2021年11月28日「キリストを迎える」
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キリストを迎える
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- 小宮山裕一 牧師
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ルカによる福音書 10章38節~42節
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聖書の言葉
一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」ルカによる福音書 10章38節~42節
メッセージ
本日からアドベント。アドベント「到来」という意味がある。この到来、というのはイエス・キリストの到来。神が、満を持してこの地上にキリストを送ってくださった。その時が到来した。それがアドベント。このアドベントをイエス・キリストを心にお迎えするその備えをして過ごして参りたい。
本日の聖書箇所にはイエス・キリストを自宅に迎えた二人の姉妹が登場する。マルタとマリア。マルタはキリスト一行をもてなした。当時、旅人をもてなすことは隣人愛の実践。パウロも手紙の中で旅人をもてなすように命じている。マルタはキリストと弟子達をもてなすために忙しなく動き回っているがこれは決して悪いことではない。むしろ正しいことだといえる。対してマリアはキリストの足下に座って話を聞いていた。対照的な2人である。
マルタは自分だけ動き回っているのがおもしろくないのか、キリストにマリアも働くように言って欲しいとお願いする。それに対してイエスは「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。 しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(41、42節)といわれた。イエスが人名を2回繰り返して呼びかけるのは珍しい。この時の口調はマリアを諭すような優しさをもっていたのではないだろうか。いやむしろ、本当に大切なものを伝える威厳を有していたのだろうか。想像するしかないがイエスは目を上げてそしてマルタを見つめながらいわれたに違いない。
ここではマリアは良い方を選んだといっている。これはあれとこれでこっちの方が良い、という意味ではなく「良いものを選んだ」ということ。ベストな選択をした、という意味。だからそれを取り上げてはならないとイエスはいわれたのである。
マルタの行動も隣人愛からくるものである。それは素晴らしい。しかし、キリストの言葉に耳を傾けるということはなによりも優先すべきことである。そしてキリスト御自身がそのことを望んでおられる。これは確かなことである。何が大切なのか。何を第一にしなければならないのか。キリストの言葉に心と耳を集めることである。
どうしてイエスは御自分の言葉に耳を傾けてもらいたいのか。答えはシンプルである。ここに命があるからである。神の言葉が私たちを本当の意味で生かす。そのことをキリストはよくご存知である。だからこそ、御自分の言葉に聞く事が大切であると言われたのである。
クリスマスの一つのテーマは命である。イエス・キリストがお生まれになった。真の神が真の人としてこの地上にきてくださった。このお方は十字架で御自分の命と引き替えに私たちに救いを与えて下さった。その命がこの地上に到来した。それがアドベントである。
私たちはキリストの声に聞きながらこのアドベントのの時を過ごしたい。その時、私たちはこのお方によって生かされていく。