2023年11月12日「キリストがもたらす剣」
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キリストがもたらす剣
- 日付
- 説教
- 小宮山裕一 牧師
- 聖書
マタイによる福音書 10章34節~39節
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聖書の言葉
「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族の者が敵となる。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」マタイによる福音書 10章34節~39節
メッセージ
キリストは平和をもたらすためにこの地上に来られた。クリスマスのメッセージでは「地には平和」(ルカ2:14)と言われている。本日の聖書箇所はキリストが地上にもたらす平和の本質について深い洞察を提供している。主イエスは「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ」と述べており、これは一見すると平和の概念に対する矛盾を示唆し
ているように思える。
しかし、ここでの「剣」は対立や分裂を象徴しており、キリストがもたらす平和は表面的な調和や安定ではない。真の平和は、神の言葉によってもたらされる深い内面的変革から生じる。神の言葉は、ヘブライ人への手紙4章12節にあるように、「どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができる」力を持っている。
このような変革は、しばしば家族関係の中で顕著に現れる。家族間での信仰に基づく軋轢は、マタイ10章の文脈で特に強調されている。これは、神との関係を最優先に置くことによる、家族内の動揺や衝突を意味する。しかし、このような軋轢は、神に対する深い忠誠と信仰の証であり、真の平和への道を示している。真の平和は、神の御心に従うことによってのみ達成される。キリストの言葉は、親や子どもへの愛と、神への愛とを比較し、その究極の優先順位を問いかけている。
聖書は、神との関係を最優先に置く。マタイ10章37節から38節では、家族よりもキリストを愛すること、自己の十字架を担ってキリストに従うことが、信者に求められている。これは、自己犠牲と奉仕の生活への呼びかけであり、物質的な生活や地上の安全ではなく、永遠の命、すなわち神との深い関係を求めることを示している。
信仰がもたらす軋轢や分裂を避けるのではなく、それを通じて神とのより深い関係を築く。この重要性を覚えたい。神を最優先にすることで、家族関係も新たな形で確立される。教会では神の家族としての結びつきが強化される。教会の使命は、罪という現実に直面し、神との関係を修復し、神の家族としての共同体を築くことである。キリストがもたらす真の平和は、外的な調和や紛争の欠如ではなく、神との関係に根ざした深い内面的な平和である。この平和は、信仰に基づく生き方によってのみ実現可能であり、永続的で変わることのない神の愛と恵みによって保証されている。