2021年06月06日「あなたを救うために」

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あなたを救うために

日付
説教
小宮山裕一 牧師
聖書
ルカによる福音書 19章1節~10節

音声ファイル

聖書の言葉

イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」ルカによる福音書 19章1節~10節

メッセージ

今日のお話の主人公はザアカイ。このザアカイはエリコという街に住んでいた。このザアカイがキリストと出会う。人は、誰と出会うのか。これはとても大きなこと。聖書には、神と出会った人々の名前や物語が多く記されている。それぞれの仕方で神と出会い、人生が変えられていく。その出会いに聖書は満ちあふれている。神様が突然、その人の名前を呼んでくださる。その人物が神と向かい合うときに、少しずつ、人生が動き出す。その出会いが聖書にはいくつもえがかれている。

 このザアカイ、徴税人の頭といわれているように、仕事ができるタイプだったのだろう。それでは、彼を仕事に駆り立てた者はなにか。それは、彼が抱えていたもの。私達が普段使う言葉でいえば、それはコンプレックスではないだろうか。コンプレックス、というのは感情のしこり、といわれるもの。そう考えるとこのザアカイ、どこか自分と似たところがあるのではないだろうか。他人と比べて自分が抱えてしまっているコンプレックス、自分ではどうすることも出来ないことがら。そうしたものが私達の中にはうごめいている。そのように生きる中で自分がよりすがるもの、なにかを捜そうとする。ザアカイもまさに、探していた。ザアカイは本日の聖書箇所で、イエスがどんな人かみようとした、と書いてあるがこの「みようとした」はただ単に見るというのではなく、捜す、という意味を持つ言葉に、見るがついており、見るものを捜す、という意味がある。

 まさに、ザアカイは、自分が見るべきものを探していたのではないか。それは彼が切に追い求めていたものかもしれない。しかし、自分が何を捜しているのか、何を捜していれば良いのか、ザアカイにはわからなかったのかもしれない。

 今、申し上げた捜すという言葉は、10節に登場する「捜す」という言葉と同じ言葉である。つまり、このところで主イエスもまた、捜しているのである。失われたものを捜す。面白いことに、このところでは、お互いに捜している。そして、出会ったのである。ザアカイは何をさがしているのか、わからない。見つめるものがなにか、はっきりしていない。しかし、イエス・キリストはザアカイを探している。これが、神と私達の出会いである。私達もまた、キリストが捜してくださるが故に、出会う。

 この出会い。出会いには場所と時間が必要だ。5節にその場所に来ると、とある。とても意味深い。神と私達が出会うべき場所と、そしてタイミングがある。これもまた、神が用意してくださるものではないだろうか。

 今、ここにいる私達も、ある場所で、あるタイミングで神と出会った。これは誰しもが与えられたものである。ある人は、親に連れられて。そしてある人は学校の礼拝で、神とであったのではないか。友人を通して、など、様々な仕方で私達は神と出会う。