2022年02月06日「教会に結ばれて」
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教会に結ばれて
- 日付
- 説教
- 小宮山裕一 牧師
- 聖書
マタイによる福音書 16章13節~20節
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聖書の言葉
イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。マタイによる福音書 16章13節~20節
メッセージ
本日はこの会堂での最後の礼拝。この会堂で礼拝を開始したのは1984年10月21日。朝拝だけで1947回、夕拝や教会学校を加えれば5000回ほどの礼拝をささげてきたのではないか。献げた礼拝は神の恵みの証。この恵みを新会堂に受け継いで参りたい。
さて、本日の聖書箇所からあらためて教会とは何か、一緒に考えて行きたい。この時、イエスは弟子達を伴いフィリポ・カイサリアとよばれる地方にやってきた。そこで、人々は人の子(イエスのこと)をなんと言っているのかと弟子達に問うた。弟子達は、人々はイエスを旧約の登場人物だと理解しているようだと答えた。それに対して、イエスは、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」といわれた。
イエス・キリストとはどのようなお方か。こうした問いに対して、皆様はどのようにお答えになるだろうか。この問いはそれぞれの信仰、イエス・キリストとどのような関係か、ということと深く関係がある。私たちは聖書からこの質問の答えをいただきたい。それが、ペトロの信仰告白「あなたはメシア、生ける神の子です」。
あなたはメシアである。そして、生きておられる神の子である。これがペトロの答え。このメシアと書かれている言葉はそのままの言葉ですとキリスト。メシア(キリスト)とは神から使命を委ねられた、神から派遣された人という意味。キリストは救い主としての働きを神から委ねられた。そしてそのためにこの地上に来たのである。人々を罪から救い、神から離れている人々を招く。そこに、キリストの使命があり、目的がある。
この罪の赦し、救いをキリストはその弟子達に委ねられた。御自分がこの地上から離れても、人々が神に結ばれて歩めるようにキリストは弟子達にこの働きを託したのである。この弟子達の共同体こそ、キリストの教会なのである。
そして、この告白をして教会に連なるものは幸いである。それが、ペトロが聞いた宣言。キリストをメシアだという告白は人の力によるのではない。神による。天の父が与えて下さったからなしえる告白なのである。
そしてさらに、キリストを信じるものは、陰府の力もこれに対抗できない。陰府とは死の世界。およそ、この世界でもっとも強いものは死の力。その死の力にすら、教会に勝つことはできないという。それはキリストの復活に根拠がある。教会の頭はキリスト。そのキリストが治めている教会もまたこの復活の力に覆われている。
また、キリストは「地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」といわれた。これは秩序があるということ。私たちの教会にも与えられた秩序がある。特に、私たちは改革派教会という歴史と伝統を受け継いでいる。教会にとって秩序は御言葉によって整えられていくこと。この秩序を確立していくために、改革派教会として成長していきたい。