2024年09月15日「真実な神の民」
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真実な神の民
- 日付
- 説教
- 小宮山裕一 牧師
- 聖書
コリントの信徒への手紙一 1章1節~9節
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聖書の言葉
神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、コリントにある神の教会へ、すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの主であります。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。わたしは、あなたがたがキリスト・イエスによって神の恵みを受けたことについて、いつもわたしの神に感謝しています。あなたがたはキリストに結ばれ、あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされています。こうして、キリストについての証しがあなたがたの間で確かなものとなったので、その結果、あなたがたは賜物に何一つ欠けるところがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れを待ち望んでいます。主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださいます。神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。コリントの信徒への手紙一 1章1節~9節
メッセージ
私たちはこれまでマタイによる福音書を通して、イエス・キリストが救い主であり、教会の土台であることを学んできた。今日からしばらく、コリントの信徒への手紙を通して、私たちが日々集う教会について共に御言葉から教えられたい。そして、11月の会員総会で今年のテーマ聖句とテーマについてもう一度確認したい。私たちはキリストの教会を整えるという志をもってこの一年を歩み出した。もう一度、教会について知り、教会につながる恵みを感謝しながら歩んでいきたい。
パウロはコリントの教会の人々を「聖徒」と呼ぶ。これは神に近い人々ということだ。神に近い人は神から恵みをいただく。信仰によって私たちは神の子とされ、神の民とされた。そのような私たちが神の恵みによってどのように豊かにされているのかを理解し、その賜物をどのように用いるべきかをパウロは語る。「あなたがたはキリストに結ばれ、あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされています」(1コリント1:5)と語っている。これは「あなたがたはすべての点で、すなわちあらゆる言葉とあらゆる知識において、キリストにあって豊かにされたのです」と理解できる。キリストにあって、とはキリストの内にいれられて、というニュアンス。それくらいキリストの愛と恵みの中にいるのだ。そのような私たちに神は豊かな賜物を与えて下さる。
コリントの教会では、ギリシャ文化の影響により、言葉(ロゴス)と知識(グノーシス)が特に重んじられていた。彼らはこれらの賜物を自慢し、高慢になり、教会内での分裂や対立を生んでいた。しかし、パウロはこれらの賜物が神からの恵みであり、自慢の材料ではないことを教えている。「知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。」(一コリ8:1)と述べ、愛によって賜物を用いることの重要性を強調している。
私たちもそれぞれ、神からの賜物を与えられている。才能、知識、経験、スキルなど、さまざまな形で神の恵みを受けている。それらを自分の力や功績と考えるのではなく、神からの恵みとして感謝する心を持とう。そして、賜物を用いて他者に仕え、教会を建て上げよう。愛と謙遜の心を持って、賜物を活かし、互いに励まし合おう。
また、パウロは「主イエス・キリストの現れを待ち望んでいます」と述べ、終末的な希望と神の真実性を強調している。「神は真実な方です」。私たちを御子イエス・キリストとの交わりに招いてくださった神は、終わりの日まで私たちを堅く支えてくださる。私たちの努力や功績ではなく、神の真実性に基づいて救いの確信を持つことができる。
結論として、私たちは感謝と謙遜の心を持ち、与えられた賜物を用いて教会を建て上げるべきである。賜物を自慢や競争の材料にするのではなく、愛をもって互いに仕え合い、教会の一致と成長に貢献する。「キリストにあって豊かにされた」私たちは、キリストとの交わりの中で生き、終末的な希望を持って歩んでいく。神の真実性を信頼し、与えられた賜物を神の栄光のために用いていこう。