2023年12月24日「永遠の命という贈り物」
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永遠の命という贈り物
- 日付
- 説教
- 小宮山裕一 牧師
- 聖書
ヨハネの手紙一 5章6節~21節
聖書の言葉
この方は、水と血を通って来られた方、イエス・キリストです。水だけではなく、水と血とによって来られたのです。そして、“霊”はこのことを証しする方です。“霊”は真理だからです。証しするのは三者で、“霊”と水と血です。この三者は一致しています。わたしたちが人の証しを受け入れるのであれば、神の証しは更にまさっています。神が御子についてなさった証し、これが神の証しだからです。神の子を信じる人は、自分の内にこの証しがあり、神を信じない人は、神が御子についてなさった証しを信じていないため、神を偽り者にしてしまっています。その証しとは、神が永遠の命をわたしたちに与えられたこと、そして、この命が御子の内にあるということです。御子と結ばれている人にはこの命があり、神の子と結ばれていない人にはこの命がありません。
神の子の名を信じているあなたがたに、これらのことを書き送るのは、永遠の命を得ていることを悟らせたいからです。何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です。わたしたちは、願い事は何でも聞き入れてくださるということが分かるなら、神に願ったことは既にかなえられていることも分かります。死に至らない罪を犯している兄弟を見たら、その人のために神に願いなさい。そうすれば、神はその人に命をお与えになります。これは、死に至らない罪を犯している人々の場合です。死に至る罪があります。これについては、神に願うようにとは言いません。不義はすべて罪です。しかし、死に至らない罪もあります。わたしたちは知っています。すべて神から生まれた者は罪を犯しません。神からお生まれになった方が、その人を守ってくださり、悪い者は手を触れることができません。わたしたちは知っています。わたしたちは神に属する者ですが、この世全体が悪い者の支配下にあるのです。わたしたちは知っています。神の子が来て、真実な方を知る力を与えてくださいました。わたしたちは真実な方の内に、その御子イエス・キリストの内にいるのです。この方こそ、真実の神、永遠の命です。子たちよ、偶像を避けなさい。ヨハネの手紙一 5章6節~21節
メッセージ
今年もクリスマスを迎えることができた。神に感謝をささげたい。クリスマスは救い主イエス・キリストの御降誕をお祝いする時。キリストは無限の神。その神が一人の人となってくださった。このキリストを信じる時、私たちは救いに入れられる。クリスマスがなければ私たちの救いはない。信仰によって与えられるあらゆる恵みは神が独り子をお遣わしになったということから始まる。
クリスマスの恵みに与るキリスト者には三つの重要な日がある。生まれた日、洗礼を受けた日、そして神の元へ召される日である。これらの日々は私たちの信仰旅行を象徴しており、神の愛と恵みによる救いを表す。このひとつひとつの恵みの源流こそがクリスマスである。
クリスマスによってお生まれになったお方、イエス・キリスト。ヨハネの手紙ではこのお方を信じることを「神から生まれた人」(4節)であり「永遠の命を得ている」(13節)という。クリスマスの時にお生まれになったイエス。このお方の十字架の犠牲を通じて、私たちは神との関係を回復し、永遠の命が与えられた。。永遠の命は、単に長生きすることではなく、神と共にある豊かな人生を意味する。神の恵みに生かされる歩み。クリスマスは、この素晴らしい贈り物を祝う時である。
永遠の命について思いを巡らす時、ヨハネ 3:16を思い出す。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」この聖句は、イエス・キリストが私たちのためにされた犠牲と、それによって私たちが得ることができる永遠の命の重要性を強調している。だからこそ今日、このクリスマスの時に、私たちはキリストの誕生を祝う。それとともに、このお方が十字架におかかりになり、死んで復活をしたこと。このことを覚えたい。ここに愛がある。クリスマスは神の愛が鮮やかに示された時。
この神の愛を受け取るとき、私たちはあたらしくなる。内なる自分が、あたらしい自分になっていく。まさに、2つ目の誕生日ともいえる。それは、自分一人で歩いていたところから、神と共にあるくようになる。そして、私たちはともに生きる仲間が与えられる。この仲間はともに祈りながら歩む仲間。これは心強いもの。一人で生きるのは快適だが、不安定でもある。総じて、神につながるとき、私たちは自分の中に心の支えをいただくといえるだろう。この支えを私たちは信仰と呼ぶ。
この信仰の根底にあるのが、神の愛、永遠の命なのだ。