2021年09月19日「ノア契約」

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ノア契約

日付
説教
小宮山裕一 牧師
聖書
創世記 9章1節~17節

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聖書の言葉

神はノアとその息子たちを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちよ。あらゆる地の獣、あらゆる空の鳥、あらゆる地を這うもの、あらゆる海の魚はあなたがたを恐れ、おののき、あなたがたの手に委ねられる。命のある動き回るものはすべて、あなたがたの食物となる。あなたがたに与えた青草と同じように、私はこれらすべてをあなたがたに与えた。ただ、肉はその命である血と一緒に食べてはならない。また、私はあなたがたの命である血が流された場合、その血の償いを求める。あらゆる獣に償いを求める。人に、その兄弟に、命の償いを求める。人の血を流す者は/人によってその血を流される。/神は人を神のかたちに造られたからである。あなたがたは、産めよ、増えよ。/地に群がり、地に増えよ。」神はノアと、彼と共にいる息子たちに言われた。「私は今、あなたがたと、その後に続く子孫と契約を立てる。また、あなたがたと共にいるすべての生き物、すなわち、あなたがたと共にいる鳥、家畜、地のすべての獣と契約を立てる。箱舟を出たすべてのもの、地のすべての獣とである。私はあなたがたと契約を立てる。すべての肉なるものが大洪水によって滅ぼされることはもはやない。洪水が地を滅ぼすことはもはやない。」さらに神は言われた。「あなたがた、および、あなたがたと共にいるすべての生き物と、代々とこしえに私が立てる契約のしるしはこれである。私は雲の中に私の虹を置いた。これが私と地との契約のしるしとなる。私が地の上に雲を起こすとき、雲に虹が現れる。その時、私は、あなたがたと、またすべての肉なる生き物と立てた契約を思い起こす。大洪水がすべての肉なるものを滅ぼすことはもはやない。雲に虹が現れるとき、私はそれを見て、神と地上のすべての肉なるあらゆる生き物との永遠の契約を思い起こす。」神はノアに言われた。「これが、私と地上のすべての肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」創世記 9章1節~17節

メッセージ

前回見たように、人と神の幸いな関係は長くは続かなかった。その結果、世界には悪と不法が満ちた。その悪をみて、神はこの世界を一掃することを決意する。それは洪水によってこの世界を洗いきよめるという仕方であった。これが、有名な洪水のできごとであり、ノアはこの洪水の時に箱船を造り、生き延びた。これが、ノアの箱船。

 この箱船により、ノアとその家族は命が守られて、悪がなくなった地上、清められた地上で生きるものとなったのである。この時に、ノアに与えられたのが、9章1-17節にある言葉である。ここはノア契約とよばれる箇所である。この契約の要点をいくつかみていく。

 ひとつには、この契約が家族を対象としたものであるということ。このノアの物語りは6章から始まっているが、ここではノアが主の好意を得たのに、ノアの家族が箱船にいれられ、そして祝福もまた家族に対して行われているということがわかる。9章の8節と9節をみていただきたい。彼の息子達、そして後に続く子孫という言葉がある。これはノアのみならず、ノアの子供達にも、そしてノアの子供達からさらに続く子孫に対して、この祝福が与えられることを示している。このように、ノアが受けとった神の愛は、家族に対して広がっていることがわかる。

 次に、この契約が地を滅ぼさない、このことを約束している点を見ていきたい。それが11節。神はもうこの世界を洪水によって滅ぼさないと決意された。肉なるものが滅ぼされることはもうないという。このことは、保持、保つことだといってもよい。そして、私達の救いを考える時、この世界が、そして私自身が保たれていること、生きているということは大前提である。

 この世界が保持されている。それは、救いの大前提といってもよい。その意味でも、このノアの契約はとても大切である。神はこの世界を保持されている。神はもう水による裁きをもたらさない。そして、神はより積極的に、この地上に生きる私達に太陽を昇らせ、雨を降らせてくださる。この恵みの中で私達は生きている。こうした誰にでも与えられる恵みは、決して当たり前ではなく、神がこの世界に生きる私達に与えてくださったものであることを覚えて感謝をしたい。

 そして、次に、この契約の印としての虹に思いを向けたい。12節から16節。 神は、契約を立てるときに、印を与える。この印を見るときに、人々が契約を思い出すためである。ノア契約の場合は、それは虹である。虹の形にこそ意味がある。虹のかたちをイメージしていただきたい。半円である。弧を描く。そして、これは弓矢の形。つまり、虹を置くというのはこれは弓をおいたといってもよい。 この場合、矢はどこを向くのか。天を向く。つまり、もし契約に違反したらその弓から矢が放たれる。その矢は神ご自身がうける。つまり、裁きは神がうけるということ。もちろん、実際には神が契約を裏切ることはない。しかし、矢を自らに向けるというのはそれくらいの思いをもって、神はこの契約を成し遂げるということ。この神の真実さに信頼して、私たちは神の守りの中を歩む。