2026年03月01日「主人と一緒に喜ぶ」

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主人と一緒に喜ぶ

日付
説教
小宮山裕一 牧師
聖書
マタイによる福音書 25章14節~30節

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聖書の言葉

「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」マタイによる福音書 25章14節~30節

メッセージ

マタイ25章のタラントンのたとえは、預けられた賜物をどう用いるかを問うている。主人は旅に出る前に、三人の僕にそれぞれ五タラントン、二タラントン、一タラントンを預けた。一タラントンだけでも当時の労働者の約二十年分の賃金に相当する、途方もない信頼の証である。

五タラントンと二タラントンを預かった僕は商売をしてそれぞれ同額をもうけた。主人は二人に全く同じ言葉をかけた。「忠実な良い僕だ。よくやった。主人と一緒に喜んでくれ」。成果の大きさで評価が変わるわけではなく、預けられたものを用いて生きたという姿勢だけが問われている。

一タラントンを預かった僕は穴を掘って金を隠した。失う危険を避けるための、彼なりに合理的な判断だった。しかし彼には根本的な問題があった。主人を「蒔かない所から刈り取る厳しい方」と見ていたのである。恐れが彼の手を縛り、いちばん安全で、しかしいちばん悲しい選択をさせた。

一方、他の二人が出会った主人はまるで違う方だった。「主人と一緒に喜んでくれ」は「主人の喜びの中に入りなさい」というギリシア語の原文が示すように、主人は自分の喜びの中へ僕を招き入れる方である。これは取引の言葉ではなく、交わりへの招きだ。

「外の暗闇」という厳しい結末は、主人の招きがどれほど本気であるかを示している。軽い招きなら断られても痛みはない。主人は本気でその僕と一緒に喜びたかった。だからこそ、その招きが退けられた帰結もまた重い。

私たちが神を厳しい審判者として恐れるとき、賜物を隠してしまう。「自分なんか」「失敗したら」という思いが手を縛る。しかし神は、完璧な成果を腕組みして採点している方ではない。子どもがお年玉で嬉しそうに何かを買ってきて報告するときの喜びのように、私たちが賜物を用いて生きる姿を見て共に喜んでくださる方である。

求められているのは英雄的な偉業ではない。声を賛美に用いること、人の話を聴くこと、祈ること。それぞれの力に応じて預けられたものを、恐れの中にしまい込まず、信頼をもって用いること。それだけで主人は同じ言葉をかけてくださる。「忠実な良い僕だ。よくやった。主人と一緒に喜んでくれ」と。