2024年07月28日「「何が人を生かすのか」」
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「何が人を生かすのか」
- 日付
- 説教
- 小宮山裕一 牧師
- 聖書
マタイによる福音書 15章21節~28節
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聖書の言葉
イエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。マタイによる福音書 15章21節~28節
メッセージ
この箇所は、イエスがカナンの女性に「あなたの信仰は立派だ」と言う場面を描いている。ここでの「立派だ」という言葉は「大きい」という意味であり、信仰の大きさや熱心さを表している。この女性はカナン人であり、聖書の伝統を有していたわけではない。それではなぜイエスはこの女性の信仰を立派だと言われたのか。この発言はイエスが弟子たちに「信仰の薄い者よ」と言ったのと対照的なものだ。
この女性はカナン人であり、当時のユダヤ人からは異邦人として見られていた。彼女はイエスに「ダビデの子よ、私を憐れんでください」と叫び、悪霊に苦しむ娘のために助けを求めた。これはユダヤ人の信仰に基づいた表現であり、彼女がイエスをメシアとして認識していたことを示している。
イエスはこの女性に対してしばらく沈黙し、弟子たちも彼女を追い払おうとした。しかし、イエスは「イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」と言い、自身の使命がユダヤ人に向けられていることを強調した。しかし、この女性はさらに助けを求め続け、イエスに対して「主よ、しかし小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」と応じた。彼女のこの答えは信仰に満ちたものであり、イエスを感心させた。
イエスは「婦人よ、あなたの信仰は立派だ」と言い、彼女の娘を癒した。この出来事は、イエスの宣教における重要な転換点であり、神の恵みがユダヤ人だけでなく異邦人にも及ぶことを示している。カナンの女性がその信仰によってイエスの恵みを引き出したことは、私たちにとっても示唆に富むものである。
この話から学ぶべきことは、私たちも困難な時にイエスに信頼し、祈り続けることの重要性である。特に「キリエ・エレイソン」という祈り、すなわち「主よ、憐れんでください」という短くシンプルな祈りが大切である。この祈りは、カナンの女性のように、私たちが無力さや困難に直面している時に、神の恵みを求める助けとなる。
この女性は、イエスとの対話を通じて信仰を深め、最終的にイエスの恵みを受けた。私たちも同様に、困難な状況においてイエスに向かって祈り続けるならば、神の恵みが私たちにも広がることを信じよう。