2024年07月07日「いっぱいの幸せ」

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聖書の言葉

イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。マタイによる福音書 14章13節~21節

メッセージ

マタイによる福音書14章13節から21節は「五千人の給食」と呼ばれる。この奇跡は四つの福音書全てに記されている唯一の奇跡である。4つの福音書は最初の教会の様子を色濃く反映しているのだが、この五千人の給食の出来事に自らの教会の姿を信仰の先達はみていた。それはこの地上における天の国の表れだ。天の国では、イエス・キリストが食卓の主人として人々を配慮し、祝宴のような雰囲気が広がる。

なぜ、イエスは荒れ野でこの祝宴を開いたのか。この奇跡の背景にあるは二つの出来事がある。一つは、イエスのいとこであり預言者のヨハネが時の権力者である領主ヘロデに殺されたこと。もう一つは、ポンテオ・ピラトによるエルサレムでのユダヤ人殺害事件。ピラトもまたヘロデと同じく当時の権力者である。このピラトは祭りに来ていたユダヤ人をエルサレムで殺害した。こうした闇の力、暴力の力を感じたイエスは人里離れた場所に退くことを選んだ。これは何も、イエスが暴力の力に屈したというわけではない。この時恐れていたのは弟子達だった。だからこそイエスは弟子達を伴い、安全なところに行き、弟子達を教え諭した。

しかしながら、群衆はイエスの行き先を知り、集まってきた。イエスはそのような群衆を憐れみ、病人を癒した。その後、イエスは群衆に食事を与えることを決意する。弟子たちは反対したが、イエスはパン五つと魚二匹を用いて奇跡を起こし、全ての人々を満足させた。この出来事を通して多くの人々が満腹した。イエス・キリストは救い主として、心も体も満たしてくださるお方である。そのことを覚えたい。しかし、これはただ単に人々が満足したということを伝えるのではない。このイエスの姿の背後にあるのはモーセであり、エリシャである。特に、マタイはイエスが新しい預言者であり、それはつまり新しいモーセであることを示唆し、自然に対する権威を持つ真の神であることを強調する。

イエスがこの時、奇跡を起こしたのは人里離れたところ。それは寂しいところであり、荒野である。荒野は神と出会う場所であり、群衆はここで神と出会い、弟子達は神であるイエスの姿を改めて確認した。そこでイエスは何をしたのか。イエスは天を仰ぎ、祈る。それは、天に思いを向けることだ。弟子達は自分目の前にあるパンと魚に注目していた。それ「しか」ないと思っていた。しかしながらイエスはそこから目を天に向けたのだ。

私たちも主を仰ぎ、賛美しよう。また、自分たちが持っているものを主に用いてもらおう。自分の目からみたら「これしかない」と思うかもしれない。しかし、そこからイエスの御業が始まるのだ。

 そのように天を仰ぎ、神の祝福の中にいる私たちをイエスは豊に満たして下さる。