2025年03月09日「キリストは今ここに」
問い合わせ
キリストは今ここに
- 日付
- 説教
- 小宮山裕一 牧師
- 聖書
マタイによる福音書 18章15節~20節
音声ファイル
聖書の言葉
「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」マタイによる福音書 18章15節~20節
メッセージ
マタイによる福音書18章15節から20節を中心に、教会共同体の本質と力の源について考えていきたい。この箇所には、共同体に与えられた三つの驚くべき約束が含まれている。
まず、文脈を理解するために15-17節を振り返ろう。ここでイエスは兄弟姉妹が罪を犯した場合の対処法について段階的なプロセスを教えている。個人的な対立を解決するだけでなく、共同体全体の健全さを保つための知恵を示すものである。そして18節からは「あなたがた」という複数形に変わり、教会共同体全体の権威について語られている。
一つ目の約束は、「あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる」というものである。この「結ぶ」と「解く」という表現は、ユダヤ教の伝統において、何が許され、何が許されないかを宣言する権威を指していた。マタイ16:19では同じ言葉がペテロ個人に向けて語られていたが、ここでは弟子共同体全体に与えられている。
二つ目の約束は、「どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる」というものである。当時のユダヤ教では、有効な礼拝のためには最低10人の男性が必要とされていたが、イエスはたった二人が一致するだけで十分だと言われた。ここで鍵となるのは「心を一つにして」という表現である。ギリシャ語では「シュンフォネオー」という言葉が使われており、これは「シンフォニー」の語源でもある。複数の楽器が調和して一つの美しい音楽を奏でるように、私たちの心と思いが神の御心の中で一つになることが求められているのである。
このような一致は自然には生まれない。それは私たちが個人的な願望を脇に置き、共に神の御心を求める時に生まれるものである。「私の願い」から「あなたの御心が行われますように」への移行である。
三つ目の約束は、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」というものである。「わたしの名によって」集まるとは、単にイエスの名前を唱えることではなく、イエスを中心とし、イエスの目的と性格を反映する集まりを意味する。この約束は、マタイ福音書全体を通じての重要なテーマを反映している。福音書の始まりでは、イエスは「インマヌエル」、すなわち「神は我々と共におられる」と呼ばれており、福音書の終わりでは「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」という約束で締めくくられている。これは深い意味を持つ約束である。世界の創造主であり、すべての支配者であるお方が、地上の小さな共同体の中に臨在されるのである。大きな大聖堂や印象的な会衆が必要なのではない。わずか二、三人でも、キリストの名によって集まるなら、そこにキリストがおられるのである。
教会は単なる組織や建物ではなく、キリストの臨在によって一つにされた人々の共同体なのである。私たちがどこにいても、どれほど少数であっても、キリストの名によって集まる時、そこにキリストがおられる。この真理を心に留め、日々の生活の中で実践していこう。共に集まり、共に祈り、共に成長し、共にキリストの臨在を体験していこう。そして、その臨在が私たちを通して世界に現れるように生きていこう。