
「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」マタイによる福音書 10章16節~31節

メッセージ

この聖句でイエスが語っているのは、キリストの弟子たち、すなわち私たちがこの世界でどのように生きるべきかということである。10章の冒頭にあるようにキリストは弟子達を派遣した。そのことを踏まえるとこの箇所は狭い意味では派遣される弟子達への言葉。しかし、私たちはこの世に派遣される一人ひとり。そうであればこの箇所を私たちへの言葉として聞くこともできる。

ある人が言うにはキリスト者とはエイリアンである。エイリアンは異質な存在。そのような私たちは排除しようとする力に対峙しなければならない。なぜならばこの世界が罪と反抗に満ちており、真実のキリスト者が持つ価値観はこの世界とは根本的に異なるからである。しかし、主イエスはこのような状況を事前に予見し、「驚いてはいけない、それは起こることなんだ」と弟子たちに告げている。マタイによる福音書の背景には迫害があると言われる。人々はイエス・キリストを信じるが故に迫害された。それは、大きな恐れだったに違いない。驚きだったにちがいない。しかし、こうした迫害は神の民にとって絶えず行われてきたものである。

私たちは本当に恐れるべき方を恐れる。あなたは誰を恐れているだろうか?この世界では、キリスト者はしばしば排除や迫害の対象とされる。しかし、イエスは「体も魂も滅ぼすことができるお方を恐れなさい」と教え、その「お方」は神であると明言している。この神を恐れる心こそが、不健全な恐れ(人々や社会的圧力に対する恐れ)から私たちを解放する。私たちは神を正しく恐れる。確かに、神は愛だ。その愛は神の正しさと無関係ではない。神の正しさは神の裁きによって明らかにされる。そしてその裁きは、神に背く人から神の民を救うために行われるもの。その権威と力を私たちは恐れるのだ。それは「神を神とする生き方」といってもよいだろう。

そのために求められることは何か。イエスは弟子達に「蛇のように賢く、ハトのように素直になりなさい」と指示された。蛇のような賢さは、抜け目なく、状況を判断して生き抜く力である。一方で、ハトのような素直さは神に対する純粋な信仰心を意味する。これらは、外部からの迫害や試練に直面したときに、私たちがどのように振る舞うべきかを示す具体的な指針である。