2024年11月10日「愛と配慮」

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聖書の言葉

偶像に供えられた肉について言えば、「我々は皆、知識を持っている」ということは確かです。ただ、知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。自分は何か知っていると思う人がいたら、その人は、知らねばならぬことをまだ知らないのです。しかし、神を愛する人がいれば、その人は神に知られているのです。そこで、偶像に供えられた肉を食べることについてですが、世の中に偶像の神などはなく、また、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、わたしたちは知っています。現に多くの神々、多くの主がいると思われているように、たとえ天や地に神々と呼ばれるものがいても、わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。また、唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主によって存在しているのです。
しかし、この知識がだれにでもあるわけではありません。ある人たちは、今までの偶像になじんできた習慣にとらわれて、肉を食べる際に、それが偶像に供えられた肉だということが念頭から去らず、良心が弱いために汚されるのです。わたしたちを神のもとに導くのは、食物ではありません。食べないからといって、何かを失うわけではなく、食べたからといって、何かを得るわけではありません。ただ、あなたがたのこの自由な態度が、弱い人々を罪に誘うことにならないように、気をつけなさい。知識を持っているあなたが偶像の神殿で食事の席に着いているのを、だれかが見ると、その人は弱いのに、その良心が強められて、偶像に供えられたものを食べるようにならないだろうか。そうなると、あなたの知識によって、弱い人が滅びてしまいます。その兄弟のためにもキリストが死んでくださったのです。このようにあなたがたが、兄弟たちに対して罪を犯し、彼らの弱い良心を傷つけるのは、キリストに対して罪を犯すことなのです。それだから、食物のことがわたしの兄弟をつまずかせるくらいなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは今後決して肉を口にしません。コリントの信徒への手紙一 8章1節~13節

メッセージ

偶像に献げられた肉を食べることの是非について深く考察する。当時のコリントは多神教の都市で、多くの神殿が存在し、神殿での食事は単なる食事を超えた社会的、文化的な意義を持っていた。祭儀的な食事は、社交や交渉の場であり、様々な祝いの機会でもあった。

コリント教会の信徒たちは、「偶像は何の意味もない」「神は唯一である」という「知識」を持っていたため、偶像に献げられた肉を食べることに問題はないと考えていた。彼らはこの知識を誇りとし、それによって他者に対して高慢な態度を取っていた。しかし、パウロはこのような知識による高ぶりを戒め、「知識は人を高ぶらせ、愛は建て上げる」と述べる。

パウロは「建て上げる」(オイコドメイ)という言葉を用いて、共同体を築くことの重要性を強調する。家を建てるには、多くの専門家の協力や計画性、共同作業が不可欠であり、それは時間と労力を要するものである。同様に、教会という共同体も、愛によって互いに協力し、時間をかけて築き上げていく必要があると説く。愛は手間がかかり、楽なものではないが、それこそが共同体を強め、成長させる力となる。

さらに、パウロは信仰の弱い者たちへの配慮を求める。彼らは過去の偶像崇拝の習慣にとらわれており、偶像に献げられた肉を食べることに良心の呵責を感じていた。パウロは、知識のある者たちが自分の自由を主張して弱い者たちをつまずかせることは、キリストに対する罪であると厳しく指摘する。共同体の中で、弱い者たちへの具体的な配慮と愛の実践が求められている。

パウロ自身も、「兄弟をつまずかせないために、今後決して肉を口にしません」(13節)と宣言し、自ら愛による自己制限を実践している。彼は個人の自由や権利よりも、共同体全体の益と他者の成長を優先したのだ。現代の私たちも、自分の「知識」や「正しさ」が他者を傷つけていないかを省みる必要がある。愛による配慮は、時に厳しさや手間を伴うが、それこそが共同体を建て上げ、互いに成長させる道である。また、信仰の弱い者たちがいつまでも成長しないままでいることは、共同体の健全な発展を妨げる。愛の配慮には、彼らの成長を促し、建て上げる働きへの参与を求める厳しさも含まれる。

パウロは知識よりも愛を優先する生き方を示している。知識は不完全であり、高慢の原因となるが、愛は永遠に残り、共同体を強める力である(Ⅰコリ13:8)。私たちは愛によって互いに配慮し、共同体を建て上げていく使命がある。そのために、知識に頼るのではなく、愛に基づいて行動することが求められている。

知識は人を高ぶらせ、分裂を生む可能性があるが、愛は人々を結びつけ、共同体を強める。愛による配慮は、単に相手に合わせるだけでなく、相手の成長と共同体全体の益を考慮した行動を促す。パウロが示したように、私たちは自分の自由や権利を主張する前に、他者への影響を深く考える必要がある。特に、信仰の弱い者たちがつまずかないように配慮し、彼らが成長していくように支援することが求められている。これはキリストの愛に根ざす生き方だといえるだろう。キリストは私たちのために自己を犠牲にし、完全な愛を示してくださった。その愛に応えて、私たちも愛によって互いに仕え、共同体を建て上げていく使命がある。