2023年11月26日「主を賛美する教会」
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主を賛美する教会
- 日付
- 説教
- 小宮山裕一 牧師
- 聖書
ヨハネの黙示録 5章1節~14節
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聖書の言葉
またわたしは、玉座に座っておられる方の右の手に巻物があるのを見た。表にも裏にも字が書いてあり、七つの封印で封じられていた。また、一人の力強い天使が、「封印を解いて、この巻物を開くのにふさわしい者はだれか」と大声で告げるのを見た。しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開くことのできる者、見ることのできる者は、だれもいなかった。この巻物を開くにも、見るにも、ふさわしい者がだれも見当たらなかったので、わたしは激しく泣いていた。すると、長老の一人がわたしに言った。「泣くな。見よ。ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、七つの封印を開いて、その巻物を開くことができる。」
わたしはまた、玉座と四つの生き物の間、長老たちの間に、屠られたような小羊が立っているのを見た。小羊には七つの角と七つの目があった。この七つの目は、全地に遣わされている神の七つの霊である。小羊は進み出て、玉座に座っておられる方の右の手から、巻物を受け取った。巻物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老は、おのおの、竪琴と、香のいっぱい入った金の鉢とを手に持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖なる者たちの祈りである。そして、彼らは新しい歌をうたった。「あなたは、巻物を受け取り、その封印を開くのにふさわしい方です。あなたは、屠られて、あらゆる種族と言葉の違う民、あらゆる民族と国民の中から、御自分の血で、神のために人々を贖われ、彼らをわたしたちの神に仕える王、また、祭司となさったからです。彼らは地上を統治します。」
また、わたしは見た。そして、玉座と生き物と長老たちとの周りに、多くの天使の声を聞いた。その数は万の数万倍、千の数千倍であった。天使たちは大声でこう言った。「屠られた小羊は、/力、富、知恵、威力、/誉れ、栄光、そして賛美を/受けるにふさわしい方です。」
また、わたしは、天と地と地の下と海にいるすべての被造物、そして、そこにいるあらゆるものがこう言うのを聞いた。「玉座に座っておられる方と小羊とに、賛美、誉れ、栄光、そして権力が、世々限りなくありますように。」
四つの生き物は「アーメン」と言い、長老たちはひれ伏して礼拝した。ヨハネの黙示録 5章1節~14節
メッセージ
今年の年間テーマと聖句から御言葉に聞いていきたい。
賛美は単なる音楽や歌にとどまらず、祈りと感謝の表現であり、神への奉仕である。賛美を通じて、私たちは自身が神の御前に生きていることを思い起こし、心を高める。賛美は、日々の祈りと礼拝の中で重要な役割を果たす。讃美歌第二編1番「心を高く上げよう」を何回か礼拝の中で賛美した。この賛美は聖餐式で賛美する伝統が改革派教会の中にある。まさに、十字架と復活の主を崇め、心を高くあげるのが聖餐式。
黙示録5章では、天上の礼拝の姿が描かれる。4章から礼拝の場面であるが5章では神聖な玉座の前での賛美が描かれている。ここには、創造から終末までの神の計画が示されており、その中心は神からの救いである。裁きを象徴する巻物が開かれる時、罪が裁かれる。その巻物を開くお方こそ、ダビデの家系から生まれた救い主であられるイエス・キリスト。キリストはただ罪を指摘するだけではなく、ご自分が罪を引き受けることで救いをもたらされた。神のこの計画の中心にはイエス・キリストがいる。キリストは、罪と死に打ち勝ち、私たちに復活の希望を与えてくださる。このイエス・キリストは、獅子としての勝利者としてだけでなく、屠られた小羊としての犠牲者でもある。この犠牲は十字架の犠牲であり、旧約聖書からいえば出エジプトの小羊の犠牲。獅子と小羊。この矛盾するイメージは、キリストの全能と慈悲を表している。
このように黙示録5章はキリストが罪を赦すことによって私たちを神の民に変える救いの業を描いている。私たちはこの救いに応え、キリストを中心にした礼拝を捧げる。地上の礼拝は天上の礼拝の反映であり、私たちの賛美は天上の礼拝と一体となる。教会は、この喜びと賛美の精神を持って神を礼拝し続ける。教会は賛美を通じて、信仰と希望を共有しつづける。
このように礼拝で献げる賛美の中心は救い主イエス・キリストがおられる。私たちの賛美はただの音楽ではなく、神に捧げられる香り高い供え物である。賛美を通して、私たちは神の御前に心を高く持ち上げ、神の計画における自らの役割を再確認する。私たちもまた、天上の礼拝を目指す民。この役割があたえられており、教会は天上の礼拝を映し出す群れ。賛美は私たちを結びつけ、共に神を礼拝する天上の群衆と一体となる。私たちはこの賛美の精神で、主を褒め称え、賛美し続けるべきである。