2022年01月23日「新しい契約」

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新しい契約

日付
説教
小宮山裕一 牧師
聖書
エレミヤ書 31章1節~34節

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聖書の言葉

そのときには、と主は言われる。わたしはイスラエルのすべての部族の神となり、彼らはわたしの民となる。主はこう言われる。民の中で、剣を免れた者は/荒れ野で恵みを受ける/イスラエルが安住の地に向かうときに。遠くから、主はわたしに現れた。わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し/変わることなく慈しみを注ぐ。おとめイスラエルよ/再び、わたしはあなたを固く建てる。再び、あなたは太鼓をかかえ/楽を奏する人々と共に踊り出る。再び、あなたは/サマリアの山々にぶどうの木を植える。植えた人が、植えたその実の初物を味わう。見張りの者がエフライムの山に立ち/呼ばわる日が来る。「立て、我らはシオンへ上ろう/我らの神、主のもとへ上ろう。」
主はこう言われる。ヤコブのために喜び歌い、喜び祝え。諸国民の頭のために叫びをあげよ。声を響かせ、賛美せよ。そして言え。「主よ、あなたの民をお救いください/イスラエルの残りの者を。」見よ、わたしは彼らを北の国から連れ戻し/地の果てから呼び集める。その中には目の見えない人も、歩けない人も/身ごもっている女も、臨月の女も共にいる。彼らは大いなる会衆となって帰って来る。彼らは泣きながら帰って来る。わたしは彼らを慰めながら導き/流れに沿って行かせる。彼らはまっすぐな道を行き、つまずくことはない。わたしはイスラエルの父となり/エフライムはわたしの長子となる。
諸国の民よ、主の言葉を聞け。遠くの島々に告げ知らせて言え。「イスラエルを散らした方は彼を集め/羊飼いが群れを守るように彼を守られる。」主はヤコブを解き放ち/彼にまさって強い者の手から贖われる。彼らは喜び歌いながらシオンの丘に来て/主の恵みに向かって流れをなして来る。彼らは穀物、酒、オリーブ油/羊、牛を受け/その魂は潤う園のようになり/再び衰えることはない。そのとき、おとめは喜び祝って踊り/若者も老人も共に踊る。わたしは彼らの嘆きを喜びに変え/彼らを慰め、悲しみに代えて喜び祝わせる。祭司の命を髄をもって潤し/わたしの民を良い物で飽かせると/主は言われる。
主はこう言われる。ラマで声が聞こえる/苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む/息子たちはもういないのだから。主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。息子たちは敵の国から帰って来る。あなたの未来には希望がある、と主は言われる。息子たちは自分の国に帰って来る。
わたしはエフライムが嘆くのを確かに聞いた。「あなたはわたしを懲らしめ/わたしは馴らされていない子牛のように/懲らしめを受けました。どうかわたしを立ち帰らせてください。わたしは立ち帰ります。あなたは主、わたしの神です。わたしは背きましたが、後悔し/思い知らされ、腿を打って悔いました。わたしは恥を受け、卑しめられ/若いときのそしりを負って来ました。」エフライムはわたしのかけがえのない息子/喜びを与えてくれる子ではないか。彼を退けるたびに/わたしは更に、彼を深く心に留める。彼のゆえに、胸は高鳴り/わたしは彼を憐れまずにはいられないと/主は言われる。
道しるべを置き、柱を立てよ。あなたの心を広い道に/あなたが通って行った道に向けよ。おとめイスラエルよ、立ち帰れ。ここにあるあなたの町々に立ち帰れ。いつまでさまようのか/背き去った娘よ。主はこの地に新しいことを創造された。女が男を保護するであろう。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしが彼らの繁栄を回復するとき、ユダとその町々で人々は、再びこの言葉を言うであろう。「正義の住まうところ、聖所の山よ/主があなたを祝福されるように。」ユダとそのすべての町の民がそこに共に住む。農民も、群れを導く人々も。わたしは疲れた魂を潤し、衰えた魂に力を満たす。ここで、わたしは目覚めて、見回した。それはわたしにとって、楽しい眠りであった。
見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家に、人の種と動物の種を蒔く日が来る、と主は言われる。かつて、彼らを抜き、壊し、破壊し、滅ぼし、災いをもたらそうと見張っていたが、今、わたしは彼らを建て、また植えようと見張っている、と主は言われる。その日には、人々はもはや言わない。「先祖が酸いぶどうを食べれば/子孫の歯が浮く」と。人は自分の罪のゆえに死ぬ。だれでも酸いぶどうを食べれば、自分の歯が浮く。
見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。エレミヤ書 31章1節~34節

メッセージ

私たちが普段、用いている聖書の旧約と新約というのは、古い契約と新しい契約という意味。そして、これが大切なことなのだが、この旧約と新約はセットである。古い契約があるから、新しい契約が成り立つ。どちらかが1つでは成り立たない。それでは、この新しい契約がどのように新しいのか。

 普通、私たちが何かを約束するとき、お互いに約束をして、それぞれが義務おを追う。たとえば、私たちがご飯を食べにいくとき、レストランで注文する。お店は、商品を提供する。お客は代金を支払う。これが、双方の義務である。

 しかし、この新しい契約は、神が約束をしてくださる。神が成し遂げてくださる。11節に贖う、という言葉がある。これはとても大切な言葉。買い戻す、という意味がある。神がコストを払ってくださり、私たちを御自分のところに招いてくださるというのである。神が、全て面倒をみてくださる。

 本日の説教を考えて行く中で、昔、大学時代に学んだことを思い出した。私は法律を勉強していた。法律の中に、民法とよばれう分野があり、その中に契約についての決まりがある。契約には、双務契約とよばれる者と、片務契約と呼ばれるものがある。双務契約とは、当事者のうち両方が義務と責任を負うもの。さきほどのレストランがその例。それに対して、片務契約とは一人だけが責任を負うもの。だいたいの契約は双務契約。しかし、片務契約も当然存在する。その中で代表的なものが遺言である。確かに、遺言は、残された側はただ受け取るだけ、残した方が一方的に提供するものである。

 人間が何かをするわけではない。この契約は確かに新しい。これまで、神の約束を見てきた。契約をご一緒に見てきた。その中で、確かに、神と人の義務が語られていた。しかし、この新しい契約においては神が、一方的に約束をしてくださる。そして、その約束を神が守ってくださり、になってくださる。それが、この新しい契約である。イスラエルの人々は、神に従って神の栄光を現すことに失敗した。しかし、人の失敗など神にとっては関係ない。神は、御自分の約束を果たさずにはいられない。

 神の契約という観点から色々なことを申し上げた。結局、契約とは何か。わかったようはわからないような印象を受けるかもしれない。契約とは、血を流してまで、それほどの犠牲を払ってまで愛する愛である。実際に、イエス・キリストは血を流された。キリストは御自分の血を流してまで、御自分のところに人々を、私たちを招いてくださるのである。

 今日、この礼拝に集う私たちはこの招かれた一人一人。それはキリストが御自分の血を流してもおしくないと思い、愛された一人一人。心に、確かにキリストの言葉が刻まれている一人一人である。神の愛の中にいるといってもよい。

 この契約に私たちは今も、生かされていく。この契約には完全な赦しが約束されている。神はもう、罪を赦してくださった。私たちの罪ももう赦されている。私たちもまた、自分の罪を振り返るのではなく、この約束に生かされていく。