2022年12月11日「キリストがやってくる」

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キリストがやってくる

日付
説教
小宮山裕一 牧師
聖書
ルカによる福音書 19章1節~10節

音声ファイル

聖書の言葉

イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」ルカによる福音書 19章1節~10節

メッセージ

ルカによる福音書19章が記すザアカイの物語を、私たちはこのクリスマスの時に開いた。この箇所とクリスマスがどのようにつながっていくのだろうか。ザアカイ。この人は街の人々から疎まれ、蔑まれていた。徴税人はローマ帝国の手下と見なされていた。ローマは時の支配者。ユダヤ人からすれば自分たちを抑圧する存在。その人々に近い徴税人は、ユダヤ人からすれば敵対者といってもよい。ザアカイも、ザアカイの周辺の人々も、街の人々から白眼視されていたに違いない。そのザアカイのところに、キリストがやってきた。キリストは救い主であり、真の神。旧約の時代から救い主は王としてお生まれになると信じていた。しかし、キリストは王としてではなく一人の市井の人としてこの地上に来られた。それは、ザアカイのような存在と出会うため。王であればザアカイと出会うことはできなかった。このようにキリストは、人々と出会うために、会話をするために人となれたのである。神が人となる。このへりくだりはザアカイのもとを訪れたキリストの姿からも知ることができる。

 ザアカイとクリスマスは「今日」という言葉で結ばれる。「 イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。

人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」(19章9,10節)。この「今日」はクリスマスの時、天の大群が大空から地上に向かって賛美をするに先立ち、天使が羊飼いに告げた言葉と同じだ。「 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」。(2章11節)。そして、この今日、はクリスマスからザアカイを経て、キリストの十字架にまで結びつく。「するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた」(23章43節)。

 今日!この今日という言葉はキリストの救いがまさに、今日、この時に起こったことをあらわす。この救い、この救いのために、キリストは人の子、つまり人間になられた。キリストがお生まれになったのは、十字架の上で命を捧げるため。それは、ザアカイのような、周りの人々から虐げられていた存在に出会うため。キリストの誕生も、ザアカイの出来事も、十字架もこの私にとっては大昔のことかもしれない。しかし、この聖書箇所を開く私たちにとっては、キリストが私たちのところに来て下さるのは、まさに「今日」なのである。

 そして、この「今日」は私だけの恵みではない。キリストの救いは、クリスマスの時、あなたに訪れた。それだけではない。あなたがたのためにもたらされた。これは家族という広がりを持っている。ザアカイに対して主イエスはいわれた。「救いがこの家を訪れた」と。天使もまた「あなたがたのために」といわれた。あなたのために、あなたの家のために、神の家族である教会のためにキリストはこの地上に来て下さったのである。