2024年05月19日「神の子とされて」
問い合わせ
神の子とされて
- 日付
- 説教
- 小宮山裕一 牧師
- 聖書
ローマの信徒への手紙 8章1節~17節
音声ファイル
聖書の言葉
従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです。肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。それは、肉ではなく霊に従って歩むわたしたちの内に、律法の要求が満たされるためでした。肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。なぜなら、肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法に従っていないからです。従いえないのです。肉の支配下にある者は、神に喜ばれるはずがありません。神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、“霊”は義によって命となっています。もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。
それで、兄弟たち、わたしたちには一つの義務がありますが、それは、肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。ローマの信徒への手紙 8章1節~17節
メッセージ
今日はペンテコステの日であり、聖霊が地上に来て教会を建ててくださった日である。聖霊は教会を建て挙げ、教会に連なるひとりひとりに働かれる。本日はそうした聖霊のめぐみの一つである「神の子とされる」恵みについて考える。
ローマの信徒への手紙8章1節から17節には、聖霊による救いと新しい命について述べられている。この章は、私たちがキリスト・イエスに結ばれていることによって罪に定められることがないという慰めと希望を語っている。キリストを信じる者は、罪の鎖から解放され、新しい命に生きることができるのだ。これはキリストの犠牲によって成し遂げられた神の大いなる恵みである。
2節にあるように、キリストに結ばれることは「法則」が変わることである。聖霊は私たちを罪と死の法則から解放し、キリストの犠牲を通じて新しい命に導く。これは、私たちの中にある法則が変化したことを示している。もともと罪と死の法則を持っていた私たちは、神の恵みによって「霊の法則」という新しい法則が与えられた。これにより私たちは律法の意味づけが変わった。死の法則では律法は罪を指摘し、苦しめるものだった。しかしながら3節から4節にあるように、神は御子を送り、その肉において罪を処断された。律法の裁きはキリストが引き受けてくださった。これにより、私たちは霊に従って歩むことで律法の要求を満たすことができるのだ。キリストを信じることにより、律法を満たす道が開かれた。その結果、永遠の命と平和が約束されている。
このように命の法則に生きるものはただ単に罪を指摘されないということではなく、神の子なのだ。私たちは奴隷として再び恐れに陥る霊ではなく、神の子とする霊を受けている。この霊によって、私たちは「アッバ、父よ」と呼ぶことができる。これは、神との親しい関係を築くことができることを示している。
また、私たちはキリストと共に苦しむならば、その栄光も共に受けることができるという希望がある。これは、私たちがどんな困難や試練に直面しても、最終的にはキリストと共に栄光を受けることができるという約束である。
ペンテコステは、私たちが聖霊を受け、新しい命と自由に生きることを思い起こさせる日である。ローマの信徒への手紙8章の教えを通じて、私たちが霊に導かれ、キリストの内にある新しい命と平和を経験することを祈り求めよう。聖霊の力によって、私たちは神の子としての特権を持ち、永遠の希望を持つことができる。この祝福に感謝し、日々の生活において実践しよう。天の父よ、と私たちが呼ぶことができるのは私たちを神の子としてくださる神の恵み。そして、聖霊は私たちを日々、神の子である私たちをキリストと結びつけ、神の民として相応しい歩みを与えて下さるお方なのだ。聖霊なるが与えられている恵みを覚えて感謝しよう。