2021年10月03日「約束に押し出されて」
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約束に押し出されて
- 日付
- 説教
- 小宮山裕一 牧師
- 聖書
創世記 12章1節~9節
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聖書の言葉
主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発し、カナン地方に入った。アブラムはその地を通り、シケムの聖所、モレの樫の木まで来た。当時、その地方にはカナン人が住んでいた。主はアブラムに現れて、言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。」アブラムは、彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。アブラムは、そこからベテルの東の山へ移り、西にベテル、東にアイを望む所に天幕を張って、そこにも主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ。アブラムは更に旅を続け、ネゲブ地方へ移った。創世記 12章1節~9節
メッセージ
本日の主人公は一人の老人である。この老人に神が語りかけた。その語りかけは唐突ですらある。いきなり、主はアブラムに言われた、とある。なんの前触れもなく、いきなり。でも、時に神からの招きは自分が思いもよらない形で押し寄せてくる。
このアブラム、後にアブラハムという人物。このアブラムの父はテラという。11章の最後のところに、このテラがどのような人生の最後を迎えたのかが記されている。それによるとこのテラはカルデアのウルに住んでいたが、そこから旅に出た。ウルとは現在のイラクにある街。このウルから、ハランという場所に来た。そして、ハランから、おそらくはカナンの地を目指していた。その旅の途中、テラが死んでしまった。
アブラムは、このハランに留まった。アブラムには選択肢が3つあった。一つは、このままカナンにむかうか。もう一つは、ウルに帰るか。そして、もう一つが、ハランに留まるか、ということ。このアブラハムの姿はよくわかるし、納得がいく。帰るのも手間、行くのもそれはそれでなにかと負担が掛かる。それなら、なじみのあるところにしばらくいようか、と思う。これは決して悪いことではない。アブラハムもそのままハランに滞在した。
このハランは聖書が伝える神を信じる人々がいた場所ではない。異なる神の教え、異なる宗教、異教の神をしんじていた人々である。聖書の別の箇所をみると、父のテラは他の神に仕えていたと書いてある。ということは、アブラハムもまた、他の神を信じていた可能性は高い。
住み慣れた土地。先祖伝来の宗教。また、このアブラムはそれなりに裕福であった。もうあとは残された人生を楽しむだけ。妻もいる。甥もいる。子供がいないのは心残りだったと思うが、それは仕方のないこと。静かに、この地で暮らしたい。それが、アブラムの思いだったのではないだろうか。
そのようなアブラムに、神は御語りになったのである。その理由については聖書はかたらない。なぜかアブラムに神様は御語りになった。神の語りかけ。これから信仰は始まる。信仰はこの私が何かを信じるということだが、それは向こうからの語りかけによる。それまで自分が何を信じていたのか、どういう家庭でそだったのかはそれほど大きな問題ではない。神が語りかけてくださった。その神の言葉を聴いて、受け止めるところから信仰は始まる。
神はアブラムにカナンの地に行くように命じた。神の言葉に信頼することにおって多くの人々がアブラムを通して祝福を受けるとも言われた。祝福とはお祝い。神を信じるのはめでたいこと。このめでたさにアブラムを通して神は招いて下さる。この祝福は新約においてはイエス・キリストによって明確になった。私たちはキリストを通してのこの祝福にあずかる。キリストを指し示す聖書から私たちは神の声を聞く。それが私たちに与えられている約束。この約束を受け、一歩踏み出すものでありたい。