2023年10月29日「輝かしい勝利」

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聖書の言葉

では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。「わたしたちは、あなたのために/一日中死にさらされ、/屠られる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。ローマの信徒への手紙 8章31節~39節

メッセージ

本日は召天者記念礼拝。単に故人を追憶するのではなく、彼らの人生を通じて示された神の恵みと、キリストにおける死と復活の確かな約束を覚える時。死を悼むのではなく、キリストにおいて与えられた新しい生命に目を向ける。主に結ばれて死を迎えたものは肉体の弱さから解放され、魂はキリストと共に休む。そして復活の時を待つ。

今朝はローマ書を開いた。この書物でパウロは、神が我々の味方であるという強力に宣言する。死も病も、また他のどんな力も信者をキリストの愛から分かつことはできないと。信者は罪の定めから解放され、罪に対する断罪がない。私たちはもう神を恐れなくてもよい。

それは、ただ単に神を恐れないということに留まらない。パウロは信者が神の子どもであるという。罪が赦されたといういわば法的なことがらのみならず、神の子とされている関係性にまで私たち神のつながりは不可合っていく。そうして、信者は恐れから解放され、愛によって生きる者とされる。神の子としての地位が与えられるということは養子になると言い換えることもできる。ローマ社会において養子は法的にも社会的にも厳しい条件の下でしか得られなかった。だが、キリストにおいては神の子となるという恵みが私たちに与えられる。

様々な場面で直面している現実の苦悩や試練も、その力によって私たちを神の愛から引き離すことはできない。苦難、迫害、飢え、裸、危険、そして死刑執行人の剣に象徴される死の脅威にもかかわらず、信者は神の愛において圧倒的な勝利を得る。パウロはキリストに結ばれた信者の罪からの解放と、その愛による勝利を伝える。

神の愛の確かさについてのパウロの最終的な確信は、あらゆる霊的、物理的な力が私たちを神の愛から引き離すことができないという強い宣言で終わる。38節と39節では、死と生、御使いと支配者、現在の力と将来の力、高いところと深いところ、そして被造物すべてが神の愛から私たちを引き離すことはできないと述べられる。これらの表現は、当時の人々の世界観を映し出しつつ、私たちが直面するあらゆる状況での神の愛の不変を強調する。

最後に、パウロのメッセージは信者たちにとっての勝利と希望の約束である。私たちは神の恵みを通じて日々の生活を送り、死の勝利を待ち望む。そして、いつの日にか、信仰において先に天に帰った者たちと共に、主との再会の時が来る。この地上の歩みにおいてもこの時を待ち望もう。私たちの歩みはこの世界の苦悩を超えた、神の愛に根ざした希望の生涯なのである。