2024年06月23日「常に喜びをもって」
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常に喜びをもって
- 日付
- 説教
- 小宮山裕一 牧師
- 聖書
フィリピの信徒への手紙 4章2節~9節
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聖書の言葉
わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい。なお、真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください。二人は、命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと力を合わせて、福音のためにわたしと共に戦ってくれたのです。主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます。フィリピの信徒への手紙 4章2節~9節
メッセージ
この手紙の著者であるパウロは、監獄でこの手紙を執筆した。彼は自分の命が危険にさらされていることを知っていたし、自分の仲間の中にも裏切り者や反対者がいることを知っていた。それでも、パウロは喜びを失うことはなかった。なぜなら、彼の喜びの源は自分の状況ではなく、主にあったからだ。パウロは、過酷な状況の中でも、主にあって喜ぶことができた。この喜びには根拠があり、それが聖書箇所で繰り返されている「主において」だ。
最初に、フィリピの信徒への手紙4章2節と3節を読むと、エボディアとシンティケという二人の女性がもめ事を起こしたことが書かれている。パウロはこの二人に「主において同じ思いを抱きなさい」と勧める。この手紙はプライベートなものではなく、公になるものだ。現代の感覚からすれば信じられないことだが、パウロは二人に和解を進めるために手紙を書いた。彼は単に「仲直りしなさい」と言うのではなく、「主において同じ思いを抱く」ようにと勧める。これが重要である。パウロは、同じ神を信じる仲間であることを強調し、キリストを見つめるようにと言っている。この「主において」という言葉は、教会に集う一人ひとりの横のつながりを表すものだ。しかし、この言葉はただ単に仲違いをしている二人を仲裁するためのものではなく、私たちの歩みにおいて欠かせないものである。だから、パウロは4節から、二人のことから離れて手紙の読者に語りかける。彼は「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」と言う。この言葉はパウロの手紙の中で最も重要なメッセージのひとつである。
パウロは、喜びを感情と混同していない。彼は喜びを、主に根ざした生き方として定義している。パウロは、自分の状況によって喜びが左右されることはなかった。彼は、この手紙を書いたとき、監獄にいた。それでも喜びを持ち続けることができたのは、彼の喜びの源が主にあったからである。パウロは「主にあって」という言い方をしている。主とはキリストのことであり、「にあって」は「中」という意味がある。つまり、キリストの中で、という意味なのだ。パウロは別の手紙で「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」と述べている。キリストを信じるというのは、それほどキリストとの結びつきが堅いということだ。
さらに5節でパウロは「あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます」と語る。広い心は寛容や温和という意味。パウロは寛容を単なる妥協や無関心と混同していない。彼は寛容を、相手を受け入れ、理解しようとする姿勢として定義している。彼の寛容は、主は近いという信念に基づいていた。パウロは、主の近さを思い出すことで、フィリピの教会が不安や恐れに苛まれないように助言している。
信仰を持つということは、神から与えられた毎日を「主は近い」と実感しながら歩むことだ。そして主の近さを感じるところに、平安と喜びがある。