2024年11月24日「キリストの教会を整える」
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キリストの教会を整える
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- 小宮山裕一 牧師
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コリントの信徒への手紙一 12章12節~31節
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聖書の言葉
体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。
あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に病気をいやす賜物を持つ者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです。皆が使徒であろうか。皆が預言者であろうか。皆が教師であろうか。皆が奇跡を行う者であろうか。皆が病気をいやす賜物を持っているだろうか。皆が異言を語るだろうか。皆がそれを解釈するだろうか。あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい。コリントの信徒への手紙一 12章12節~31節
メッセージ
今年の年間聖句であるコリントの信徒への手紙一12章12節から31節を通して、教会の本質と成長について考えたい。この聖書箇所は今年の第一回会員総会の時の説教箇所でもある。その時は12節~26節までを中心に取り扱ったので、今回は27節以後を中心に御言葉に聞いていきたい。
27節は12節~26節までの内容の要約。パウロの「あなたがたはキリストの体であり」という言葉は、教会全体への宣言である。私たちは洗礼によってキリストの体の一部とされ、神の契約の中に入れられた。この契約は人々を救い、解放し、希望を与えるものである。教会生活では、共に礼拝し、互いの重荷を担い合う。しかし、一体性は自然に生まれるものではなく、聖霊が与えてくださる恵み。個性や意見の違いを超えて、「キリストの体」である本質に立ち返る時、一致が生まれる。
28節には「神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました」とあるように、教会の働きや役割は神の配置によるものである。これは偶然や人間の計画によるのではなく、神ご自身が意図的に教会を形作っておられることを示している。この事実は、私たちに大きな慰めと確信を与える。教会におけるさまざまな働きや役割が、神の知恵による配置だからである。賜物は個人の所有物ではなく、教会全体の益のために与えられている。この賜物は三つのカテゴリーに分けられる。1個人的な奉仕の働き:使徒、預言者、教師など。2カリスマ的な賜物:奇跡やいやしの力。3実践的な奉仕:援助や管理。これらは互いに補い合い、教会の建て上げのために用いられる。
次に多様性の必要性の確認が29節-30節で語られている。パウロは「皆が使徒であろうか」と問いかけ、全員が同じ賜物を持つ必要はないことを示している。多様性は教会の成長に不可欠であり、互いを必要とし合う関係を生み出す。互いの賜物を尊重し、協力することで、一つの体として調和が実現する。
賜物は、一人ひとりのライフステージや年代などによって変化していくもの。与えられるものもあれば、眠るものもある。その時、その時で神から委ねられている賜物を適切に用いて行く時に、あなたの賜物は豊かに輝いていく。そして、与えられた賜物がさらに豊かに成長していくようにという招きが語られる。(31節)。
そして、大いなる賜物としての愛についてパウロは13章で語るのだ。愛はすべての賜物の使用における不可欠なものである。自己中心的にならず、他者の益を第一に考えるべきである。教会は愛によって結ばれた共同体として成長していく。