2024年08月18日「キリスト -生ける神-」
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キリスト -生ける神-
- 日付
- 説教
- 小宮山裕一 牧師
- 聖書
マタイによる福音書 16章13節~20節
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聖書の言葉
イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。マタイによる福音書 16章13節~20節
メッセージ
マタイによる福音書16章13節~20節は、ペトロがイエスを「メシア、生ける神の子」と告白する重要な場面である。フィリポ・カイサリア地方はイエスの働きの中でも北部に位置する場所であり、ここから南にあるエルサレムへと向かう。そして、この地方は神のことを知らない人々が多くいる異教の地である。そのところでなされたこの告白は、イエス・キリストが真に神の子であり、救い主であることを初めて明確に示したものである。フィリポ・カイサリアで、イエスは弟子たちに「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」と尋ねた。弟子たちは、人々がイエスを預言者の一人として見ていると答えたが、イエスはさらに「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と問いかけた。その時、ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と告白した。
この告白は、イエスの正体を明確に認めるものであり、信仰の表現として非常に重要である。イエスはペトロのこの告白を神からの助けによるものであることを宣言し、彼を祝福した。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ」と。キリストを救い主だと告白することは神からの祝福と幸いをいただくことなのだ。続けてイエスは教会の設立を宣言した。「わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない」(18節)。また、この告白を基に、イエスは自らの十字架の死と復活について予告した(21節以後)。ペトロの告白は、イエス自身が言われたように神からの力によるものだ。それとともに、この場面はイエスのガリラヤでの伝道のいわば最後に当たる部分である。それはつまり、ガリラヤにおいてなされたイエスのペトロを始めとする弟子達への教育の成果だといえるだろう。イエスはなんども語りかけ、弟子達を教え、実際に奇蹟を見せることにより、神の国のすばらしさとイエス・キリストこそまことの神でることを明らかにした。そうしたひとつひとつの配慮が弟子たちに信仰の成長をもたらした。一気に成長したわけではないし、完成したわけでもない。実際にこの立派な告白をしたペトロは後にキリストを裏切る。だからといって、この告白が無駄だったわけではもちろんない。主イエスは信じるものに配慮と忍耐をもって接しておられる。いずれにせよ、この告白は天からの地力と共に、イエスとの深い関係の中で生まれたものだ。神が働いてくださることと、一人ひとりの信仰が成長していくことは決して矛盾しない。そして、この告白に導かれたものは幸いなのだ。天からの幸いが約束されている。
この箇所は、イエスが神の救い主であるという事実を弟子たちに確信させ、教会の基盤としての信仰告白の重要性を示している。ペトロの告白は単なる言葉以上のものであり、神を告白し賛美する行為である。信仰者にとって、この告白はキリストとの関係を深め、彼を救い主とするかどうかの選択に繋がる。
この出来事を通じて、イエス・キリストの真の姿とその救いの力が明らかにされ、教会の土台が築かれた。この告白をもって、私たちはキリストをメシア、救い主として信じることができる。それは、イエスが永遠の命の言葉を持つ者であり、私たちにとって真の救い主であることを認めることに他ならない。この信仰告白こそが、私たちの信仰生活の基盤であり、永遠の命を得るための道である。